-南国-

「マーサ・・・」

RQの表情が強張った。
だが、すぐにいつものとおりの笑顔に戻り、

「なんだ、ひさしぶりじゃないか!なんでここに?」

と尋ねる。

「私たちは、友達に呼ばれてここに来たんだけど、あなたはどうしてここに?」
「オレは・・仕事だ」

そうして、リヒャルトのほうに目をやった。

「まぁ、いい男じゃない。あの人が同僚?」
「ああ、いや。上司なんだ」

そうすると、リヒャルトが近づいてきた。

「こちらは、おまえの知り合いか?」
「はじめまして、私はマーサ。あ、あとベンも来ているのよ」

マーサがさっと後ろを振り返ると、もう一人大柄なアフリカ系の男性が歩いてくるのが見えた。

「なんだ、RQじゃないか。おまえ、ここでなにやってる?」
「ひさしぶりだな、ベン」

「ベン、リヒャルトは仕事でここに来てるんですって。でも、本当に奇跡だわ!また会えるだなんて思わなかった!」

そういうとマーサはがばっとRQを抱きしめた。

「!」

リヒャルトの顔が強張る。

「え・・・」

マーサは、とても人の感情には敏感な人間だ。
すぐに、その状況を把握した。

「まさか・・・あなたたち、その・・・あ、ごめんなさーい。あたしってすぐに誰にでも抱きつく癖があるのよ!」

少々わざとらしく高笑いをして、マーサはベンと腕を組んだ。

「なんにせよ、あなたが幸せそうでよかった。それで、なんの仕事をしているの?」
「その・・・」

口ごもるRQの横で、リヒャルトが「政府関係者です」 と名乗った。
SSGという組織は非公開なので、もしもに供えてFBIのバッジも用意してある。

すると、先ほどまで静かな面持ちだったベンが途端に、マーサの腕を振りほどいて後ろに引いた。

「あ、大丈夫よ!ベン!リヒャルトは大丈夫!」
「?」

RQがベンのところに走っていく。そうして、説得を試みている様子だ。

「どうかしたのですか?」
「・・・ごめんなさい。ベンには・・・過去があるの。でも、お願い!あなたがリヒャルトのお友達や上司や・・大切な人だったら、ベンを見逃してあげて!」
「え??」

何度もリヒャルトと言われて、リヒャルト自身が混乱してきた。

「あいつの名前はリヒャルトと言うのか?」
「そうよ。でも・・違うかもしれない。ともかく私はそう呼んでしまうのだけど、あなたは彼をなんて呼んでいるの?」
「RQ」
「それは、ベンが彼につけたあだ名なのよ。どういうわけか、あの人はリヒャルトと呼ばれるのが苦手なの」

いい名前なのに・・・とマーサは言った。

「どうして・・・」

こんなにも一緒にいて、知らなかった。
RQの本当の名前。
どうして、名乗らなかったのだろう。
リヒャルトなんて、普通過ぎる名前を。
まさか、自分と同じだからではないだろう。
リヒャルトは思い返した。
RQの資料を見た時、すでにそこにはRQとしか記されていなかったのだ。

人の過去なんて、覗くものじゃない。

自らにも覗かれたくない過去があるなら。

でも、この時のリヒャルトにはそれが我慢できなった。

「あなたは、彼のことをどこまで知っているんですか?」

好奇心というよりも
これは独占欲だ。
リヒャルトは、今朝RQに唇を押し当てられた首筋に手をやった。
まだ、熱さが残っているのに・・・。
私はおまえのことを何も知らない。

マーサは口を開いた。

「あの人は、あたしたちの島に突然やってきた。あたしたちの島は・・・政府関係にはちょっと言えないわ。事情がある皆が肩を寄せ合ってひっそりと暮らしているの。ともかく、そこにあの人はやってきた。流れ星がたくさん降った日の翌朝、海岸に倒れているあの人をベンが連れてきた」

RQがこちらに歩いてくるのが見えた。ベンはそこから動くつもりはないらしい。

「やがて、目覚めたあの人に、私は問いかけた『大丈夫?何があったの?自分が誰だかわかる?』って、そうしたら、あの人は・・」
「マーサ!」

RQが手を振ってマーサを呼ぶ。

「今行くわ」

マーサは返事をしてから、一言言った。

「あの人は『リヒャルト』と一言いった。それで、それが名前かと思ったのだけど・・・」
「マーサ、ベンが呼んでいる」

RQはこちらまで駆けてきたようだ。
すぐさま、マーサはベンのほうへ走っていった。
何度もこちらを振り返りながら。

「・・・」
「・・」

しばらく二人は黙っていた。
そのうちRQが声を出した。

「ベンのことは悪く思わないでくれ。あいつには、あいつなりの事情があるんだ」
「ああ」
「マーサの・・・しゃべりかたとかもあんまり気にすんな。あれはあれでいい奴だからさ」
「ああ」
「リヒャルト?」
「なぜ黙っていた」
「何を?」
「誤魔化すな!」

RQの横を歩いていたリヒャルトは、真正面に向き直った。

「おまえの本名のことだ!私は知らなかった!」
「・・・」
「たとえ、私と同じ名でもかまわない。私たちは・・・あんなにも」

・・・深く繋がったと思っていたのに、実際にはなにも掴めていなかった。

「リヒャルト・・はオレの名前じゃない」

声は、いつになく静かだ。
南国に涼しい風が一筋ながれていった。

「では、おまえの名前はなんだ?」
「オレは、RQ」
「それはあだ名だと聞いた。あのベンがつけたと」
「・・・あんたを愛している男の名前さ」

「そうやっておまえははぐらかしてばかりだ!私は・・・」

しかし、ふと見上げたRQの瞳を見て、リヒャルトは声を失った。
それはリヒャルトなどよりも、もっと深い深い悲しみの色をたたえて・・・。

「あんたにも捨てた過去があるように、オレにも捨てた過去がある」
「・・・!」
「あんたがリヒャルト・シュバルツじゃなくて、SSG長官のリヒャルトになったように、オレは昔の名前を捨てて、RQになった。いつだって、今ここにいるオレだけが本物だ。だから、オレに元の本名なんかはない」

「すまない・・・」

リヒャルトの口からポツリと言葉が零れ落ちた。


遠くで鳥の声が聞こえた。
歩いている二人は木陰に入った。

「それでも、もし、オレの過去を引きずりだそうとする奴が現れても・・・オレはリヒャルトを愛している人間、RQだって覚えててほしい」

リヒャルトを見つめる水色の瞳はいつもよりも澄んで見えて・・・
リヒャルトは、目を細めた。

ふいに、目をつぶると目の前の男が消えてしまいそうな気がして、その腕を掴む。

「おまえを過去には奪わせない!」

そうして、夏の匂いのする身体を両腕で抱いた。

「リヒャルト・・・」
「絶対に・・」

二人はそうして、しばらく抱き合っていた。
時間などないように・・・。






「ベンは・・・脱走兵なんだ。だから、政府関係者を警戒している」
「そうなのか・・・」

コテージに戻った二人は、ソファで横になっていた。
あとは、夜があるだけだ。

「彼らが住んでいる場所は、そういう世間的に外れた奴らが集まってるところ。だから、誰にも公に知らせていないんだ」
「うん。それに関しては私は聞かなかったことにしよう。・・・おまえがそこに流れ着いたと聞いたが」
「マーサはおしゃべりだからな。変わってない」

それ以上、RQは話さなかったが、リヒャルトはRQの長い髪を指に絡ませて

「この髪が波間を漂っていたと考えると、綺麗だと思う・・・」

などと言った。

「せめて、自然なままの色で想像したいところだが」
「ん?!なに、占い師みたいなこと言ってんだよ」

毛フェチで有名なSSG占い師の面影がちらりと二人の間を通り過ぎていった。

「私は筋肉フェチを指摘されたことはあるが、毛フェチではない」
「・・・今の言動聞くと、疑わしいと思うぞ」

「おまえのこの辺が好きだ」

リヒャルトはそう言うと、RQの腕の内側を指で辿った。

「ひっ!むずがゆい!!」
「笑うな!」

リヒャルトの頭が脇の下に潜りこみ、RQのわき腹をくすぐる。

「笑うなって!!これはなんかの拷問か?!ひっひひひ!!」
「どこまで耐えられるのだろう?」

意外と真顔で冗談を言っているリヒャルトが怖い・・・。
さらに真顔のまま、手を止める気はないらしい。

「ひっ!!ちょ、ちょっとこれじゃ思いっきり、オレ受身じゃん!」
「たまにはいいのではないか。ところで、おまえは受身になったことはあるのか?」
「ん?!それ、答えたらどんな拷問が待ってんだよ?」
「・・・言いたくないなら言わなくてもいい」

手を止めて、RQのハーフパンツのゴムをパチンパチンと引っ張ったりしながら、リヒャルトは下を向いた。

「気になる?」
「・・・べつに」

そう答えたわりに、頬を膨らませているように見える。

ー可愛いじゃないか・・・ー

「まぁ、あるよ。ああ、ある」
「そうか」
「好奇心だけで・・もっとも、受身になるのはなんていうか・・・オレにとっては楽だからだ。それがわかって、自分からするほうになったというか・・・好きじゃなければ、こっちからはできないって思ったわけだ・・・うんうん、たぶん」
「おまえにしてはすっきりしない答えだな。私はおまえを襲いたいとは思わない。なぜなら、おまえは重そうだから」
「・・・そ、そこ?」
「重要だ」

じゃあ、ダイエットしたら、リヒャルトはオレを襲いたくなるのか?

RQがついつい聞こうとしたら、リヒャルトは先に答えた。

「しかし、たとえ、おまえが20キロくらい痩せても想像できない。つまりは想像できない・・・おまえを襲っている私という図が」
「それは重要だ」

立場に違和感を感じるというのなら、それは何者にも変えがたい自分の感覚というやつだ。

「ところで私は過去に結婚しようと考えたことがある」
「へ??!!初耳だぞ!!」

リヒャルトの爆弾発言を聞いて、RQががばっと起き上がった。
誰だ!相手は?!
詰め寄るRQを押しのけて、

「相手など決めていなかった。私が15歳のときだ。まだなにも知らなかった私は、婚姻届をだせば家庭がもてると考えていた」
「ああ~そういうことか・・ほっ」
「ところが、私はこの歳までとうとう誰とも交際しないままきてしまった。そして、おまえなんかと出会ってしまった・・・」
「よかったじゃねぇか」

ついと口を尖らせて、RQを睨み付けるリヒャルト。

「おまえは、女性と付き合ったことはあるのか?」
「・・・さぁ・・な。ないけど」

先ほどとは違って、RQは視線をそらした。

「私は、何も知らないまま、おまえに抱かれている」
「オレとしては嬉しい限りだ。それとも、やっぱりリヒャルトはオレを攻めたいのか??」
「そうではなくて・・・おまえのほうがなにもかも知ってそうで・・・くやしい」

やはり、ぷぅと頬を膨らます様子を見て、RQはリヒャルトを両腕で持ち上げて、自分の上に乗せた。

「なんなら、襲ってみるか?違和感があっても一度試してみる価値はあるんじゃないのか?」
「変な感じだ」

そう言って、リヒャルトはRQの肩口に顔を埋めてみたが、

「気持ち悪い」

と、身体を起こした。

「オレ・・・落ち込んでいいか?」
「おまえのことが気持ち悪いわけではない」
「・・・そう願いたい」
「やはり違和感があるということだ」

リヒャルトはRQの代わりに、クッションを抱きかかえて横になった。
そうして、RQに手を伸ばして引き寄せる。

「ん?」

指先でピンク色の髪を梳かれるごとに、RQは少しだけ首をふって、くすぐったそうな笑顔を見せた。

「?」
「どうした?」

リヒャルトの手が止まっている。

「・・・これ?」
「ん?」

RQのこめかみの部分に小さな古傷の痕がある。
どんな傷もたちどころに直る特異体質のRQに傷が残るとは・・。

「おまえは最近怪我をしたか?」
「へ?記憶ないけど」
「・・・なら、いい」

本人は気づいていない・・。

しかし、それは小さいが深い傷だった。こめかみに深い傷を負うと、多量の出血が見られる。
最近の傷なら、間違いなく覚えているだろう。
それなら、これはだいぶ前に負った傷ということになる。

「ここに・・・傷跡がある」
「・・・あ、そうか」

なにごともなかったかのようにRQは答えた。

RQの過去。

傷が治る体質は、後天的なものか?

この傷は、それ以前のものなのだろうか。

リヒャルトがそんなことを考えていると、頬を大きな掌が包み込んだ。

「前にも言ったけど、リヒャルト、あんたには目の前にあるものを信じてほしい」
「おまえは、RQという奴だ。私は・・・」
「オレの秘密、はっきり言って、それを知って誰も幸せになんかならないんだ」
「でも、それではおまえは・・・」

RQの存在があまりにも希薄すぎる。
本名も、誕生日も、生まれた場所も、人種も、国籍も、何もかもベールに包んだままで。
人は、これと決まった自分があるから、安定していられる。
人は、たえず誰かにならなければ、生きていけない。
SSGにも過去を持つものは多い。
本名を捨てた人間、家族、知り合いを捨てた人間、故郷を捨てた人間・・・。
それこそ無数に見てきたが、なにもかも捨てた人間など見たことがない。

「オレはある時から、RQとして生きることを決めた。いや、決めたというより・・・オレはRQ以外の何者でもなかった。だから、リヒャルト・・・オレはここにいる」

硬い胸に押し当てられた手をぎゅっと握り締めて、リヒャルトはRQの心臓の音を聞いた。

「ああ、おまえはたしかに生きている。私が触れられる。おまえ以外の何者でもない」
「ありがとう」

RQもリヒャルトの胸に手を当てた。

トクントクンという音と共に、わずかな振動音が聞こえる。
半身の機械が鳴いているのだ。

「おまえも知っているとおり、私は人間ではない」
「そんなことないだろ」

胸に押し当てられていた手が頬へと上ってきた。

「人間じゃなきゃ、こんな顔できるもんか」
「私はどんな顔をしている?」

「強い決意の顔」
「・・・それは、私の弱点を言い当てた言い方だ」

リヒャルトの冷たい手がRQの唇をなぞる。

「あんたは、痛みを切り捨てない。痛みを受け止めたまま生きることができる人間だ。その強さにオレは惹かれる。・・・惹かれちまったんだ。自分の決意以上に」
「・・・おまえは、本当に嘘がつけない奴だな」

リヒャルトはRQの唇に自分の唇を重ねた。

「私は、たとえおまえが何者であっても、受け止める。たとえ、それが耐え切れないほどの痛みでも・・おまえが今抱えている痛みに比べれば・・その優しさはおまえを苦しめている。それくらい私にもわかる」

一つしかないグレーの瞳が、スカイブルーの瞳を覗き込む。

「リヒャルト・・・・」

ふと、出掛かった言葉をRQは飲み込んだ。

ー綺麗だ・・・って、ずっと言いたかったー

これは、リヒャルトを知っている誰かの言葉。
だが、このリヒャルトなのか。
はたしてわからない。
しかし、このリヒャルトであってほしくない。

そう、オレはリヒャルトに出会うのを恐れていた。
そして、惹かれるのを恐れていた。

誰とも知れないリヒャルトを傷つけてしまうのなら・・・。
正体を明かすことはできない。

それなのに、固い決意は脆くも崩れ去った。

リヒャルト・・・その名の人間に惹かれるとは思っていなかった。
皮肉なことに、抗いがたいほどその人間は魅力的だった。

「ただ・・ただ、オレはリヒャルトを愛している」

ー出会えて、よかったー



黙って、リヒャルトはRQを抱いていた。





まだ深夜だ。

そっとベッドから降りたRQは、姿見の前に立った。

男の体がそこには映し出されている。

リヒャルトが先ほど言っていた、こめかみの傷を確かめた。


ーまさか、これが直接の死因ではないだろうが・・・ー


もう一度、自分の姿を見る。


ーおまえを憎んだこともあった・・・ー

ーでも、今は違うー

「すまねぇ・・な」

そして、ベッドを振り返った。

そこには愛する者が横になっている。

ーオレは、RQとして生きていく。そして、あいつと生きてやる!ー

リヒャルトの意思は固い。
おそらくは、自分以上に。
揺るがない強さがある。

ー出会えてよかったー

胸に秘めた意思を、もう一度掴んで、RQは姿見をもう一度見た。

そこに写る2つの己の姿。


ーこうなったら、運命ってやつに徹底的に抗ってやるー


RQは己の姿を握りつぶした。