後日談:日本

 
 
春の日差しが暖かい昼下がり、真祐は天文雑誌を読んでいた。
月のついての特集をやっていて、立ち読みしているうちに買う気になったのだ。
わけのわからない冒険に巻き込まれたのは3日前のこと。
アイオンが行方不明になったところから始まり、忍者屋敷で死にかけ、海で未確認生物に襲われ、そうこうしているうちに、とうとう月まで行ってしまった。
宇宙飛行士は訓練に膨大な時間を費やすと聞いているのに、一般人の自分があっさり打ち上げられてしまっていいんだろうか。

「夢だったらよかったのにな・・・」

真祐は雑誌のページをめくりながら、アイオンがおやつに焼いたワッフルを食べた。
メープルシロップをたっぷりかけて、ちょっとおかしな味をカバーした。

「近い将来人間が住めるかもしれない、だって?」

ふと月特集のあおり文句に目が留まって、真祐は一人で笑った。
兄が土地を購入して、飛行船でそのそばを通ったのだ。
あの変人だったら月面でもうまくやっていけるかもしれない。
L5世とも仲良くなりそうだし、カニのような生物も兄の手にかかれば違和感なく食卓に乗るだろう。

「・・・・・・」

そこまで考えて、食欲が消えた。
いい加減、この非常識な人たちから逃げて山奥でひっそりと暮らしたほうがいいのかもしれない。

「真祐、真祐」

真祐の悩みの根元であるアイオンが跳ねるようにしてリビングに入ってきた。
これだけ見ればウサギのようで可愛いが、彼の本性を知ったらそんなことも言っていられないだろう。

「僕はこれから重要な任務があるので、一日ほど家を留守にしなければいけません」

アイオンはビシッと敬礼をした。
アイスでもあるまいし、任務も何もないだろう。
真祐が胡散臭そうな目で見ている中、アイオンは胸に手をあてて苦しそうなポーズをした。

「君を置いていくのは忍びないのですが、これも愛を深めるための試練なのです。帰ってグレードアップした僕を見ていただければ理解してくれると信じて、断腸の思いで旅立ちます!」
「お前、もう一生帰ってこなくていいから」

真祐はぴしゃりと言って、雑誌に視線を戻した。
「行ってきまーす」という能天気な声がして、ドアが閉まる。
真祐は大きく息をついた。
帰ってからアイオンがぴったりくっついて離れなかったので、少しでも一人の時間がほしかったのだ。
コーヒーをもう一杯淹れて、のんびりと記事を読んだ。
月には実は空気があるらしいとか、宇宙人のような生き物が確認されたとか、信じられないような話が多い。
真祐は赤いシャツを着た人物を思い出して、あながち嘘でもないかもしれないなと思った。
そうしているうちに夕方になり、晩飯の時間になったが、アイオンはまだ帰ってこない。
一生帰ってくるなといったのが効いたのか、と真祐がほんの少しだけ後悔していると、電話が鳴った。

「もしもし」
『真祐か?』
「え・・・」

一瞬誰か分からなかった。

『俺だ、J&Mの・・・』
「ああ、ジャン!」

あの中で唯一話が通じた人物だ。
アイオンが連絡先を教えていたのだろう。
残念なことに住所も電話番号も同じなのである。同居しているのだからあたりまえだ。

『いきなり電話して悪かった・・・』

心なしか声が暗い。

「ちょうど退屈してたとこなんだ。それより、どうかしたのか?」
『ミラーが・・・』

受話器の向こうでジャンが、うっと声を詰まらせた。
彼の弟の身に何か起こったんだろうか。真祐は肩をこわばらせた。
ミラーはアイオンと同じくらいにぶっとんだ人物だったが、不思議と憎めない性格をしている。
兄のジャンをここまで心配させるようなことがあったに違いない。

「ミラーに何があったんだ?火星で遭難したとか、マンモスの肉に当たって食中毒になったとか、酔っ払って耳を捻りこんだら抜けなくなったとか・・・」

ミラーがやりそうな失敗といえば、このレベルのものくらいしか思いつかない。
ジャンはしばらく黙っていたが、そのうちクックックと抑えた声で笑い出した。

『そうじゃなくて、あいつ、書置きを残して出て行ったんだ』
「まさか家出?!」

あれだけ仲が良さそうだったのに、三日間で何があったというのか。
とうとう兄の寝室に禁断の炭酸を加えてしまったんだろうか。
真祐は、人間の住む環境を超えたスペースを想像して身震いした。

『友達と遊びに行くから心配するなって言うんだ。お前も薄々感づいていると思うけど、あいつには友達が極端に少ない・・・』

ジャンの声のトーンが再び落ちた。

『それが、今回の旅で親友とも呼べる相手を見つけたらしいんだ』
「ああ・・・うん」

それが誰なのか、言わなくても分かった。

『あいつってちょっと変わってるだろ。友達が出来るのは久しぶりだからはしゃいでるんだ。大目に見てやってくれないか?』

あれが“ちょっと”なら、アイオンと祐介を除いた世の中の変人たちは、束になっても太刀打ちできないだろう。
真祐は笑いをかみ殺しながら言った。

「それは俺のセリフだよ。あの二人は似たもの同士だからさ」
『あんな弟だが、よろしく頼む』
「こちらこそ、アイオンとは末永く友達でいてやってほしい」

二人は、まるでペットのお見合いをさせているような会話を交わした。