―すれちがい―
「よぉ、今夜は一人かい?」
日焼けした風の逞しい男が声をかける。
アーサーは、今日もいつもの酒場を目指した。
今夜は、気分を変えて違うタイプの男でも引っかけるか。
彼は同性愛者だった。
こうした場でしか相手を見つけられないのはしょうがない。
社会的に少数派の彼らは、なかなか表の世界で開けっぴろげに恋人を探せないのが常だった。
そして、決まった相手を定めにくいのも事実だった。
いつ相手が表の世界に行ってしまうかわからない。
いつ…この境遇に負けてしまうかわからない。
そんな不安は人に猜疑心を植え付ける。
誰かと愛し合いたいだけなのに、どうしても長続きしない。
なら、こうして生きていくより他はないと決めてしまうしかない。
いつもの酒場は、こういう人間ばかり集まってくる場所だった。
さて、今日はどんな相手が見つかるのだろう。
・・・・・・・・・・・・・・
店に入ると、カウンターに見慣れない小柄な男が一人で座っていた。
童子型の髪。
いかにもそういう匂いがする。
アーサーは思う。
街で普通に歩いている男でも、そっちの男は嗅ぎ分けられる。
彼が自分の性的傾向を知ったのは、男が好きだというきちんとした意識よりも、同類を見分けられるようになってからだ。所詮は同じ穴のムジナと言ったところだろう。
さっそく、その男に声をかけてみる事にした。
「よぉ、一人かい?」
「…」
男は顔を上げた。
だいぶ酒にのまれているというのがわかった。
赤い頬に涙の痕。
「どうした?何か辛い事でもあったのか?」
「うぅ…」
相手が急に泣き出したので、アーサーはあせった。
-まるでオレが泣かしたみたいじゃないか-
「話なら聞くよ。ここが嫌なら場所を移してもいい」
男はこくこくと頷いた。
よろめく足取りで椅子から降り、アーサーの後ろをついてくる。
「大丈夫か?」
「大丈夫…」
道すがら、男はアーサーに縋りついてきた。。
そのまま、背中に腕を回してくる。
こうした事が慣れているようだ。
もしかしたら、新顔の男娼かもしれない。
「おまえさん、名前は?」
男は首を振った。
「名無しさんか?」
「名無しなの…」
呟いた声は、小さく震えていた。
「どこへ行くの?」
「ああ、オレのよく知っているところだよ。大丈夫」
こうした客を泊めてくれるホテルは限られている。
それが心配なのだろうとアーサーは思った。
明るい歓楽街から路地に入ったところに、一見喫茶店のように見える古いホテルがあった。
アーサーは、ホテルの入り口で、顔見知りのおやじから鍵を受け取り、部屋に向かった。
ドアを開けて後ろを向くと、付いてきた男は身体を強張らせている。
「大丈夫だ。乱暴はしないよ」
「…」
そっと肩を抱いて、部屋に招き入れる。
「シャワーを浴びるか?それとも?」
「シャワーを…」
男はそういうと、浴室に消えた。
「さてさて…」
一度ベッドに横になったアーサーだが、浴室が気になる。
ああしたタイプには積極的な演出が必要かもしれない。
彼は、その場に服を脱ぎ捨てて、浴室に向かった。
「誰?」
人の気配を感じたのか、中から声がした。
「一緒に入ろうか」
アーサーはドアを開けた。
驚いたような顔の男が見えた。
肉体労働などした事のないような、つややかな白い肌。
全体的に小作りな身体の線。
思わず、生唾を飲み込んだ。
「洗ってやろう」
アーサーが近づくと、男はビクリと震えた。
「優しくしてやるから」
じろりと怯えたような瞳でこちらを見てくる。
反応してやがる…。
アーサーは男の小さな身体を両腕で抱きしめ、身体を押し付けた。
男は、また震えた。まるで子犬のようだ。
「あんたもオレを洗ってくれよ、名無しさん」
強張る手を猛るものに押し付けると、男はその手をゆっくりと上下に動かし始めた。
「ああ、上手だ…もっとキツくてもいい…」
アーサーは男の顔を上げさせ、深く口を押し付けた。
しっとりと濡れた唇は、媚びるように何度も吸い付いてくる。
「あっ…はっ…」
男の舌が、アーサーの口内を嬲った。
―手馴れてるな、初めてみたいな顔しやがって…―
男はアーサーにしがみつき、足を絡ませながら、髭の頬を舌でなぞる。
「あんたすごくいいよ・・」
うっとりとした瞳で男が呟く。
息が上がる。
もう何度も男を抱いたはずなのに、こんな夢見心地の気分は初めてだ。
アーサーは、また深く男に口付けた。
「触ってよ」
男はアーサーの手を取り、自分の身体に押し付けた。
「そこ、摘んで。ねぇ、痛いほどこすってよ…」
妖艶な笑みを浮かべて、卑猥な言葉を紡ぐ口。
さっきとは別人のようだ。
赤く潤んだ瞳と、完全には消えていない悲しげな表情が、一層欲望をそそらせた。

たまに酒を呑むと妙な色気が出る奴がいるが、これはそういう部類だろう。
アーサーが要望どおりにしてやると、小さな声で喘いだ。
その部分をグリグリと虐めてみる。
「あ、やだ・・・っん」
ピクピクと素直な反応がかえってきた。
「なぁ、もういいだろ?」
早く、この男の中にぶちこみたい。
これは思った以上の上等な好き者だ。
だが、アーサーが男の足を開かせて、その部分に猛る物を押し付けると、男は急に態度を変えた。
「やだ!」
「ち、ちょっと待ってくれよ!そりゃないだろ!」
乱暴はしたくなかったが、力づくで閉じた足をこじ開ける。
「やだ!やめて!!!」
男は泣き叫びながら、抵抗をみせた。
「どうしてだよ?!」
「やめて、乱暴しないでっ…!」
「あんたもこんなに感じてるじゃないか」
「違う!こんな事…こんな事…私を好きでもないくせにっ…」
「…好きだよ」
「ずっと一緒にいてくれないでしょう。会ったばかりの男に声をかけて、抱こうをするなんて。
そんな事をするあなたは!」
「…」
ずいぶんと遠い所に来た。
汚い小さな街。
表通りは、ごく普通だが、裏に一歩入るとイルミーネでは考えられない光景が広がっていた。
娼婦、男娼、山師…いかにもそういった人々のたまり場となっている。
煙草と道端に捨てられた肉片の腐った匂い。
供と別れて、こちらの方面に来たのが間違いだったのか。
ジュールは溜息をついた。
浮浪者が一人近づいてきて、物乞いをした。
それを軽く振り払い、ジュールは上着をたたんで鞄の中に入れた。
この上等な上着を着ている限り、ここでは必ず誰かに物乞いをされるだろうし、金目当てに狙われる可能性も高い。
ためしに近くの飲み屋に入った。
信じたくはないが、もし、ここにあの人の手がかりがあるのなら、役人に聞くより、こうした人々のほうが情報を持っている。バストールのカルパッチョの店で学んだ事だ。
さりげなく座ると、すぐに「飲み物は?」と聞かれた。
期待もしていないので、適当に頼むと、まずまずのものが出てきた。
店の作りはともかく、質はそれほど悪くはないらしい。
やがて、席に人が座り始めた。
「ねぇ、あんた。これ食べた?」
隣に座る女性が、やけに親しげに話しかけてくる。
おそらくは、夜の商売の女だろう。
夕方に一杯やってから、店に立つのだろうか。
「これ、美味しいんだって!」
そう言いながら、一切れサーモンを飲み込む。
「あんた初めての人?それにしちゃ慣れてる感じだけれど…私も久々だからねぇ」
「ハハハ…そう」
女の言葉にジュールは自嘲気味に笑った。
いつの間にやら、この澱んだ空気が懐かしく感じてきている。
知らない場所なのに、溶け込んでいる。
思えば、とんでもない大人になってしまったものだ。
誰がこんなふうになる事を望んだのかは知らないが。
ふと、肖像画でしか見たことのない父の顔が浮かんだ。
―そうだ、あんたのせいかもな―
グラスに映る自分の顔を見て、ジュールはそれを睨みつけた。
父と私と…トト。
トト…。
ふとトトの顔が浮かんだ。
あの夜の泣きじゃくった顔が。
どこにいるんだ…。
グラスから目を離し、遠くを見た。
「あんた、どこから来たの?」
女が顔を覗き込んでくる。
それにしても、この女がやたらと纏わりついてくるこの状態を何とかして、本題を聞き出さなければ。
夜の女なら、この街に関する情報量も期待できる。
「西の方から・・・この店には、あなたの評判を聞いて来たんだ。前にも何度か来たけれど、会う事が叶わなかった。今夜、やっと念願が叶った。もう一杯呑む事としよう」
「本当?それどこで??まぁた嘘でしょ!」
こういう場所にいると、嘘が本当にもなるし、本当が嘘にもなる。
明日目が覚めたら、何もかも変わっている。
確かなものなど何もないと知る。
だが、こういう会話が身体の奥に染み付いている。
イルミーネ宮廷にいる自分は偽りで、ここにいる自分こそ、本当の自分なのかもしれない。
ジュールは思った。
「口から出任せはいけないといつも思っている。でも、今、言った事は真実以外の何ものでもない」
「初対面で口説き落とそうっての、優しいのね」
「優しさじゃ落とせないよ」
「ここじゃ、嘘は優しさで、優しさは嘘よ」
一区切りつけた。と、どちらも感じた。
「で、本当は何が目的?」
女は、醒めた様子で…しかし興味深そうな顔付きで聞いてくる。
「私は人を探している。知らないか、この辺で…」
「新顔って事?」
「そう…短い黒髪で、小さくて、脆そうで、でも時折妙に勝気な瞳をする、そういう男を」
「そうね…う~ん」
女は考え込んだが、いまいち思いつかないらしい。
「ところで、あんた探偵か何か?」
「まぁね」
「アハハ!ひどいわぁ!やっぱりあたしを騙したのね、あたしの評判を聞いたなんて、もう~」
「嘘は優しさだよ。あなたがさっきそう言った。私は優しく接しようとしただけだから」
「…ふーん、そう言う?…ちょっと待ってて、聞いてみるわ」
女はそう言うと店の奥に歩いていった。
しばらくして戻ってくると、神妙な顔付きで尋ねた。
「もしかして…ちょっと…ただの人探しじゃない??」
「どういう意味だ」
イルミーネ国王が失踪した事は一部の人間しか知らない。
この街に王弟という立場の自分を知っている人間がいたとでも言うのか?
ジュールの表情が曇った。
女は小声で言った。
「裏の店に…表向きは飲み屋なんだけど、出会う場所があってね、男同士が。
そこに新顔の男娼がいたって…どうも、あんたの探してる人みたいな容姿で…」
「ありがとう。じゃあ、これで…」
「ちょ、ちょっと」
テーブルに自分の分と女の飲み代を置いて、ジュールは店を出た。
とんだ見当違いだった。
また、違う街に行かなければならないだろう。
どこに行ったんだ…トト。
いつまでたっても、この手で掴む事が叶わない。
昔からずっとそうだった。
そばにいる時でさえ…。
歯がゆい思いを胸に秘めて、ジュールは街から出た。
「どうして途中でやめたの?」
アーサーの胸に顔を埋めながら、男は問うた。
「あんたがしゃがみこんで泣きだしたからだ」
先端を無理やりこじ開けた入り口に入れると、男が男娼などではなく、ましてや手馴れた男でもない事がわかった。
「どうしてこんな事したんだ。好きな奴にでも振られたか?」
すると男は首を振った。
「振られてなんていない。裏切られたんだ。それに、彼の事は好きなんてもんじゃない。
愛してた。でも、恋人じゃない、友達だったんだ」
誰より仲がよい
誰よりも大切な…
そういうと、男はまたすすり泣きはじめた。
「もう泣くな、泣くな」
声をあげる男をアーサーは慰めた。
「やっぱり好きだったんだろ、そいつの事」
アーサーの言葉に、男はピクリと身体を動かした。
「好きでも、好きじゃなかった。でも、彼を誰にも渡したくない。彼は私とずっと一緒にいるのが一番…」
「愛してたんだろう?それほど」
「違う!」
男は声を荒げた。
「違う!愛してた。でもそれは、恋人としてじゃない。友達としてだ!誰よりも大切な人だった」
「そうやって、自分に言い訳して逃げてんだろ?男を好きになる自分を否定したくて」
「違う!違う!男は好きだよ…でも、彼は別なんだ。身体を欲しいと思ったこともない。
私には別に恋愛感情を持った人もいた。でも、彼はずっと別なんだよ」
「独占したいと思った時点で、愛情じゃないか」
「そうじゃない、ずっと友達でいてほしかった。そして、永遠に二人でいたかった…」
そういうと、男は「サン…サン…」と泣いた。
好きな男の名なのだろう。
アーサーは男の身体を抱きしめ、背中を撫でた。
もはや、奪いたいとは思わなかった。
男は、しばらくすると「大丈夫?」とアーサーの身体を撫でたが、アーサーは反応しなかった。
アーサーが目を覚ますと、傍らに男の姿はなかった。
ぼんやりとした頭の片隅で、朝もやの中に浮かび上がる姿。
「私の名は…ごめんなさい」
そういえば、以前もどこかで男の姿を見たことがあるような気がしたが、昨晩あまり眠れなかったせいか、アーサーはそれ以上考えなかった。
彼は、二度目の眠りについた。