-流転-

―夜の向日葵―

「放して!」

路地裏から聞こえた悲鳴。
トトが駆けつけてみると、女が一人、男に腕を掴まれていた。

「いいだろ?ユン。今日限りなら今夜も楽しませてくれよ」
「だから、もう商売はやめたっていっているだろ!」
「最後だって言うなら、サービスしろよ。おまえの身体で!」
男は酔っているようだ。

「放して!!」

女は抵抗しているが、男の腕を引き剥がせない。

「やめろよ…」
トトは静かに男の腕を捻り上げた。
「ぐわっ!」
男は悲鳴を上げる。

「何だ、キサマ!」
「嫌がってるだろ。乱暴は…」
「うるせぇ!」
酒臭い息にトトは顔を顰める。

「きみ、逃げなよ」
「でも…」
「遠くにいきな!私は大丈夫だから」
女は、さっと長い黒髪を翻して逃げていった。

「なんで、あんな商売女の肩を持つんだ?この野郎!」
「おまえが乱暴をしようとしていたから。それだけだ!」
一瞬のうちに、トトはあいての懐に入り込み、腕を背中側に捻じ曲げて、剥き出しになった首筋に手刀を当てた。
「っ!!」
男は、失神してバタリと倒れた。


しばらくすると、先ほどの女が壁の後ろから顔を覗かせた。

「大丈夫?」
「きみこそ逃げなかったの?」
「だって、ほっとけないよ。それに、あんな事は慣れてるから…」
女は髪をかきあげた。
きつい大きな瞳が、夜の闇に輝く。
童顔だが、美人だった。
どこかツンとした様子は、猫のようだ。

「あんたどこの人?」
不躾な質問に、トトは
「最近、来たんだ」
と答えた。

「ふーん、同業者ってわけね」
「え?」
言っている意味がわからないと言うふうに首を傾げると、女は言った。

「あんた、男娼だろ?そういう匂いがする」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

彼女の名前はユン。
数年前から、この街を流している売春婦…だった。
昨日限りで足を洗ったという。

トトを屋台の店に連れていき、礼にと食事を奢ってくれた。

「あんたは何年くらいこの商売してるの?」
「え・・私は…」
男娼じゃない・・とは言えない。
だが、先ほどまで知らない男の腕の中にいた。

それを求めない人となら、誰とでも寝ることができた。
それにはまだ恐怖心がある…。

それをしたら、自分の何かが変わってしまいそうで、怖かった。

今まで寝た誰にも愛情を覚えなかった。
本当は、心から愛する誰かと満足いくまで愛し合いたい。
そういう相手になら、全てを許してもよいと思っていた。
怖いと思っている行為さえも。

でも、実際のところ何を心の中で思っていても、やっている事は男娼と変わらない。
同性を求める本能の欲求には逆らえない。
痛みの伴わない方法で快楽を追い、その見返りとして寝床と食事をもらう。
持金は、全て使い果たしてしまった。
もしもの時のために、服の裏側に縫い付けた宝石は、足がつきそうで金には替えられない。

名も知らない男たちと寝続けて・・・。
人が聞いたらどう思うかはしらないが、少なくとも赤の他人と寝るのは、知っている男と寝るよりはましに思えた。


たとえば、サンとか・・・・。


そういえば、サンは何をしているのだろう。
今頃は、ジュリエットと一時を過ごしているに違いない。
私の事などすっかり忘れて…。

ユンは、何かムシャムシャと食べながら、ケラケラと笑い話をしている。
夜の女特有の底なしの明るさ。
あんな目にあったばかりなのに。
職業柄だけではなく、彼女自身もざっくばらんな性格をしているのだろう。

「どっから来たの?生まれは?」
「ずっと西の方」
「そう!あたしは東から来たんだ。ちょうど真ん中で出会ったのかもね、あたしたち」
ユンは、大げさに手を叩いた。
「これからどこか行く当てはあるの?」
「行くとこなんかないよ・・帰るとこも・・・」
「じゃあ、あたしと同じだね。でも、あたしは行くとこはあるんだ」
ユンは地図を取り出し、指で道を辿り、印のついたところで止めた。

「ここでね、ちょっとした商売を始めるつもりなの。準備は整っている。
よかったら、あんたも来ない?どうせ行くとこないんなら、手伝ってよ。
女一人じゃ力仕事は手に余るかもしれないから」
「…」

さらに、見知らぬ街に…。
どうせ、帰るところもないんだ…。

誰も探しに来ないところからして、国も、サンも、自分を必要としていないのだろう。
イルミーネはジュールが治めているに違いない。

「いくよ。どうせ帰るところもない」



荷馬車を乗りついで、街から街へ。

彼女は、とてもいい旅の供だった。
途中で何かトラブルがあっても、機転をきかせて乗り切った。
物事をうまい方向に運ぶ才能があるようだ。
トトは、ふと懐かしさを感じた。

ユンは、たまにプイッと横を向く動作が誰かに似ていた。
子供の頃の、独特な響きを持つ彼の声に似ていた。
強気なところも明るいところも。

「ねぇ、トトって偉い人でしょ?」
唐突にユンが聞いた。
猫のような鋭い大きな瞳。
「そんな事ないよ、どうして?」
トトは内心怯えた。

正体がバレたら、旅が終わってしまう。
彼女とも別れなければないなくなる。
この思いは、昔もした事がある。

サンと初めて出会った時。

お互いに身分を知らないまま出会い、正体がわかってしまったら永遠の別れだと恐れた。
後で同じ立場の者同士だと知っても、それゆえの絶望感に襲われて。
しかし、そのたびに彼に救われた。

一番辛かった時期なのに。

母も父もいなくて、周囲に自分の存在を否定されて、行き場のない悲しさ怒りで身体中が裂けそうで。

一番幸せな時期でもあった。

サンがいたから。

「人ってさ、辛い時は神様が救いの大切さを教えてくださるものだよね」

トトが呟くと、隣でユンが神妙な顔で言った。
「そういうところが、普通とは違う感じがするのよ。あんたは」



翌朝。
目を開けると、眩しい黄色が飛び込んできた。

「わぁ!すごいね!向日葵」

荷馬車の進む道には向日葵畑がひろがっていた。
どのくらいの広さがあるのかわからないが、目に入る景色一面が太陽の色をしていた。

「降りる、ここで降りる」
「え?ちょっとまって、トト!!」

突然、荷馬車から飛び降りたトトを追って、ユンが荷馬車の主人に手で合図する。
「少しだけ待ってて、あの人・・・・連れ戻してくるから」
ただならぬ表情で飛び出していったトト。


ユンが見つけた時。

トトは向日葵を抱いて涙をこぼしていた。

「私の、向日葵…私の向日葵」
「あんた、この花好きなんだ・・」

ユンの言葉に、ちらりと視線をあげるトト。

ユンは

なんとも形容のしがたい表情を見た。
悲しさ、寂しさ…それらを超えた・・・何か。

狂気に近かったのかもしれない。

ユンは言葉を発するのを忘れた。

「私の…太陽…私の命…私がここに立っているのに、命はどこにある?
私がここに立っているのに、なぜ君がいない…どうしていない…」

トトは足元の大地を踏みにじった。

「なんでいないんだよ!!!」

向日葵の丈夫な茎を握り締めた。

折れる…

ユンはそう思った。

しかし、それは折れなかった。

「この愛おしさ、想いを、我が手で握りつぶせたらいいものをっ!きみは戻らない!」

そのまま地に突っ伏して泣き喚くトトの背中をユンは撫でた。


「愛していたのね…この花を」



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