―ジュリエット―
今日もトトは部屋で一人、絵を描いている。
「どれどれ??」
横からサングが顔を出して覗き見る。
「見るなよ…」
トトがさっと隠すが、サングは「ははぁ」と笑った。
「それは昨日、街で歩いていた男だな」
「そうだよ、あの人は綺麗だった。まるで大理石の彫刻のようだった」
うっとりと語るトトに、サングはわざとらしく溜息をつく。
サングはトトの性に対する趣向は知っていたが、成人になってまで続くとは思っていなかったようだ。
アンジュー公が好きだというのも、ただの憧れだと思ってからかっていたのだが、現在のトトの姿を見ると
まんざらでもなかったらしい。それでも、人の趣向になんだかんだと文句をつけるわけにもいかないし…と、半ばあきらめて見守っていた。
トトは、あいかわらずうっとりと絵を見ている。サングは言った。
「ほら、こいつの体毛描いてないじゃないか!こいつ間違いなく胸毛生えてたぞ!!」
「きゃ!は、恥ずかしいじゃないか!た、体毛なんて…そ、そういうものは正式な絵画では描かないんだよっ!」
「そ。マジになるなよ~そんな顔真っ赤にしてさ~」
「毛…毛なんていうからさ…」
トトの素直すぎる反応を見ていると、やはり…という気がしてくる。
ともかく、この人の同性に対する反応は普通の男とは違っていたのだった。
もう大人になったのだから、そういう場所に遊びに行ったらはっきりするんじゃないのかと、サングはトトに言ってみたところ、トトは拒否した。
「私は…まともなんだよ」
と、言う。
「それもはっきりするんじゃないのか?」
「こういうのは、ちゃんと大人になったら卒業する。もう少ししたら、きっと女性だって好きになる。
そして結婚するんだ」
おまえはもう大人だ。
とは言わなかった。
そして、サングは心の中で「トトがずっとこのままならいいな」と思った。
その日の夜会も、アルキュード候ジュールは女性達に囲まれていた。
いつものとおり、トトとサングは二人で立ち話をしながら、デザートをつまんでいた。
そこまでは普段と変わらない光景だった。
ただ一人の人を除いて…。
婦人たちがアルキュード候に視線を向け、あるいは近づいていく中で、一人壁際に立ちすくんでいる女性がいた。
長いウェーブのかかった黄金の髪を垂らし、気品と美しさをたたえた人。
かといって、決して気高さだけが勝っているわけではなく、サファイア色の瞳からは優しさと少しばかりの不安が滲み出ていた。
ふと前を行くサングが立ち止まったので、背の低いトトはサングの背中に鼻をぶつけてしまった。
「突然なんだよ!」
サングの視線の先には、美しい女性。
「誰?」
「知らない。でも、あの人どうしたんだろうって…」
女性達の視線がアルキュード候に向かっている中、彼女は違う方向を向いて途方にくれている様子だ。
「ちょっと、声をかけてみよう」
「おい!サン!」
トトの制止も聞かずに、サングは女性の前に立った。
「どうかしたのかい?」
女性は男がこの国の王だと知ると、正式な挨拶をしようと一歩下がった。
ところが…
「きゃ!」
「わっ!」
突然バランスを崩した女性をサングがとっさに支えた。
彼女はしばし呆然としていたが「あ、失礼を!陛下…!」と身体を離す。
サングも呆然としていたが、あわてて身体を離した。
「大丈夫か?」
「はい」
よろよろと不自然に後ずさる女性を見て、サングは「足をどうか?」と聞いた。
「いえ、足ではなく靴が…かかとが折れてしまって…」
ピンヒールのかかとが折れてしまっているようだ。
「こまったわ。家の者に代わりの靴を取りに行かせているのだけど、まだ来てくれないようです」
事態にもかかわらず、言葉はゆったりと穏やかだ。
「ああ、そんな事か。ちょっと待っていてくれれば、直してきてあげるよ」
サングは軽くそう言うと、女性の手を引き、カーテンの奥にある小部屋に案内した。
「椅子にでもかけていてくれ」
驚く彼女を尻目に、サングは手早く道具を持ってきて、それを直してしまった。
「実は、バイトでやってたんだ」
「え?」
一国の王がアルバイトをしていたなどとは前代未聞の話である。
だが、下町の人間は皆知っていた。
サング個人に支給されている金は大した事がない額なのだ。
昔、城のダイヤモンドをパチンコの玉に使ったとか、そういう疑惑があって以来、彼の周りの者は彼に余計な物を渡さなかったのである。
それで、サングは下町に下りてはたまに日雇いをしていたのであった。
「経験が役にたったね」
トトは静かに言った。
「本当になんとお礼を申し上げてよいのやら…」
戸惑う女性に、サングは笑顔で答えた。
「別にいいよ。ところできみは王宮では見かけない顔だけれど?」
「ええ、私王宮は初めてですの。実家はバストール国にあるのですが、親類に連れられていろいろな所を
周っていましたから」
「それは面白い!」
サングは瞳を輝かせた。
「いろいろな国で、様々な人々に出会いましたわ。すべてよい思い出です」
「で、きみの名前は?」
「ジュリエット・ヴィネと申します。皆はジュリと呼んでくれます」
真顔でいる時は、おっとりとした口調と奥ゆかしさが漂っていたが、彼女が笑うと明るい性格がよくわかった。
「ヴィネ家の人か!」
サングが頷いた。
トトは黙って様子を見ている。
ヴィネ家と言えば…
バストール国の自由経済を動かしているといわれている家だ。
もともと商人の家系だったが金融業で財をなし、貴族の地位を金で買った。
「バストール国では金さえあれば血筋も買える」
と、伝統を重んじるイルミーネ貴族たちはひやかしたものだ。
しかし今、ヴィネ家なしの両国の経済は考えられないものになっている。
ヴィネ家の現在の当主ビクトール・ヴィネは斬新な考え方の人物で、自分の子供、孫を男女問わず教育を与え、全国を見せて周っている。
金儲けに男女の差は関係ないと公言している人物らしいやり方だが、バストール国でもここまで徹底した考えの持ち主は珍しかった。
それから、サングは目の色を変えてジュリエットの話を聞いた。
そもそも彼は城の中で王位を守っているよりも、外に出て自由に活動する方が性に合っている。
自由に恋焦がれる心を満たしてくれる存在を見つけたようだった。
結局、その夜は何事もなかったが、トトは変な胸騒ぎを覚えていた。
-私の知らない何かが起ころうとしている-
しばらくたってトトが再びバストールに来た時、サングは留守だった。
ヴィネ家の令嬢と散歩に出かけたという。
トトはずっと待っていた。
サングはいつまでたっても帰ってこなかった。
その後、何度もトトはバストール国を訪れた。
そのたび、王は留守だと言われた。
ある日、いつも待っている部屋から外に出たトトは、いつか走った丘の上で、二人が一緒にいるのを見た。二人は幸せそうだった。
彼女の話を聞いて輝いていたサングの瞳は、いつのまにか落ち着きを取り戻していた。
そのかわり、優しい穏やかな瞳にかわっていた。
トトが一度も見たことがない表情だった。
二人に背を向け、トトはそばにあった木に拳を叩きつけた。
-おまえは、変わった。自らの気持ちに負けて、強さを捨ててしまった!-
胸の中にふつふつと湧き上がる怒りと憎しみ。
-あんな女がいなければ!-
ーあの女がサングを騙して!-
-彼が私を裏切るわけがないんだ!-
爪がガリガリと音をたて、木の皮を掻き毟った。
思いっきり前髪をつかんだ。
-あの女がっ!-
潰してやる、私の力で!
また、蝋の灯りが一つ消えた。
係の者がそれに気づいて火をつけ直す。
夜会では、必要以上の灯りが灯される。
人によっては隠したい表情もあるだろうに。
―兄が、最近変わったと思うのはなぜだろう?―
ここのところ、サングと一緒にいる事もない。
一時期は通っていたと見えるアンジュー公にも近づいている様子はない。
ただ思いつめたような顔をして、何事かいつも考えている様子だ。
「アルキュード候、いかがされました?」
そばにいる令嬢が話しかけてきた。
そういえば、この人と結婚しようと思っていた。
身分も適当だし、見かけも悪くない。
たまに夜会で言葉を交わすが、別に不快なところもない。
彼女は、こちらに好意を寄せてくれているらしい。
態度を見ればわかる。
そういえば、バストール国の王がヴィネ家の令嬢と懇意にされていると噂に聞いた。
トトがサングと一緒にいないのはそのためなのだろう。
そのためにトトはあんな顔をしているのか?
本人は、あからさまに悪意を滲ませているつもりなのだろう。
だが、ずっと見てきた者ならわかる。
その顔がひどく悲しげな事に。
あの人は、怒りの表現の仕方が下手なんだ。
そう思うと、どこか優しい気持ちになっていくのを感じた。
どうしてだろう、仕方なく苦笑してしまう。
馬鹿だな…と思う。
そして、そばにいて…。
「アルキュード候」
そばにいた令嬢がまた声をかけてきた。
「先ほどから、陛下の方ばかりご覧になっていらっしゃいますが、陛下に何か?」
「いいえ…」
そうか、この人にはわからないんだ。
トトの変化が。
急に、彼女に対する気持ちが冷めてきた。
「ところで、今宵は…」
私は、トトに何かしたい。
「候…あちらに」
言葉をかけたい。いつものようなくだらない話題ではなく。
「それで…」
そばにいたい。
私なら、どうにかできるとでも思うのだろうか?
それでも。
「候…」
「ええ、先ほどからちゃんと聞いていますよ。貴女の話は」
我ながら、なんと酷い言い方をしたものだろうと気づいた時には遅かった。
彼女は、顔を歪めて背を向け去ってしまった。
しばらくして、あの人も悪い人ではなかったのだと気づいた。
少なくとも、こちらがどれだけ不快な事をしようと失礼な態度をとろうと、お世辞の笑みを向けてくる人々よりはましだ。
だが、今宵の行為を弁解する機会は、もはや訪れないだろう。
所詮、その程度にしか感じなかった。
トトは、久しぶりにサングに会った。
…が、サングは元気がなかった。
前のように飛びついてくる事もなかった。
「なんだ、トトか」
と一言いったっきり、違う方向をみて何か考えているようだ。
「ずいぶんヴィネ家の方にご執心だそうだね」
「・・・・そんな事はない」
サングは表情を変えなかった。
こんな無表情の彼は初めてだ。
トトは身を乗り出して聞いた。
「ヴィネ家の者と関わるのが、どういう結果を生むかわかっているのか?」
「…」
「ヴィネ家は今、この国を経済的に支配しているも同然だ。この上、王家の血筋をも得ようとしているのが
わからないのか!」
サングが、はと顔を上げた。
「違う。ジュリエットはそんな事を考えてはいない!」
「違わないさ。王をまるめこむのに、どんな手段だって使う価値はあるだろうな」
「おまえは本当にそんな事を考えているのか?!」
あくまで、ジュリエットを信じようとしているサングに、トトは冷静な口調で言った。
「私は、何も彼女が悪人だとは思わないよ。しかし、家の問題は別だろう」
サングはまた黙りこくった。
「あんな得体の知れない家柄の者を近づけるよりも、もっと相応しい家柄の者と付き合ったほうがいい」
「おまえはそのほうがいいと思うのか?おまえならそうするのか?」
「ああ」
「そういう相応しい人を選んで…おまえは、またおまえと同じように、自分の子も檻に閉じ込めて生きさせようと思うのか」
「…あ」
サングの強く静かな声にトトは黙った。
「オレは、周りがなんと言おうと、彼女の中にオレを解放してくれる何かを見つけたんだ。
彼女にそばにいてほしい」
-それは、私ではだめなのか?-
トトは叫びそうになる声を押さえた。
彼とは完全無欠の関係だと思っていた。
私では足りないものがあるなんて信じたくない。
今更…。
「わかった。勝手にしろ!」
「トトっ!」
「私たちはお互いに干渉しない事になっていたな。なら、きみがどうしようと、どうなろうと私には関係のない事だ!」
「なんだよ…」
トトは部屋から無言で出て行った。
次に行くところを見つけたからだ。
ヴィネ家に馬車がついた。
貴族の紋もなく、誰の物かもわからない馬車から出てきた人物を見て、召使はあわてて主人を呼んだ。
「イルミーネ国王陛下!」
入り口の前でジュリエットは控えた。
今は、ヴィネ家当主ビクトールは外国へ取引に出かけているので不在らしい。
「父も、祖父も、あいにく今ここには…」
「いいのだよ、ジュリエット。私は貴女に話があって来たのだから…」
トトは優しく微笑んだ。