-流転-

―婚礼(上)―

部屋に入った二人は、初めて対峙した。

トトが人払いをする様子を見て、ジュリエットはわずかに怪訝な表情をしたが、つとめてそれを隠し通した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あらためてよく見ると、ジュリエットは本当に美しい。
今はイルミーネ国王の前で緊張しているのか、明るさや朗らかさは見えないが、優しさだけはどうにも隠しようがない。

―誰でも、この人を目の前にしたら、心が穏やかになるに違いない―

そう思いかけたトトは、ふと我に返り

-この女は、サングを奪おうとしているんだ-

と思い直した。


「陛下…もしやサング様の事で何か…」

彼女が図々しくもサングの名を出すのが気に食わない。
しかし、ここは冷静に話さなくては…。

「ジュリエット嬢。私は彼を心底心配しているんだ。なにしろ彼と私は幼い頃からずっと一緒で。
失礼ながら…あなたが知らない事まで、よく知っているものでね。
あなたが…こういうのもなんだけれど、傷つく前に教えて差し上げようと思うんだよ。
彼は、あなたが思うような人ではない。なにしろ、私の手に余るくらいだからね」

-しりぞけ-

トトの鋭い瞳が、ジュリエットを射る。

「そう、そうですわね。あの方は…。
トト陛下は、サング様をよくご存知なのでしょう。
だって、あの方の事をお話なさるあなたはとても幸せそうですもの」
微笑ましい顔でジュリットは答えた。

「え・・・」
予想外の言葉に、トトは言葉をつまらせた。

目の前にいるジュリエットに、どういうわけか友の顔が重なった。

-こまるんだよ…あいつ 手に余るくらい暴れん坊で、すぐに怒ったり、笑ったり
昔から知っていたんだよ。 あなたなんかより…-

-奪わないで-



「トト陛下…」

ジュリエットがそっとハンカチでトトの頬を拭った。
その濃い青の瞳が悲しげな色を映していた。

-あなたも、彼を愛している-
-そして、彼も…-

お互いの想いが交差し、共有に変わった。

ジュリエットはしばらく沈黙し、やがて口を開いた。

「周りの声がどのようなものであるかは存じております。トト陛下がその事でいらしたのも…。
私がサング様によくない影響を与えるのならば、私は宮廷を離れたいと考えております」
「それは…」

ジュリエットの静かな告白は、またもトトを驚かせた。
彼女の言葉に偽りがない事は、真剣な表情を見て明らかだった。
「なぜ?」
「サング様にご迷惑をお掛けしてしまう。
ヴィネ家の人間である私がおそばにいては、あの方の未来に傷をつけてしまうかもしれない。
王宮の望む人間ならば…あるいは…と」
「それは違う!」
トトは叫んだ。

「私の母上だって、王宮に望まれたんじゃない。でも私の父上は幸せそうだった。
だから、あなたも大丈夫だ。サンは、愛する者を見捨てたりする奴じゃない!」

言った後で、はっとした。
私は何を言っているんだろう…。

ジュリエットは一瞬驚いたようだったが、また静かな声で語った。

「トト陛下は、本当にあの方を信頼していらっしゃるのですね。
サング様は、いつもトト陛下の事をお話なさるのです。
最も大切な友だと。彼以上の存在を知らない。
自分自身と同じくらい…その差がわからなくなってしまうほど一緒にいると、おっしゃるのです」
「…」
「失礼ながら、私はトト陛下が羨ましかった。少し…嫉妬してました」

そう言うと、彼女は緊張の解けたいたずらっぽい笑みを浮かべた。

-サンが、そんな事を…-

私の友が、この人を幸せの対象として選んだのだ。
私は、彼の友人として…変えられない立場であればいい。
私は、彼が私の事を捨てようとしていないなら、目をつぶるべきなのかもしれない…。

「ジュリエット嬢。サンはああ見えても、結構デリケートで甘ったれのところもあるんだよ。
あなたにも、苦労をかけるかもしれないけれど、どうか彼を見離さないでおくれ。
あれは…私の大切な友達なんだ…」
「陛下…」
トトが、頬を赤く染めて視線をそらしたので、ジュリエットにはトトが照れているように見えた。

「トト陛下は、本当にお優しい方ですのね」

トトは、ジュリエットの言葉に負けを認めた。
私の憎しみと嫉妬にまみれた話を、うまく受け流し、このような運びにしてしまうなど…。

馬車の中でトトは苦笑した。

さすが、サンの認めた女性だけある。
あの人ならば、バストールの宮廷でもうまく立ち回れるだろう。
今の私よりも、彼女のほうが上手だ。

それを告げるために。
彼女を決して手放さないように、と伝えるためにトトはバストールの王宮に戻った。
友の部屋に。

大切なものが心の中に満ちてきた。

捨てられるわけがない時間。共に過ごしてきた時。
君はあの人を選んだが、私は女性を愛せない。
それがとても苦しい。

私は、どうしたら幸せになれるの?

私は、この先ずっと一人か?

この恐ろしい不安に耐えられるように。
耐えられたなら、きっと君と一緒にいられる。

私達の人生は違ってしまうけれど。

ずっと一緒にいられるだろう。何も変わらずに。
私は一人。
強く生きていくから。



ドアをノックすると、中から声がした。
「トト、どうしたんだ?」
トトは椅子に腰掛けると、向かいに座るサンに話をはじめた。
「ジュリエット嬢に会ってきた」
「なんだって!」
サングの顔色が変わる。
トトが何か言う前に、サングは口を開いた。

「おまえ、余計な事いわなかっただろうな!」
「いや、彼女は…」
「彼女におかしな事を吹き込んだら許さない!オレは、彼女と一緒にいるつもりだ。
おまえにもはっきりと言っておく、彼女とオレの間を邪魔する者は、たとえおまえでも許さない!」

トトの喉が、一度奇妙な音をたてた。

「サン・・」
「オレは、今から彼女を迎えにいく。この王宮に迎えるためだ。おまえが、誰が反対してもだ!」
「・・・・サン…」

トトが一点を凝視したまま身動きしないのを、サングはなんとも思っていなかった。
感情が昂ぶりすぎて、その変化に気づかなかったのだ。

サングは一人でしゃべり続けた。

「オレの気持ちは本物だ。どうせこの気持ちも、男しか好きになれないおまえにはわからないんだろうな!
冷たいトト!」

すっとトトが立ち上がった。
身体が小刻みに震えている。

「冷たい…?誰がこんな私を望んだ?…冷たいだって…」
トトの声が低く呻いた。
近くにあった大きな壷を抱えると、両腕で高く持ち上げた。
「おい…何するんだよ?」
「…」

-ガシャン!-

サングの目の前で、陶器の破片が舞った。

一瞬、時が止まったようだった。

「何するんだ!!」
トトは肩で息をしている。
殺気だった空気がその場を支配した。

「これ、すごい高級なもんなんだぞ!弁償しろ!!」
その叫びに、トトは懐から皮袋を取り出すと、サングに投げつけた。
「がっ!」
それは、見事に彼の頬に当たって落ちた。
「ふざけるな!」
「うるさい!」

一喝して、トトは部屋を出て行った。
怒りのあまり、真っ赤に腫れた目からは涙が零れ落ちていた。



「あいつ…なんだよ」
今日はなんだかめちゃめちゃだ。
トトが来て、トトが去っていった。
いつものとおりなのに。

サングの前には、木っ端微塵に砕け散った陶器の破片。
呆然とそれを足で潰しながら考えた。

昔もこんな事があったな…と。

あの時、「弁償」してほしかったものは何だったか。
トトがとても大きな皮袋を差し出したのを憶えている。
硬くこわばった顔で…それからあいつ何したっけ…。

破片が細かい砂になるまで、踏み続けた。

ふと、正気に戻ったサングは部屋を飛び出すと、人を呼び「馬を引け!」と命じた。

-一つくらい、まともに守らないといけない-

トトとジュリエットの顔が交差する。

-ジュリを失うわけにはいかない-

彼女の優しげな笑みが浮かんだ。

-わかってくれるだろう、トト-

トトは無表情なまま、じっとサングを見据える。

-ずっと前から、わかっていてくれた。友達だから…-

-きっと-


サングは自分の発言を思い出した。
酷い事を言った。
でも、トトだってジュリエットに酷い事を言いに行ったのだ。
「ジュリエットを警戒しろ」「ヴィネ家の人間を王宮に入れないように」と、あいつは言っていたのだから。

でも、今までトトは何でも許してくれていた。
後に謝ろうとすると、つんとしながら「別に関係ないさ。私は冷たい人間だから、何も感じない」と言うのだった。

本当は、冷たい奴なんかじゃないって知っている。
頑なで、不器用で、口が下手で、うまく嘘がつけないだけなのだ。
負けず嫌いのくせに臆病で、深い知識を持っているくせに忘れっぽいのだった。
プライドが高いのに、泣き虫で…。

-一緒にいられるよな。これからもずっと一緒にいられるよな-

トトが微笑んだ気がした。
いつもの…与えるような優しさではなく、受け入れる優しさのまま…。






国王が、一日のうちに二人も訪れるなど稀有な事だった。

ヴィネ家では、家内の者たちが忙しなく動き回っている。

「陛下。このような所まで…」
ジュリエットが絶句したのは、無理もない。
サングは着の身着のまま、馬を駆り、ここまでやってきたのだった。
手荷物のようなものさえ持っていない。

「ジュリエット嬢」
サングは、驚く彼女の前で跪いた。

「今すぐにでも、王宮にいらしていただけますか?」
「え?」

サングは、思わず後ずさるジュリエットに手を差し伸べながら言った。

「私の元に、おいでいただきたいのです」

その申し出がどうような意味を持つものか、ジュリエットにもわかっていた。
しかし、あまりに唐突なため、うまく対応できない。

「私・・私一人の一存では…それにあなた様の事も」
「どうか信じて」
「陛下…」

そう言って、静かに笑ったサングの表情に、ジュリエットは息を飲んだ。

-ああ、この人はこんな表情も持っている人なのだ-

この笑顔が、この人にとって最高のものなのかどうかなど、誰にもわからない。

でも、私にとっては…。


「陛下、私は御前から消えてしまいたいと望んでいたのです」
「どうしてなんだ?」
「貴方様の幸せのために、私では…」

するとサングはフッと笑って答えた。

「きみのいない世界のどこに幸せがあるというんだ。
それ以外のものなら、とっくに手に入れている。
そのくらいの力は持っているつもりだ」

そして、ジュリエットの手を取り
「だが、きみの手を取るのがこんなに勇気のいる事だとは思わなかったよ。
もし、この申し出が受けられないと言うのなら、この手を振り払え。
容易い筈だ。今なら…」

本当にサングの手は力なく、優しく、ぎこちないものだったから、ジュリットは思わず笑みをこぼした。

なんて正直な人なのだろう。
この大国を背負いながら。
しかし実際、この人には大国の重みよりも、人一人の重みのほうが感じられるのかもしれない。
いいえ、大きなものと小さなものを形だけで判断しない人なのだ。

様々な国でいろいろな人にあって来た。
でも、このような人に会うのは初めてだ。

まるで、天高くから人々を照らす優しい陽のよう。
その情熱は心を燃やし尽くす太陽のよう…。

…私の心を燃やし尽くす。

「払えるわけないわ。私の幸せもここにあるのだから」
「ジュリ…」

「行きます。貴方と共に。私も貴方の幸せになれるように」

その様子を周りで見ていた者たちは、一斉に手をたたいた。
何もないはずの部屋に、花が咲き乱れるように、幸せが満ち溢れた。



「馬車をご用意してございます!」
召使が叫んだ。
「いや、馬で来たんだ。オレはこれで帰るよ」
サングがきびすを返して、出口に向かおうとするのを、ジュリエットが止めた。

「馬車で行きましょう」
「どうして?」
「どうしてもです」

ジュリエットの言葉に、黙って従ったサングだが、王宮に向かう道の途中で
「なんで馬車なんだ?」
と聞いた。
隣に座るジュリエットは答えた。
「国王陛下がヴィネ家をお訪ねになって、私までが馬で王宮に向かったなら、街の人々の中でどのような
噂を立てられるかもしれません」
「文句など言わせるものか」
「そうすると、あなたが方々に叱られてしまうのではないですか?
それに、お話は小さいほうがまとまり易いですわ」
「う」
サングの沈黙を見て、ジュリットは苦笑し
「ほら、海が見えてきましたよ」
と促した。

「そういえば、トトがきみに何かを言ったそうだね」
「トト様にお会いなされたのですか?」
「あいつは頭の固いところがあるから。どんな余計な事を言ったのかは知らないが、気にしないでくれ。
きみがどんな人かわかれば、すぐに態度を変えるさ。あいつの事はオレが一番よく知っているからな…」

サングのふと遠くを見つめる瞳が、トトに似ているとジュリエットは思った。
二人は、お互い隣にいない時にでも、見つめあっている間柄なのだ。

「いいえ、トト様は私に勇気を持つようにと励ましてくださったのです」
「なんだって!」

何も言わず…手を震わせて去っていったトトの姿がサングの脳裏に浮かんだ。

「あの方は、あなたの事をとても心配されていました。そして、私の事も。
私達がどんな状況に立ち向かおうとしているのかを冷静に話してくださり、その上で勇気を持つようにと」

-あいつ・・・-

いつものように「私はどうせ冷たいんだ」とそっぽを向くトト。

「ひねくれすぎなんだよ・・」

あまりの事実の違いにサングは顔を覆い俯いた。

「それなのに、オレは…オレは早合点してあいつに酷い事を言った」
「…サング様」
「あいつは許してくれるだろうか」
「トト様は、あなたの事を一番大切な友達だとおっしゃっていました」

サングがジュリットを見ると、彼女は優しい笑みを浮かべていた。

「だから、きっと大丈夫」
「ああ」


そうだよな、オレたちずっと友達だったもんな…―


「さぁ、これからがオレたちの本勝負だ」
「ええ」

ジュリエットは、自分の手を握った手が、先ほどよりずっと力を込めたものである事を感じた。

-この人について行こう。たとえ、何があったとしても-


長い一日の終わりを告げるように、夕陽で赤く染まった白亜の城が、サングの前にそびえ立っていた。




それからすぐに、イルミーネ国に手紙が届いた。

「バストール国王陛下、御成婚の知らせと…」

手紙を読み上げた者も、周りにいる臣下達もぽかんとしている。
「聞いていないぞ!」
「いつの間にそんな話になっていたのか?」
周りがざわつく中、国王トトは
「ああ、そう…」
と気のない返事をした。

「では支度をしなくてはね」



婚約期間もなく、ましてや定められた相手でもない電撃結婚などという話は、イルミーネ貴族だけでなく
バストール貴族達をも驚かせた。
だが、彼らはすぐに思い出した。
そういえば、前国王ジュバルトも名も知れぬ踊り子と結婚したではないか。
しかし、その場合はあくまで秘密結婚という形を取っていたので、踊り子リリーは王妃として戴冠もしていないし、リリーが多くの臣下達の前に現れた事もない。

今回は、正式な結婚だった。
そして、ジュリエットは王妃として遇されるという。

我こそは、将来の王妃を出すのだと考えていた貴族たちは特に不快感を現したが、相手があのヴィネ家では何も言わずに黙っているしかなかった。
主だった貴族のほとんどが、ヴィネ家に金銭的な意味で借りがあったからだ。
しかし、口さがない人々は聞こえよがしに噂をした。

「ヴィネ家は貴族の地位だけでなく、王位さえも金で買った」と。

しかし、彼らは後に知る事となる。
王妃となった人物は、まさしく彼女以上に王妃という地位が似つかわしい人物がいない事を。
ジュリエットは美しく品性があり、誰に対しても優しく思いやりを持って接した。
物事を自然とよい方向に持っていってしまう才能の持ち主だった。

やがて、王宮の人々は皆、彼女に魅了されていった。
この人のまわりに悪意の影をちらつかせる行為は、自分の恥になるという認識を誰もが抱くようになったのだ。


それでも、当初は皆が戸惑いを隠しきれなかった。

特に、教会に花嫁が現れた時には。
バストール国に近い国から来た人々は一様に目を見張った。

花嫁の衣装が真紅であったからだ。
通常は、純白の衣装を着るのが決まりであるのにもかかわらず。
長く伸ばした黄金の髪にはドレスと同じ色の真紅の薔薇が飾られていた。

司祭でさえ驚きを隠しきれず、祈りの言葉を発するのを忘れてしまったほどだ。

婚礼の儀式が終わり、人々が国王のまわりに集まると、国王は高らかに言った。

「やはり、王妃には赤が似合う!」



トトは、その様子を遠くから見ていた。

やがて、サングが気づき、トトのもとへやってきた。
「トト!」

トトの前に立ったサングは頭をかいて言った。
「ごめん、あの時は…知らなかったよ。おまえが…」
「いいんだ。もう…気にするなよ」
トトの返事にサングは安堵したように一息ついた。
「おまえのおかげだ。ありがとう!」

眩しすぎる笑顔から顔を背けながらトトは言った。
「なんだい。幸せ者め!私も気持ちも考えろ。恥ずかしくってならない」
「あはっ!」
仰け反りながらサングが笑う。

トトの様子は普段と変わりなかった。
これからも何も変わらないだろう。

サングは落ち着きを取り戻すと、また人々の中に入っていった。

「あーあ、やんなっちゃうね、新婚さんは!」
トトは、まわりの人々に皮肉を言いながら笑い、披露宴の行われる会場に皆を導いた。
披露宴の席でも、トトはサングに冗談などを言い、からかった。
必要以上に酒をあおり、普段は物静かなイルミーネ国王は人々の中を歩き回り、この国王の話と王妃がいかに優れた人物かを語った。

楽しげに…トトが歩いていると、トトの目の前にしばらく会っていなかった人物が現れた。

「アンジュー公」

アンジュー公は、あの頃から一層細くなった印象を受けた。
透明感のある白い顔は、本当に透き通ってしまいそうに見えた。

「トト、つらいだろうが…無理を…」
アンジュー公の悲しげな表情と瞳。
「…すみません!」
トトは一言いって、彼の横をすり抜けた。

いつもこの人は、人の気持ちの暗い部分を見透かして、引き出してしまうから。
優しい人なのだとわかっていても、彼のそばにはいられない。

悲しみは、分かち合うものじゃない。
悔しさは、語り合うものじゃない。

自分一人で感じて乗り越えるもの。
すべては、愛する人と在るために。


トトが振り返ると、サングがジュリエットの肩を抱いて、皆と楽しそうに話していた。
その向こうで、弟ジュールがいつも通り、婦人達に囲まれて愛想よく話をしていた。

満たされているようだった。
自分以外の誰もが。
アンジュー公が、ただ一人で悲しい顔をして佇んでいたが、彼のところにはどうしても行けなかった。



「アルキュード候、お初にお目にかかります」
「これは、ヴィルジニア・ヴィネ様」
「まぁ、私の事をご存知なんて、光栄ですわ」
「ヴィネ家の舵取りとも言われている貴女の事は、イルミーネでも知らぬ者はおりませんよ」
「まぁまぁ、ずいぶんと大げさな言い方をされたものね」

アルキュード候ジュールは、ヴィネ家の女性達に囲まれていた。
というより、ヴィルジニア・ヴィネ夫人に捕まっていた。
この中年女性は、ヴィネ家の中でも特にやり手の女性として知られている。
ヴィネ家を大きくしたのは、この人のある作戦が大きく貢献していると評判だ。
ある作戦とは、つまり婚姻作戦である。

ヴィネ家の親類を外国の貴族に嫁がせる。
もちろん莫大な持参金付きで。
そして、各国との繋がりを深めているのだ。

今回の結婚についても、当初はこの人の作戦かと思われていたものだ。
国王が、王妃の素晴らしさや出会いの経緯などをあけっぴろげに言うまでは。

「ところで、アルキュード候はいまだお一人とか…決まった方などはいらっしゃるの?」
「いいえ。それが残念ながら」
YESと言えばスキャンダルになる。
NOと言えば・・。

それよりも、先ほどトトが一人で向こうの方を歩いていった。
いつもと違う様子が気になる。
今すぐにそばへ行きたい。

「まぁ、実は私の姪が…ジュリエット妃の妹に当たるのですが、これがまぁいい子で。
実は、以前から噂に聞く貴公子アルキュード候とお話したいと望んでおりますのよ」
「はぁ…」

早く抜け出さなければ…ジュールは脱出作戦を考え始めた。

「セシリーおいでなさい」
「はい?伯母様」
セシリーと呼ばれた少女がこちらにやってきた。
明るい金色の髪と薄緑の瞳をした美少女だ。

「いや、私はこのへんで」
「セシリーこの方がアルキュード候でいらっしゃいます」
「はじめまして、セシリー・ヴィネと申します」
「お目にかかれて光栄ですが…セシリー嬢、私はもう」
「お急ぎでいらっしゃるのですか?」
「ええ、ちょっと」
「では、また」

「ちょっちょっと!アルキュード候」
ヴィルジニアはジュールを呼び止めた。
「あ、あの」
「セシリーがお気に召さなかったのですか?それとも何かご無礼が?」
「いいえ、いいえ、そうではなく」

「もういい加減にしてくださいよ。伯母様」

後ろからの声にヴィルジニアは振り向いた。

「アンドレア!」
「アルキュード候はお急ぎみたいですよ」
アンドレアと呼ばれた女性は、手を振った。
「すみません」

ジュールが立ち去った後で、ヴィルジニアはアンドレアを呼び寄せた。
「なんで邪魔をしたの?」
「だって、あの方まるで気がなさそうだったから」
アンドレアはツンとすまして見せた。
それでも、大きなきつい瞳がからかうような笑いを浮かべている。

「それにしても…セシリーも、ちゃんとアルキュード候を引き付けなくちゃダメじゃない!」
「私そういうの反対です。女が男に媚びる様にするなど…同等に考えていない証拠だわ」
「セシリー、あなたって子は…」
修道院付き学校に長くいすぎたせいなのだろうか、この姪は扱いにくい。
「それに、セシリーには憧れの騎士様がいるからね」
アンドレアが笑う。
「そんなの…昔の話よ」

少女の脳裏に一瞬、過去の光景が浮かび上がった。
私を野犬から助けてくれた、あの人は今頃どこにいるのかしら。
もしかしたら、ここにいるのだろうか?

赤い瞳の…。

「セシリー!」
「お姉様!」
真紅の衣装も眩しく、ジュリエット王妃がこちらにやってくる。
「ひさしぶり!遠くの修道院付き学校に行っていたというから・・」
「これがきみの妹か!なるほどよく似ている」
仲のよさそうな夫婦を目の前にして、セシリーはふと思った。

私もいつかこんなふうに幸せになれるのだろうか・・・。




会場から出ようとしていたトトは、背後から誰かが人々の間をすり抜けてやってくるのを感じた。
ジュールだ。

「兄上」

弟は不思議な存在だ。
以前よりは警戒しなくなったとはいえ、何を考えているのかわからない。
・・・何か言われるのかもしれない。
身を強張らせていると、ジュールは気まずそうな一瞬の間を置き、口を開いた。

「何か召し上がりましたか?」
「え、…ああ」
ジュールの、意外にも何でもない一言に、急に肩の力が抜けた気がした。
「先ほどから、お酒ばかり召し上がっているようにお見受けしましたが…」
そう言うとジュールは困ったような無理やりの笑顔を作った。

「…ああ」

会うたびに、意外な表情と態度ばかり見せるジュールに、どうしたらいいかわからなくなる。
彼と言う人物が掴めない。
本音が見えない人物と言うのは、こっちも緊張してしまうものなのだ。
「・・・」
黙っていると、ジュールはますます気まずそうな顔をして一言いった。

「ご自身を大切に」

すると、ジュールの後ろに誰かが立った。
「おや、これはアルキュード候お久しぶりです」
「あ、これは。これは」
ジュールは急にうれしそうな顔を見せて、その人物と話しはじめた。

トトは全てに背を向けて、用意されている部屋に戻った。
この王宮の事は、ここの国王と同じくらいよく知っている。
案内などなくても、わかるのだ。




披露宴が終わり、部屋に帰る途中。
ジュールの前に現れたのは、叔父のアンジュー公だった。

「叔父上、お身体の具合はいかがですか?」
「ああ、大丈夫だ」

アンジュー公は少し前から肺を患っているようだった。
以前から細い人だったが、ますます痩せたようだ。

アンジュー公はジュールに言った。
「イルミーネ国王陛下の事が気になってね」
「兄上の事が…」
「私は、以前からあの子の事が心配でならないんだよ。私達はよく似たところがあるから」
「兄上と叔父上がですか?」

アンジュー公は頷いた。

「幸せの中では生きられない人間なんだ。私達は」

そう言いながら、彼は以前トトが言った言葉を思い出していた。

-私は生きる事をあきらめられない。いつかきっと幸せになってみせる-

トトの顔が浮かぶ。
あくまで前を見据えようとするその瞳。

-だが、ほら、現実はこうなんだよ。現にきみは一人ぼっちじゃないか-

しかし、アンジュー公は心の声を打ち消した。

「私は、あの子が大好きなんだよ」
「・・・」
「今、あの子の気持ちが手に取るようにわかる。できる事ならそばにいてあげたい」
「兄上なら、部屋に戻られていますよ」

アンジュー公ならば、兄の気持ちを理解し、彼を慰める事ができるだろう。
兄は…私など求めてはいないのだから。
ジュールは思った。

しかし、アンジュー公はジュールの手を取り、言った。
「ジュール、おまえが行ってあげなさい」
「どうして?!」
思わず声を上げるジュール。

兄が、私よりアンジュー公を求めているのは明白なのに。

「私では、だめなんだ」
「叔父上のほかに誰がいるというのです」
「ジュール、トトの話を聞いてあげるといい。この事がきっかけとなって、兄弟でお互いを思いやれるようになるなら、こんなに嬉しい事はないよ」
「しかしっ!」

兄には何度も拒絶されている。いまさら…。

「行ってあげなさい。おまえが兄をずっと見ていて、口を聞きたがっていた事くらい私は知っているよ」



「大丈夫」
そう言って、アンジュー公はもうずいぶんと高い位置になった甥の肩に手を置いた。

指先は細く、今にも壊れそうな危うさを感じさせる。

-やはり、あの子は私と同じ道を歩んではいけない-

アンジュー公は、黙ってジュールの前から去っていった。




今の私に何ができるんだろう?

兄がショックを受けているのはわかっていた。
こんな時こそ、彼にはアンジュー公が必要だろうに。
しかし、一度トトは彼を拒絶している。
だからか、私に行くように言ったのは。
二人の間に何があったとしても、私が今ここに立っているよりはましだと思う。

ジュールは国王の部屋の前に立っていた。

-私に何ができる-
-今まで、何も出来なかった私に-

ふと、アンジュー公が恨めしくなった。


モドル 次へ