―輪舞―
「とうとう、陛下が死にかけたってよ」
バルッサンは、テラスで腰掛ける後姿に声をかけた。
「ふ・・御いたわしいことだ」
アランソンの言葉には、嘲りともとれる微笑が含まれている。
「手首をぐっさり、だってさ。古代の風習かね。こわいこわい」
「手首をね…それでは死ねないな。よっぽど剣でもあてて動脈を切り裂かないかぎりはね」
「冷静に言うなよ。アランソン!」
アランソンは、顔色さえ変えずに淡々と話す。
「つまりだね、陛下は死なない。死ねないよ。めったなことでは」
「なぜだ?」
不服そうにバルッサンは鼻を鳴らした。
そんなバルッサンをちらりと見て、アランソンは笑いながら答えた。
「本当に死ぬ気があるのなら、動脈を切り裂くよりも、窓から飛び降りるほうが楽じゃないか。
昔の貴族は、美しく死ぬために手首を切ったのであって…それも死ななければならない状況に立たされた時の行為だ。つまり自主的に死ぬ気はなかったのだね。だから見栄なんか気にしたのさ。”本当に死にたい”なら、わざわざそんな面倒な事しないだろう。」
「なるほど」
バルッサンはわかったように頷いているが、中身はそれほどわかっていないだろう事を、アランソンは知っている。
「だから、手首なんて切る連中は中途半端なのさ」
弱い奴らだ。とアランソンは吐き捨てるように言った。
「では、陛下は…」
しばらくして、バルッサンが口を開いた。
「お亡くなりにはならないだろう。いつまでたっても」
「そりゃ…」
あの王弟を連れてきた意味がなくなってしまう。
「もしかしたら、王弟よりも長生きするかもな!」
とアランソンは笑った。
「…っ!」
「おっと、その先は禁物だ」
口を開きかけたバルッサンを、アランソンは制止した。
「僕は優しいからな。残酷な話は聞きたくないよ」
バルッサンは黙って頷くと、アランソンに背を向け、テラスから去った。
「まぁ機会など、何時でも訪れるだろうに…くだらないことだ」
たとえ、バルッサンが国王暗殺を企てたとしても…。
成功すれば面白いが、失敗すれば考え事が増える。
まぁ、歳は同じ頃としても、バルッサンは出来の悪い男だ。
何事にも短慮に過ぎる。
だから、反面、使いやすいともいえるのだが…。
成功したら、一番最初に遠ざけるべき単純な存在。
ああいう男が権力を持つと、ろくなことにはならない。
失敗したら、遠ざけられるだろう。強制的に。
バルッサンは貴族というものに特別の思い入れがあるらしい。
自らも貴族のくせに。
バルッサンが心の奥では自分が敬服できる存在を望んでいる事を、アランソンは知っている。
あの少年、ジュールが国王になったら、奴は喜ぶのだろう。
仕えるべき存在を見つけて。
だが、そういう生き方は、結果的に軋む部屋の中でダンスを踊るようなものなのだ。
外が嵐なのにも気づかず、部屋が崩れ始めている事に気づく様子もない。
最後に待っているのは、自ら手首を切り裂く事を強制されるような運命だ。
「国を動かすというのは、そんな甘いもんじゃないんだよ」
憧れや、忠誠心だけで成り立つ国などないのだ。
騎士道を貫くのは、政事が見えない下っ端だけでいい。
初めてジュールに出会った時の事を話すバルッサンの顔を思い出しながら
「まったく、くだらない事だ」
とアランソンは呟いた。
「陛下が死にかけた」
「あれから、何度となく…」
「御いたわしい。ご両親を亡くされた悲しみで…」
「いや、むしろ王弟の存在が」
「シッ!声が高い。ほら…」
-王弟殿下がお通りになる-
ジュールは、周りを若い取り巻きの貴族達に囲まれながら、回廊を進んだ。
これから、某婦人のサロンに招かれているのだ。
-ここは、ここで、面白いが…-
自分の事を噂していたと見える人々に笑顔を向けながら、ジュールは思った。
-わずらわしい場所だ-
この宮廷内で、異質なのは国王だけ。
本来中心にいるべきあの人が、まわりから浮いて見えるのは、あの人が純粋すぎるからだろう。
なぜ、彼の両親は彼をあのように育てたのか。
この陰謀渦巻く憎悪の巣窟で。
自分と母を捨てた、父国王という人が、どういう人なのかはよく知らない。
周りの者から言わせると、大変ご立派な王様だったそうだ。
そんな事はどうでもよいし、いまさら興味もないが、あの兄がどうしてあのように生きているのかは興味を惹かれる。
-どうして、そこまで死を願う-
-そんな…いつも悲しみをこめた瞳をして-
-私のせいなのか-

恨むのなら、憎むのなら、そうすればよいものを…。
そんな当然の事を覚悟してやってきた身なのに。
それ以外に、生きる道はたぶんなかったから…。
…なのに、どうしてあなたが死のうとするんだ。
あの時の深い吐息と共に吐き出された言葉。
-「助けて」-
という声が今も耳から離れない。
「アルキュード殿下。いかがなされましたか?」
一瞬苦しげに目を閉じたジュールに、某婦人は語りかけた。
「いえ、なんとなく風が冷たく感じられまして…」
「まぁ、これは失礼を!」
窓を閉めておくれ。と、某婦人は召使に命じている。
-あの人を見ていると、苦しくなる-
兄の顔を脳裏に浮かべながら、ジュールは思った。
私の手を振りほどいて、怯えた顔で…去っていった。
心の底から振り絞るように、涙を流して…。
私が傷つけたのか。
そんなつもりじゃなかったのに…。
ただ…ただ…。
そういえば、以前にもこんな思いをしたことがある。
たしか、あれは…。
ジュールが下を向くと、カップに注がれた紅茶の中に自分の顔が映っていた。
肩が突然重くなった。
何も乗っていないはずなのに、骨ばった指の感触。
「いいですね、このように答えなさい」
耳元に聞こえるしゃがれた声。
頭に鋭く響く金属音。
貫くような痛みがジュールを襲った。
「アルキュード殿下?!」
俯き顔を覆っているジュールを見て、婦人は悲鳴に近い声を上げた。
「どうかなさったのですか?ご気分でも?」
「いえ・・いえ、大丈夫です」
「もしよろしかったら、こちらで少しお休みになられますか」
「本当に大丈夫です。実は、昨晩、セリヌーヴの日記を読んでいて、すっかり夜更かしをしてしまって…。すみません。ご心配をおかけしてしまって、お詫びいたします」
ジュールは、そう言って笑顔を浮かべた。
「ああ、それなら私も読みましたわ!今、イルミーネの貴族はあの本の話題で持ちきりですわね。作者の豊富な知識には、まったく驚かされるばかりですね・・ホホホ・・・」
某婦人は、機嫌をよくしたようだ。
その後も、イルミーネの貴族文化についてジュールと語った。
-しかし、まだ痛みが消えない-
また、夜会の夜が訪れた。
トトの姿は見えない。
二番柱の裏。
あのカーテンの内側で、彼は何を思っているのだろう。
私は、もう二度とあの中に入ることはできない。
私の存在が、あの人を苦しめるのだから。
初めて会った兄弟というものなのに…。
こんなことを考えるのは、おかしいとジュールは思った。
憎まれて当然だと思っていたのに。
それに、これまでずっと、もう一人の兄弟を認めないように言われ続けてきたではないか。
「あなたは、イルミーネ国王陛下のただ一人の御子」
「あんな身分の低い女の子供など認めない」
「あなたこそ、正当な王位継承者」
どうでもいいことだと思って聞いていた。
何時まで待っても来ない父の事など…。
国の事も、兄の事も。
それなのに、なぜ今こんなに気になるのだろう。
あの涙に濡れた兄の瞳が、悲しい声が…。
「アルキュード殿下、今宵は誰のお相手をなさるの?」
周りを見ると、貴族の婦人達が集まってきている。
「まだ…今宵はどういたしましょうか…」
ジュールは微笑んだ。
そして、もう一度、二番柱を見た。
この手は、もう届かない。