-兄弟-

―狂騒曲―

イルミーネ宮廷内、バルッサンの控え室には数人の若い貴族達が集まっていた。

「で、どうするバルッサン」
「今夜中に片をつける」
「性急すぎるのではないか!いくらなんでも…」
「期を逃しては、いつまでたっても事態は変わらないのだ!」
貴族達の中央に立つバルッサンは声の調子を上げた。

「しかし…」
怯む数人の前で、バルッサンはその大きな体躯を動かし、彼らの姿を覆うように前に乗り出し、口を大きく開いた。
「終わってしまえば、全ては正当化される。そういうものだ。歴史というものは」
幾人かが、首を縦に振る。
そして、また誰かが言った。
「しかし、失敗したら我らはどうなる?」
「大逆罪だろう」
バルッサンの声に、一同は静まりかえった。
「しかし、私はイルミーネの一貴族として、国の安定のためには命を惜しまない!ここにいる同志たちも、同じ気持ちでいてくれると信じている」

一同から、おおっ!と声が上がる。

「成功すれば…」
先ほどの貴族が今一度問うた。

「我らがアルキュード殿下が王位に就かれるだろう。あの愚か者共、改革論者達を一掃できるぞ!」

その声に、再び部屋は熱気に包まれた。


「我らの国のために、私はあえていかなる罪をも犯そう。我らが滅んだとしても、この行動はいつか同士のためにもなろう!」

異常なほどの熱気が一室を支配し始める。
今、この場で流れに逆らえる者などいないだろう。
そこで、全員にシャンパングラスが配られた。

「我らの国のために!」

一同は叫ぶと、シャンパンを一気に飲み干し、手にしたグラスを床に叩きつけた。
クリスタルが砕ける音。
粉々になった光の破片を踏みしめながら、バルッサンは言った。

「もう、後戻りはできない!」



-なにか、おかしい-

ジュールが感じたのは、夜会での人の流れであった。

そういえば、今夜は若い貴族達…。
いつも取り巻きのようについているバルッサン一同が見えなかった。
その時、ジュールは視線だけで”ある人物”を探した。

アランソン・クルーレ…。

白く綺麗に切りそろえられた髪が斜め前ほどを横切った。
どこぞの夫人と笑顔を交えながら、談話している。

彼らの動きを知っているのは、彼だけだ。
そのくらい、見抜けていたが・・・。
しかし、アランソンには何の動きもない。

-思い過ごしか…-

だが、ジュールは自室へ戻る途中で、そのうちの一人を発見した。
なにやら、そわそわと回廊内をうろつきながら、まわりの様子を伺っているようだ。

-何をしている?-

自室に戻ってからも、何やら人の出入りが少ない。
毎日のように、夜遅くまでいた人々の姿が見えない。

「少しいいですか…中庭が見たい」
部屋にいた女官にそういい残し、ジュールは外へ出た。

ここから、国王の寝室が見える。
まだ灯りがついている。
ふっと、光が消えた。

-兄上-

何やら胸騒ぎがして、ジュールは鏡の間の方角へ急いだ。
鏡の間に入ったところで、不安はさらに高まった。

-人が少ない-

通常、鏡の間には絶えず見張りがいるはずなのだが…。
無人のホールを駆け抜けると、国王の居住区に入る。
最奥に王の寝室が。

-おかしい、誰もいない-

しんと静まり返っている、真紅の廊下。
背筋に冷たいものを感じて、ジュールは懐に入れてある護身用の小刀を握り締めた。

-王の寝室-

大きな扉の向こうには、あの人がいるはずだ。
まだ何も起こっていない事を祈りつつ、ジュールはその中に忍び込んだ。

小さな部屋ほどもありそうな寝台。
重層感のあるタフタ織りのカーテンの中に、人の気配…。
寝台の中に一つ灯りが灯っている。
カーテンの内側の影がわずかに動いた。

-兄上-

ジュールは、カーテンの中に滑り込むように入った。

「誰?」
トトは、こちらに顔も向けずに尋ねた。
ジュールは音もなくトトに近づくと、さっとその身体の上に跨り、驚いて目を見開くトトの口を手で塞いだ。
「ジュ…!」
トトは何か言いかけたが、やがて瞳をゆっくりと閉じた。

「殺しに来たのか?」
恐ろしく静かな口調で尋ねるトト。
「私が恐ろしくないのですか?このような事をしている私が…」
この事態を知らせる前に、ジュールは…兄を知りたかった。

掴めそうで、掴めないこの人物を。
だが、初めてまともに二人きりで交じ合わす会話が、このようなものだとは。

「恐い?恐くなんてないよ…」
トトは微塵も動かない。

あの時、私を拒否して立ち去ったのに…。
この人を恐れさせるものは、死ではないのか?

ジュールは懐に隠していた小刀を出し、トトの首元に当てた。
「こうしても?私があなたを殺そうとしても?」
「だって、おまえが殺してくれるのだろう。早く死にたい…」



私が殺さなくても、この人は今、命を狙われているかもしれないのだ。
その事を知っているのか?

トトは身動きをしないまま、抵抗する様子を一切見せない。
ただ…
口元がほんのわずかに震え、瞼から雫が一粒、零れ落ちた。

「私よりも、おまえの方が王位に相応しい。良い王になっておくれ…皆の事をよく考えて、導いておくれ。おまえならできるだろう。私の弟、ジュール…」

ジュールの脳裏に、今、目の前に存在している兄が、臣下達に無残に殺される様子が描かれた。
この人の、髪が、顔が、身体が、血に染められて、口は絶望の叫びを発し、永久に動かなくなる。
今、聞こえているこの声も心も消滅する…。
私が触れている全てが、奪い取られる。

その代わり…私に王位が…。

知りもしない父の位が、この頭上に舞い降りる。
この人が、おそらくは慕っていたであろう父の地位が。

ジュールの表情が一瞬曇った事に、目を閉じているトトは気づかない。

「なぜ、そんなに死を望まれるのか?」
わかっているのだろうか、この人は、死の意味を。
ジュールは手にした小刀を固く握り締め直した。

「私は、母上を殺した」

だが、トトの声が耳に入った途端に、ドクン!と突然ジュールの頭の中で重い音がした。
断続的に聞こえてくる高い金属音が鼓膜を突き破りそうだ。
思わず耳を押さえた。

「結果的に、父上も…全部、私のせいだ…」

振り絞るような声で、トトは声を発した。

「だから、殺してっ・・・!」

嫌な耳鳴り。
頭が割れそうだ。

「ジュール?!」

カラン・・と音がして、小刀が落ちた。

「くっ!」
ジュールは頭を押さえて、苦しげに汗を浮かべていた。
「大丈夫か?」
「…何でもありません」
「どこか痛いのかい?」
「…大丈夫」
ジュールは苦しげな表情を解いて、微笑んだ。
脂汗をかいて、固い表情のまま、不自然な笑顔をトトに向ける。
「ジュール…」
「もう大丈夫」
トトは、その口調を知っているような気がした。
青白い色の不自然な笑顔も、以前どこかで見た事がある…。

トトが何かを思い出したように顔をあげた時、ジュールはトトの上から降り、カーテンを開けた。
部屋の扉がほの暗い中に見える。

ジュールがトトを振り返った。
何も言わず、兄弟はただお互いの姿を見つめたまま、数秒が過ぎた。


ふと、ジュールが言葉を発した。
「兄上。私は、王位を継ぐ気はありません」
「なぜ?!」
ジュールの言葉に、トトは戸惑いを隠しきれない。
彼は、そのためにここへ連れてこられたのではないのか?

なのに、なぜ?

「たとえ、あなたに命じられてもごめんだ。そんな役目などに就きたくはない。
第一、命をかけるほどの価値があるとも思えないのでね」

そこで、ジュールはニヤリと笑った。
今まで見せてきた、どの表情とも違う顔で。


「だから、さよなら…トト」


カーテンの揺れが収まる前に
静かに扉を閉じる音だけが、聞こえた。




ジュールは、何を言っているのだろう。
まったくわからない。
それに、”さよなら”なんて…。

「ジュール…」

トトは口に出して、彼の名を呼んだ。
弟といえど、いまだ、まともに口をきいた事もなかった。
彼がどのような人物で、何を考えているのか、何を想って生きているのかも知らない。

敵ではないのか?

トトの頭をよぎったのは、それだった。

それなら、なぜ私を傷つけるような行為を?
どうして、刃を向けたのか。

しばらく、眠れなかった。




だが、やがて何やら外が騒がしくなって…。

「陛下!」
部屋に駆け込んできたのはセバスチャンだった。
寝台のカーテンを振り切り、寝ているトトを抱き起こすと、息を切らし額を赤くした彼は叫んだ。
「御身ご無事か!」
「何事か?こんな」
言いかけたトトの身体をセバスチャンはきつく抱きしめた。

「よかった」

一度、大きく息を吐いて、セバスチャンは安堵の表情を見せる。
「どうしたのだ?」
「陛下の身に危険が迫っているようだと…手紙が」

ジュールだ!
直感的にそう思った。

「こちらに、不審な者数名を発見しました!」
知らない男の声が廊下から聞こえる。

「よし、連れて行け!それと、陛下に数名の護衛を」
「はっ!」
人々がせわしく動く音。


まるで、この夜に自分が殺されていたかもしれない事など、想像もつかないくらいに淡々と物事は進んだ。

バルッサン以下数名の若い貴族達の逮捕。
実行犯の下男は、すぐに口を割った。

国王暗殺を企てた罰として、彼らは皆、死罪だ。
しかし、貴族という事もあり、名誉のため自死を持って償う事となるだろう。
文字通り、手首を自らの手で切り裂く行為を強要されて…。



「やめておくれ!」
トトは叫んだ。
「しかし、陛下。大逆罪…王家に仇なす者は死罪と決まっております」
セバスチャンは言った。
「私一人のために、誰かが死ぬなんて許さない」
「では、処分はどう・・・」
「追放しろ!」
「彼らは、また陛下の御命を狙うかもしれませんぞ」
「何回狙われたって、かまわない。彼らを殺るのなら、私も死ぬ」
「そのような…」
セバスチャンは声を濁らせる。
ここまで、この国王陛下が頑なだとは思わなかった。

「私とて、母を殺した。彼らと同罪、もしくはもっと重い罪であろうが」
「・・・」
しばらく黙った後、セバスチャンは溜息まじりに口を開いた。
今、ここで国王に変心を願うのは無理だろう。

「この件に関しては、亡き国王陛下も見直しを検討されていたところですから…そのように計らいましょう」
そう言いつつも、セバスチャンにはわかっていた。血気にはやった若い貴族達の末路が…。
だが、こうなった以上、彼らが自らの道をどう進もうが、もはや何のかかわりもない事だ。
国王には黙っていよう。

「必ず、そのように図っておくれ。セバスチャン」
トトは、訴えるような瞳で目の前の臣下の手を握り締めた。
「それと、アルキュード殿下の事ですが…」
躊躇いがちにセバスチャンは口を開いた。

「あ・・」

ジュールは、あの夜以来、姿をくらました。
国中どこを探しても見つからない。

「アルキュード殿下をこの城にお連れしたのはバルッサンです。恐れ多いことですが、もしや…」
「ジュールが、私の暗殺に関わっていると言いたいのか!?」
「…」
「それはない」
俯くセバスチャンだが、トトの言葉に顔を上げた。
「なぜです?」
「なぜって…彼は、あの直前まで私と話をしていた。まさか、殺そうとしている相手のところへ一人で赴き、話などするだろうか。大の大人が数人がかりならともかく、彼一人では、抵抗することも考えられるのではないか」
「警戒を解くためという事もあります。陛下に油断をさせて、より計画を実行しやすくするように」
「それも、ありえない」
「どうしてですか?」
「だって…」
私は、彼を敵とみなし警戒心を抱いていたからだ。

「私は、兄弟とはいえ、ジュールと…今までまともに口をきいた事がなかったのだから。
そのように慣れ親しんだ覚えはない」
「では、アルキュード殿下はどのような理由でここへいらしたのですか?」
「父上の事を…教えてほしい…と」

背中を冷たい汗が流れる。
そういえば、彼は父上の事をどう思っているのだろう。

「ならば、もう結構です。しかし、アルキュード殿下の捜索は、表向き取り止めさせていただきます」
「なぜだ、セバスチャン」
「アルキュード殿下が見つかったとして、また同じことが繰り返されるかもしれません。
その時、アルキュード殿下がまったく関係だとしても、非常に不利な立場に立たされることもありうる」
「…」

「もし、アルキュード殿下御自身が、公式に継承権を放棄するような発言をなされば別ですが。もっとも、あの方には正式には継承権などございません。たとえ、前国王陛下の御血筋だとしても、それを認める正式な文書がなければ認められないのです。しかし、今回の事でもわかるとおり、まわりの者は印象だけで物を捉える事もございます。人の思い込みほど、恐ろしいものはございませんからな」
「ジュールが見つかったら、すぐに放棄させるよう命じればよいではないか」
「それは、ご本人が納得されるかどうかという問題と、時期の問題があります」

ジュールは、あの時「王位を継ぐつもりはない」と言った。
…ならば。

「なんにせよ、あの方が戻られるには早すぎるのです。騒動が忘れられた頃にお戻りになるとよいのですが・・・」

永久に見つからなければよいが…。
心の中だけで、セバスチャンは思った。
争いの種は、できるだけ断ったほうがよい。

それにしても、アルキュード殿下はどこへ消えたのか。
もしや、どこかの改革反対貴族の屋敷に匿われでもしているのではないか。

「表立ってではないですが、捜索は続けます」
「わかった」




セバスチャンが退出した後。
トトは寝台に横たわった。

あの時、確かに弟は私の上に乗り、私に刃を向けた。
…なのに、セバスチャンに危機を伝え、一人姿を消した。

「ジュール」

未だに彼を掴むことができないでいる。
あの時の不自然な笑顔は、恐ろしいほど父上に似て…。
父上も病で倒れられた時。
同じような青白い顔で、同じような口調で「大丈夫」と言い、笑顔を向けたものだった。

父上は、ジュールの事をどう思われていたのだろうか。
そして、ジュールは…。
二人とも、あんなによく似た苦しげな笑顔を作って。
おそらくは、生前ほとんど顔を合わせる事もなかったはずなのに。

父上は苦しまれていたのだろうか?
ジュールは苦しんでいるのだろうか?

「ジュール」
もう一度、名を呼んだ。
―どこにいるの?もう一度会って話す事ができたら!―
でも、あの澄んだ冷たい瞳を見て、私は果たして何か言えるだろうか。
彼は、まだ未知の存在で、それ故に恐ろしくも、また知りたくもある。

―会いたい!―

窓から外を見ると、花の蕾が開きかけている。
イルミーネ国に短い春が訪れようとしていた。


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