―青春の終わり―
「ねぇ、この人達は、なんでこの地区に住んでいるの?」
「そこにしか住めないからさ」
「なんで?」
「ルソの民はな」
トトはサングと、こうして本を読みながら語ることが多かった。
二人は19歳になっていた。
「だから、どうしてさ?」
「ルソの民は、差別されているのさ」
「差別はいけない事だよ!きみの国ではそのような事を許しているのか」
「…こればっかりは、変えようとしてもなかなか難しい事なんだ。差別が文化と一体化してしまっている節もある」
「?でも、ダメだよ!」
「…対策はしているが」
サングは顔をしかめた。
トトのいるイルミーネ国では、表立って差別問題は起きていない。
山間の小さな国だというのもあるが、多民族国家ではないので差別問題があったとしても国家レベルで問われるような
問題にはならない。だから、トトも"差別"という言葉を特別意識した事はなかった。
身分の上下があるとはいえ、どの民族が劣っているとか、優れているとかは日々考える問題ではない。
だが、多民族国家のバストール国にはそれが当たり前のように存在した。
そして流浪の民との間に生まれた褐色の肌を持つ王に、国民が期待しているのも事実だった。
しかし、現状の対策は困難らしい。
「あっちの声を聞けば、そっちから文句が出る。そっちの声を聞けば、あっちから文句が出る…とな。
なかなかどうにも動かない。それにさっきも言ったが、人種問題は根が深い。
差別する方はそれが常識だし、されるほうはそれが生活そのものになっている。
自分はこういうものだから、こうして生きていこうという流れがずいぶん前からできてしまっている。
それが文化のように浸透してしまっているから、崩すというのは国家の形を大幅に変えることになるだろう。
そうなると、国自体がどうなるかわからない」
「難しいんだね」
サングも真面目に考えていた。彼自身も血の違う義母に差別されている。その事は人一倍理解しているに違いない。
でも彼一人の代では解決できないほど、根の深いものなのかもしれないと、トトは思った。
このように、二人は国家の問題もよく討論しあっていた。
二人は、つねに対等であり続けていた。
だが、19歳の夏が終わる頃、サングがいやに大きくなったのを見て、トトは声を失った。
「おやおや、ずいぶん小さくなったなぁ。トトちゃま!」
「おまえ異常じゃないのか?!どうして20cmも大きくなるんだよっ!」
文句も言ったが、こればかりはどうしようもない。
長身の逞しい若者に成長したサングに、女たちが自然と近づいてきた。
サングもトトと二人でつるんでいた頃は、そうした者たちを無視していたが、このところまんざらでもない雰囲気を漂わせているので、トトは不機嫌極まりない。
「おまえはそんな奴だったのか!」
「しかたないだろう?誘われたら断るのも悪いし」
「汚らわしい!」
トトは、変わらず女に興味を持っていないようだった。
サングもトトの性癖を幼いうちの一過性のものと考えていたらしいが、どうもそうでないのを知って、からかった。
「ほら、あそこにいい男がいるぞ!」
「…そうじゃないったら!」
そう怒りつつも、一緒に本屋に行くと、トトは素直に男の身体が載った雑誌を買っている。
「べ、勉強なんだよ」
と、意味のわからない事を言っているのだ。
そんなトトの実弟ジュール・アルキュード候は、以前から…いや前にも増して多くの女たちに囲まれていた。
それも無理のない事で、以前からの話し上手は変わらず、さらに聞くものを引き込むような声を成長と共に備えていた。
長い金髪を腰の位置まで伸ばし一つに結ぶというイルミーネ貴族の伝統的な髪型をしながら、服装はバストール風の
長く白いローブを纏っていた。美男であった前国王マクシミリアンに似ているとはいえ、彼のほうが体躯も大きく、華やかさにおいては勝っているとの噂だった。
そんなジュールの姿を見るときがあると、サングは
「でかけりゃいいってもんじゃない!」
と毒づいた。現にジュールはサングより5cmほど長身であった。
この二人からすると、トトは自分に情けなさを感じていた。
容姿もさることながら、アルキュード候の人身掌握術やサングほどのカリスマ性や器用さも持ってはいなかった。
初めは、バストール国の新鮮さやサングの知識に惹かれていたトトだったが、じきにコンプレックスを持つようになっていた。
-何をやっても、サングにもジュールにも勝てない-
そう思うたびに、自分が何もかもに無関心になっていくのを感じた。
ある日、サングと写生をしていたトトが急に筆を止めて、描くのをやめてしまった。
「おいおい、どうしたよ?」
サングが聞くが、トトはムッとしたまま黙っていた。
「飽きたんだ、、もう描かない」
実際、サングの絵はトトのものより優れていた。
トトが、どんなふうに塗っても描いてもかなわない。
根本から、才能が違う…。
トトは、絵を描くのが好きだった。
だから、誰にも負けないつもりだったのに。
不機嫌そうなトトを見て、サングは言った。
「オレ、この絵好きだよ。おまえらしさが出ている。こういう雰囲気の絵を描くってなかなかできないよ」
トトは、それからしばらくこの作風の絵にこだわった。
悔しさと、サングへの想いをこめて。
自身の誇りのために。
「私には、これしかないんだ。こういうふうにしか描けない」
そんな意見にサングは感心したようであったが、トトは唇を噛んだ。
-だって、他のものではとてもきみには勝てない-
毎日のように開かれる夜会では、あいかわらず婦人達がアルキュード候の話題で盛り上がっている。
かつてバストール国王の不興を買い、かの国を追い出された事さえ、この悲劇の公子を飾り立てる美談へと変わった。
彼が現れるだけで、夜会は女達の溜息の場に変わる。
サングはそれを苦々しい顔で眺め
「おまえの弟とやらは異常なまでに女にモテるが、あんなニヤけた男のどこがいいんだ?!」
と言い、悔しそうにそっぽを向いた。
「兄上」
控えめに、こちらに近づいてくる白い影。
「ジュール」
この弟と、たまに口をきく事もあった。
この人の嬉しそうな笑みは、どこからくるものなのかが不思議だ。
どうして誰にも愛想よくできるのだろう?
弟は、たわいのない話から知識に裏づけされた話まで、よく話した。
トトは黙って頷いている事が多かったが、昔ほど弟に警戒心は抱かなくなっていた。
相手が、いやに親しく話すからなのかもしれない。
サングは、未だこの人に異常な嫌悪感をしめしていたが…。
しかし、トトがジュールのほうに働きかける事はめったになかった。
というのも、以前聞いたアンジュー公の話がひっかかっていたせいである。
-この弟は、どこまで自身のまわりで起こった事を知っているのだろうか?-
アンジュー公に聞いた悲しすぎる過去。
それはアンジュー公の歴史でもあり、ジュールの過去にも繋がっていた。
アンジュー公と別離してから、一度だけジュールに話しかけてみた。
結局、何も言えずに緊張のため発作を起こし倒れてしまったが。
ジュールは戸惑いを表情に表し、静かに退室した。
背中にはどこか軽蔑するような冷たさを感じた。
どういうわけか、ジュールには突き刺されるような痛みを感じる事がある。
楽しげに話している最中にも、隠している冷たさが垣間見えるような。
数年前のサングとの諍いの時もそうだった。
サングの痛みを「くだらない」と切り捨てた彼。
一時の痛みではなく、もっと深い痛みを知っているような言葉。
最近、トトはジュールがひょっとしたら全て知っているのではないかと考えるようになった。
だが、そう考えるのはあまりに恐ろしく、途中で否定した。
-個人の身にあのような事実が背負いきれるはずはない-
自分の母が、自分の父をなにがしかの手段を使って陥れ、子供をなした。
その企てを仕掛けた人が罪の意識を背負いながら、彼を育てたというのだ。
誰も信じられなくなってもおかしくない。
少なくとも、私なら。
私などが、この人と話す事など何もないのではないか。
もし、ジュールがあのような過去を受け入れて生きていたとしたら、私など笑えてしまうほど小さく愚かな存在に見えるだろう。
そう考えるたびに、再びこちらから弟と接する事を拒否してしまうのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
いつものように目の前の婦人と話しながら、ジュールは考えていた。
恋愛なんて馬鹿らしい事を考えるのをやめて、どこか当たり障りのない名家の令嬢とでも結婚しよう。
そのうち、女だって抱けるようになるだろう。
それが生きていくのに一番いい方法だろう。
兄が、遠くからじっとこちらをうかがっているのが見えた。
「兄上…」
トトはすぐに視線をそらした。
トトがアンジュー公から離れたと噂を聞いたのは、いつだっただろうか。
内心、トトを支えてくれる人物があの人で安心していた。
それは、トトが自分のテリトリーに入るという事を意味していたからだが。
しかし、トトは見るのも無残に壊れていった。
・・・所詮、彼はこちらの世界の住人ではない。
トトが持っていた薬。
これらは間違いなくあの人の影響を受けたものだと理解していて、それを止めつつ、それでも留まってほしいと。
アンジュー公が私達を繋ぐ楔のようなものなら。
・・・矛盾している。
でも結局、トトはアンジュー公のもとを離れ、サングのところへ戻っていった。
その直後、なぜかトトが自分から話しかけてきた。
だが、しばらく取り留めのない話をすると、例の発作を起こして倒れてしまった。
付き添っていった控え室で、苦しい息の下から「ジュール」と名を呼ぶ声だけが聞こえた。
どうして、私を?
トトは苦しそうに喘いでいたが、何をどう言ったらよいのかわからない様子だった。
まさかアンジュー公から何かを聞いたのか。
いかなる理由があったとしても、私が苦しめる理由である事には変わりがない。
去らなければ。
「ジュール」
もう一度、トトが背中越しに名を呼んだ。
その声が恐ろしいと感じたのは、哀れみを含んでいる事に気づいたからだろう。
この人が私の中に入ってくる…。
傷口に気づいて近づいてくる。
血の匂いが両手に蘇る。
「ジュール」
振り向きもせずに逃げた。
思い出したくない何かを思い出してしまいそうで。
もうあんな声をかけられないように、努めて違う話題を投げかけるようにした。
彼は何も気づいていないようだ。
―私は何も知らない。私は幸せだ―
これが育ての親アンジュー公から自主的に学び取った方法だった。
だが、私にはわかっていた。
私は、いつか自分に負けるだろう。
兄上…兄上…
本当に話したいのは、違う話。
毎晩見る夢が、嫌というほど事実を伝える。
まだ幼い頃に戸惑った汚れた肉欲は、たまらない切なさへとその姿を変えつつあった。
あなたが隣にいて、話す事ができたら。
あなたの優しい腕に抱かれたら、寂しい夜も眠る事ができるから。
おそらくは、私と同じように罪の中に生きるしかないアンジュー公もそう願ったのだろう。
サングと話すトト。
薬を飲んで苦しむトト。
すぐに発作を起こすトト。
偽りの安らぎを持てないトト。
私を否定するトト。
私を受け入れてくれるかもしれないトト。

「アルキュード候、今日の夜会は物静かですわね」
声をかけてきた婦人は、さる上流貴族の令嬢だった。
この人と結婚しよう。
と、ジュールは思い立った。
「飲み屋に行こう」
ある日、サングが珍しくそう言った。
どうも他の友人に誘われているらしい。
というのも、彼は酒があまり好きではなく、自分から誘う事はめったになかったからだ。
「私は、行きたくない」
サングは、たくさんの友人がいる。
トトには、サングしかいなかった。
サングは人気者だ。
私は違う。
最近、トトは以前にも増して気難しくなっているようだった。
その理由をサングは知らなかったが、困ったように笑うと
「あまり人としゃべりたくないんなら、いつもみたいに端に座ればいいじゃないか。皆、待っているんだよ」
「・・・・」
どこかに誘われるたびに、トトはサングの隣に腰掛けた。なるべく端の。
もう一方の隣には誰もいないところを好んだ。
そして、今夜も。
それにしても、この店はなんて空気が悪いんだろう。
隣にいるサングの顔さえ曇って見えない。
煙草と焼き物とアルコールの咽るような匂い。
呼吸器系の発作を持っているトトは、このような環境を最も嫌っていた。
しかし、サングが楽しそうにしていたので黙って酒を呑んでいた。
サングは隣の友人と大声でふざけあっている。
店自体が騒がしく、彼の大声さえもとけこんでしまっているようだ。
サングは雰囲気に飲み込まれやすい。
悪ふざけがすぎなければいいが…。
サングは隣の友人にすすめられ、煙草を吸い始めた。
トトが嫌な顔をする。この匂いがたまらなく嫌いなのをサングだって知っているはずなのに。
それなのに、事もあろうかサングはトトの顔にわざとらしく煙を吹きかけながら
「なぁ、なんで黙っているんだよ!」
と傲慢そのものの口調で話しかけてきた。
「・・・」
トトは黙って少し咳き込んだ。
「返事しろよ」
「…」
「トト!」
バキッと衝撃音が走った。
トトは横っ面を殴られ、傾いた。
「お、おい。やめろよ!」
まわりの人間が控えめに止めたが、2度目の音が鳴った。
「口きけないのか!?」
3度目の音が鳴った時、トトが動いた。
全て一瞬の出来事だった。
サングの椅子が転がされ、尻餅をついた彼の髪を引っつかみ壁に押し当て、顔面に鋭い蹴りの一発。
サングの背後にある木製の壁は衝撃で割れた。
割れた中に頭を突っ込むような形で、サングは鼻血を流しながら気絶していた。
あれほど騒がしかった店が、しんと静まり返っていた。
トトは、金だけ置いて店を出た。
外にはいつの間にか雨が降っていて、とても寒かった。
でも寒さを感じなかった。
それなのに、手足が震えて何も考えられなかった。
-あいつとはもう絶交だ-
-もう終わったんだ-
繰り返される自分自身の言葉だけが、やけに耳元に残った。
次の日、まだバストールの王宮に滞在していたトトは、早めの朝食を取った。
サングと顔を合わせたくなかったからだ。
ところが、廊下で問題の人物の後姿と遭遇してしまった。
どうか気がつきませんように…。
願いながら、静々と足音を忍ばせ、付いてゆく。
もう少しで、自室という所で前から歩いてきた老女官が、突然
「ヒッ!」
と声を上げて倒れた。
「なっ!」
思わず声を上げると、サングが振り返った。
「トト??」
「サン???」
その顔たるや…
まるで、漫画でいじめっ子にやられた弱虫主人公のよう。
顔の半分は赤青に染まり、瞼が開かないほど腫れ上がっていた。
思わずトトも「う!」と声を上げたほどだ。
「…」
「…」
二人はしばし顔を引き攣らせたまま、見つめ合っていたが・・・・
「ぷぷぷ…」
「ハ・・・ハハハ」
どちらともなく笑い声が発せられた。
「なんだよそれ?!」
「おまえが手加減しないからこういう事になるんだよ!」
「それより、この人どうする…?」
倒れた老女官を二人で抱えて、女官の控え室に行った二人は、無言の出迎えを受けた。
その中には、やはり老女官と同じように気を失うものさえいた。
「そんな顔見せるからだろ!」
「しかたないだろ!!じゃあ、どんな顔で歩けばいいって言うんだ!」
「まさか、そんなになるとは思わなかったんだよ!それにしても酷いね、ハハ・・」
「わ、笑うなよ!オレがこの顔で戻ったせいで、どれだけお説教を食らったか知っているのか。
トトは勝手に帰るしよ、部屋に行っても出てこないし…もう口を聞いてもらえないかと思った」
最後の方で、サングの声が下がった。
「それは…」
トトの笑いが止まった。
-それは、私のほうだよ-
「それなのに、笑うなんて。冷たい男だ、トトちゃまは!」
「おまえが酒を呑むからいけないんだろう。それに、私も昨日の事なんて、まるでで覚えていない」
それを聞くと、サングは気まずそうに笑みを作った。
あいかわらず、そうして馬鹿げた悪ふざけをし続ける二人に、臣下たちも頭を抱えていたが、どうする事もできなかった。
出会ったばかりの頃のように、手を繋いで激しく踊りまわる輪の中では、お互いの顔しか見えない。
まるで、外の世界が静止した絵のようだ。
寂しい顔をしたアンジュー公も、冷たい顔をしたジュールも、瞳を光らせるアランソンも、眉を顰めるセバスチャン、
金切り声をあげるリーチェ公夫人も、見えているだけで存在していない。
この世界では、生かすのも、殺すのも、二人だけ。
暖かい手に、もう一度触れるためだけに生まれてきた。
誰にも邪魔はさせない。
運命の人は友だち。
命尽きるまで誓いは守られるだろう。
いつか誰かと肉の交わりを持つ事になろうとも、私が心から愛したのは君一人だけ。私を愛してくれるのも君一人。
トトは自分の胸に手を置いて安堵した。
いつまでも二人でいられる未来に。
奇跡はいつだって何度だって起こるだろう。
それを信じて疑わなかった。

第3章終了
と、いう事で。
第3章が終わりました!本編の中でも最も長い章だったので、やっと終わった~というのが正直な気持ちです。
期間も長かった。(11歳~19歳)くらいまで。
トトとサングの関係を中心に、それぞれの登場人物を描いたつもりです。
感想と言っても、期間が長すぎて、どこをどう言ったらいいかわからないんだけど「やさしさの向こう側上・下」を
書いているときが一番精神的にきつかった。
優しさとか、愛情とか、世間一般からみるとプラスの感情のマイナス面を書きたかったもので。
でも、この先こういうマイナス面を知っている二人が愛し合う事になったらどういう弊害が出てくるんだろう…なんて。
少々ネタばれですね(^^)
そして、トトとサングの関係は、この後どう変わってくるんだろう。
それは第4章からです。
ここまで読んでくださった方、すんごく長かったでしょう…心からありがとうございます!!!