―事件―
「そうか、我が君がな…」
アランソンは満足そうに呟く。
アルキュード候ジュールはバストール王妃の寵を受け、今宵もまた部屋で楽器を弾くらしい。
アルキュード候が王妃に好印象を受けているのはありがたい。
こちらも動きやすくなる。
バストール国王が決まった時、アランソン・クルーレはバストール王妃との繋がりを持った。
目的は、アルキュード公擁立の承認をバストール国に取り付ける事。
セバスチャンらは現国王サングの叔父アンジュー公を警戒していたらしいが、もともと野心のないアンジュー公が動くとは考えにくかった。
それよりも、血統主義に染まりきった王妃を取り込むほうが役に立つ。
それに、この王妃は少し精神に異常をきたしているという。
生まれは上流貴族なのに、前国王ジュバルトに悪し様に扱われたせいだろうか?
正常な判断を持たないなら扱いやすい。
「どこの国王も上流貴族のお嬢様は苦手だという事だ」
アランソンは近くに控える従者ラルに言葉を投げかけた。
「公は、ディアヌ様ともお会いした事があるのですか?」
もう一人の国王に捨てられた女。
ディアヌとはアルキュード候ジュールの母で、前イルミーネ国王マクシミリアンの婚約者だった。
それを押したのはクルーレ一族だ。
国王に一方的に婚約を破棄された彼女もまた精神に異常をきたし、それを見舞ったイルミーネ国王と結ばれた。
…正確には、無理やり繋がった。そうして生まれたのがジュールだ。
「ああ、彼女も純粋な乙女だったよ。国王に捨てられるまでは」
アランソンの横顔から笑みが消えているのを見て、ラルはそっと腰を下ろした。
「結局、利用しただけだがな…」
「公は・・女性に優しすぎます」
「・・・なんだと?」
ラルは、この細身の青年貴族の心の内側を唯一知る男だった。
自らの顔の傷に手をあて言った。
「だから、こうなる前にクレランス家を潰せばよかった。公の御力ならば、あのような家・・」
「それとは関係ない!」
ふいに心を読まれた気がして、アランソンは怒鳴った。
「それがあなたの弱さに繋がっているのです。今でもレナ様を想われておいでか?」
「黙れ!」
「ならばこそ、クレランス家の血が入ったあの王子に手をかけなかったのでしょう」
「違う…今更、昔の事など」
ラルが退室する時、アランソンは紅茶に浮かべた薔薇の花弁を取り除きながら言った。
「アルキュード候擁立は私の望みだ。おまえはあの人形を見張っていろ。王妃は私が動かす」
「御意」
貴族主義がまかり通っていた時代。
それは、もう昔なのかもしれない。
ならば、その誇りや生き様はこの先どのように評価されるのだろう。
皆、生き方を見失っている。
この歳で旧体制の急先鋒とは、皮肉だった。
老いたる者が新時代を叫び、若い者が古い時代にしがみつきたがる。
老いたる者は未来を他人に託せばいい。
しかし、これから生きる者はどうすればいい?
旧体制を身に沁みさせられて生まれ、今更生き方を変えろと?
武器の使い方を教えられながら、戦いの場を奪われて…。
これからは、自由と平等と平和が世の中を支配するのだろう。
我らの価値は、高みから下を見下ろし、その立場に相応しい生き方をする事にある。
そのためになら、なんだって踏みにじる。自分の心さえ。
何の立場も責任も持たず、のうのうと生きている商人や農民とは違う。
アランソンは、自分のまわりに集まって来る若者たちの顔を思い浮かべた。
果たしてこの中に使い物になるのがどれだけいるのだろう。
そして、皿にのせた薔薇の花弁を指に取った。
この色によく似た女レナ・クレランス
イルミーネ王妃ルイ・クレランスの妹。
今は、田舎貴族と結婚して地方の領地にいる。
もう子供も生まれて歳もとっているだろうに、思い出す彼女の顔は以前のままだった。
「私は、独りだ…」
それは彼女に投げかけたかった言葉なのか、それとも自分に言い聞かせた言葉なのかわからない。
彼女の子供が成長したら、母に似るのだろうか。
もし、その時まで生きていたら会ってみたい。
アランソンは窓辺の冷たい風を受けながら思った。

その日もトトはバストール国にいた。
サングは街中に友人が多くいる。
親しみやすい彼の性格は、身分を問わず様々な友を作った。
だが、その中でトトはまわりに馴染めずにいた。
二人の時は口がきけても、大勢になると誰と口をきいたらいいかわからない。
つねに誰かが不快にならないように、口をきくのは難しい事だった。
必然的に、集団を避けるようになってしまう。
誰かに誘われても、「行かない」と言うほうがいいような気がする。
こうすれば、誰も傷つかない。
でも、相手は自分を嫌っていると思うのだろうか。
そう思うたび心が重くなり、ますます口をききたくなくなるのだ。
トトが「行かない」というたびに、サングは「いいよ。おまえが行かないなら、オレも行かない」と言った。
トトは、そのたび安堵した。
自分がどうしようもない我が侭を言っている事を知っていながら。
それ以外の選択肢がないのも事実で。
「オレの親友は、ちょっと人付き合いが苦手でさ。感じが悪いけれど、悪い奴ではないんだ」
サングが皆にそう言っていたから。
それ以外を選んだら、逆にサングに嫌われてしまうかもしれないと思っていた。
でも、競争や追いかけっこはよく参加した。
一人でどこまでも逃げられるから。
誰にかまう必要もない。
サングはじゃんけんが弱く、いつも鬼になった。
そして、サングが一番最初に追いかけるのはいつもトトだった。
「まてー!!」
大通りに地鳴りをたてながら大声が響き渡る。
行きかう人々は皆振り返る。
「は・・!」
トトが逃げて、小さな通りに入った時だった。
目の前に親子の姿があった。
「母上?」
母ルイに似た女性。
よく見ると違うのだけれど・・。
トトが遊びを忘れて立ちすくんでいると背後で声がした。
「そんなの・・見るなよ」
気がつくとサングが後ろにいた。
ゆっくりと近づくと、トトの身体をきつく抱きしめた。
「サン・・?」
「見ると辛くなるから、見るなよ・・」
いつもは暖かいサングの腕は、この時どういうわけか冷たかった。
数日後・・。
いつもどおり、トトはサングと二人で絵を描いていると、係が飛んできて慌てた口調で言った。
「お、王妃様のお呼び出しでございます!」
「母上の?」
「悪いちょっといってくる」とサングは走り去った。
サングの母上は優しい人だと聞いていた。
少し厳しいことも言うけれど、すべては子供を思ってのことだとサングは言っていた。
サングの母は、前国王ジュバルトの後妻でサングの実の母ではない。
しかし、愛情は実の母親と変わらないとサングは言った。
「違う!」
廊下の向こうで、大きな声がした。
サングの声だ。
「違うよ、母上!」
親子喧嘩でもしているのか?
あのサンの親だから、きっと性格も破天荒に違いない。
トトは苦笑しながら、声の方向へ足を向けてみることにした。
よく私も母上と喧嘩をしたものだった。
くだらないことで、言い合って。
決着がつかないと、あの父が「まぁまぁ、たいしたことじゃないよ」と笑うのだった。
「違うよ!信じて!」
扉の前でサングの声がする。
何か誤解が生じているらしい。
扉がさっと開き、係が冷や汗をかきながら飛び出してきた。
「え・・あ・・イルミーネ国王陛下??」
「どうしたんだい?サンは叱られているのかい?」
微笑ましく語るトトと、青ざめた係とでは、あまりにも対照的だ。
「イルミーネ国王陛下。我が国王陛下は、決してこちらのお部屋にいらしてはおられませんよね?」
係が早口で聞いた。
「うん。サンはずっと私と絵を描いていたんだよ」
「そうですか。そうですよね。そうでしょうとも!」
係は勝手に納得したようにそう言うと、扉の向こうに消えた。
「一体、どうしたと言うんだい?」
トトがさり気なく扉を開けると、そこには・・・
腰の曲がった高貴な夫人と、腕中傷だらけのサングが並んで立っていた。
床に一つの割れた花瓶。
高貴な夫人は、短い腕で幾重にも分かれた鞭を振るい、サングの両腕を傷つけた。
「痛い!」
皮の破れる音がした。
「信じて。オレじゃない」
「誰が信じられるものか、汚い蛮族の子のいうことなど!」
耳に切り裂くような声。
「母上・・」
トトは動けずにいた。
これが優しい母上か?
これが彼の母上なのか?
「トト・・」
サングがこちらを見ている。
「・・・彼は何もしていないよ」
かろうじてそんな言葉が出た。
「お二人で、よく悪いことも平気でなさっているとか・・・」
冷たい声。
「だいたい、あなた。イルミーネ国王と名乗っているけれど、もとは身分卑しい女の子供のくせに」
「・・え・・」
信じられない言葉。
「母上!トトは関係ない!関係ないだろう!」
「汚い者達でよく気が合うこと・・」
「母上!ごめんトト・・ごめんな、こんな・・」
トトは顔を背けた。
何もかもが恐ろしい。
何もかもが嫌でたまらない。
「あ、アルキュード候」
扉のところにいた係が声をあげた。
そこに現れたのは、アルキュード候ジュール。
その光景が、まるで何でもないかのように涼しい顔をしているトトの弟。
「王妃様・・」
ジュールは声をかけた。
「まぁ、アルキュード候。なんの用です?」
王妃の瞳が細められる。
彼を見ると皆がこういう目になることを、トトは知っていた。
自分にも、サングにも決して向けられることはない視線。
「実は、私はその花瓶を割った犯人を知っているのです」
「ほう・・そなたのいう事を聞こうか・・」
「ええ、実は・・」
ジュールは語った。
先ほど、その部屋の前を通りすがった時に、音がしたこと。
王妃の猫が一匹、そこから出てきたこと。
ゆっくりと穏やかに・・しかし、はっきりとした口調で
彼は語った。
「そうか、猫がの・・。それなら、まぁよい」
ジュールは、王妃が大の猫好きである事を知っていた。
猫が犯人ならば、それを罰しない事も。
「本当に、そなたは気がきくの・・・」
王妃の瞳が再び細められた。
ジュールは、その場にいた兄トトに視線をむけた。
涼しく、物怖じをしないアイスブルーの冷たい瞳。
「それでは、私は・・」
そこにいる皆に背を向けてジュールが立ち去ろうとした時だった。
「待てよ」
低い声に、ジュールはピタリと足を止める。
「どうして、おまえが出てきた?」
サングはジュールに近づくとその胸ぐらを掴んだ。
「何を・・」
サングの口元でギリッと歯が鳴った。
「もう・・やめて」
トトは、その場にある全てから逃げ出したかった。
優しいはずのサングの母と、明るいはずのサングと、恐ろしいくらいに冷たい弟。
「やめて・・」
私の母は、本当に・・優しくて。
私の父は、本当に・・優しくて。
オレの母上はさ。
優しい人なんだよ。
サンの声が頭の中から離れない。
「どうして・・」
こんなにも人は悲しい。
トトは、静かに部屋の外に出た。
しゃがみこんで泣いた。
友の涙を見るのは失礼な事だった。
友に涙を見せるのはもっと失礼な事だった。
「貴様!!」
サングの拳がジュールの顔面に当たった。
「・・っ!」
ただでさえ、力が強い彼の拳をくらったジュールは、数メートル後ろに吹き飛ばされた。
「立てよ!その人形みたいな生意気な面を二度と見られないようにしてやる!」
「陛下!国王陛下!」
皆がサングを止めに入った。
王妃だけは一人、窓辺に立ち、そこにいる猫に話しかけている。
「まるで・・子供だな・・」
血に染まった口を拭いながら、ジュールは呟いた。
「なんだと?・・」
「子供だと言ったんだ。聞こえなかったか!」
誰も彼もが、アルキュード候ジュールのこういう声を聞いた事がなかった。
彼は、いつも人形のような顔をして、物事に動じず、冷静に判断し穏やかに話していたから。
だが、今はその冷たい氷の瞳が、青白い炎をあげて燃えさかるようだ。

「甘ったれんな!たかが、肉親に好かれないくらいでっ!!」
「おまえに何がわかる!」
サングはもう一度拳を上げたが、ジュールの手に阻まれた。
「こ・・の・・っ!」
「悔しいのか?」
「なにを?」
「悔しいなら、こうやって生きてみればいい。私のように生きてみればいい!!」
「!!」
ジュールはサングの拳を振り払った。
まわりの人間達があわてて二人の間に入る。
「あいつを死罪にする!死刑だ!殺してやる!」
サングの叫び声の中、ジュールは一つ溜息をついて扉を開けた。
そこには兄が小さな身体を丸めて、一人ですすり泣いていた。
「兄上・・?」
ジュールには、泣いているトトが理解できない。
何を想って泣いているのか?
誰のために泣いているのか?
まさか、あの馬鹿のために涙を流しているのか?
口中に血の味がした。
頬が麻痺したような感覚。
脳髄の奥を掻き混ぜられているような強い不快感。
「あなたは、なんで・・・こんなくだらない事のために泣いているんだ」
その言葉が口から発せられた途端、トトの瞳に真っ直ぐに射抜かれた。
「くだらない?・・」
トトの口が信じられないというふうに動いた。
「彼の悲しみを、くだらないと言うのか、おまえは??」
トトの涙を溜めた瞳が怒りに変わる。
「!」
トトがジュールの胸ぐらを掴んだ。
また殴られるのか?
ジュールが、じっとトトを見た。
だが、トトは、きつく握り締めた手をジュールから離した。
「もう・・おまえには会いたくない」
そう言うと、トトは涙を拭きながら走り去った。
「っ・・・」
ジュールの喉の奥から変な声がした。
何度も繰り返すように。
これは何だろう?
・・・止まらない。
頬が熱さを持って痛みと変えた。
口の中が、どうして言葉を発せられたのか不思議なくらいに痛んだ。
痛い・・・。
物分りの悪い馬鹿な子供に殴られた。
何でも自由に出来て、泣き笑う事のできるあいつに。
今更、親なんかの愛情を欲しがってる甘ったれた子供。
自分が一言も話しかけられない兄の心を取り込んだあいつに。
助けてやったのに、殴られた。
痛い・・。
「あなたこそ、どうしてわかってくれない」
痛い・・。
ジュールは一人、廊下で涙もなく嗚咽をあげて泣いていた。
夕刻、イルミーネに帰る時間が近づいていた頃。
「陛下、国王陛下はこちらにおられますか?!」
バストール国の女官が息をきらし、顔色を変えて、イルミーネ国王の部屋に入ってきた。
「サンはいないよ」
トトも、サングが訪ねてこない事をいぶかしんでいた。
いつもなら、帰り際まで共にいるのに。
今日、あんな事があったから、部屋でじっとしているのかもしれないとも思っていたのだが・・。
「サンがいないのかい?」
「は、はい!城のどこを探しても、街の人間にも聞きましたが、行方が・・・・」
トトはさっと立ち上がった。
直感で・・彼のいるところさえ嗅ぎ分けることができた。
「だって、きみは私の運命の友達だろ」
初めて会った丘の木の下にサングは座っていた。
「トトか・・」
振り返りもせず、サングは言った。
彼のそばでコロが寝ている。
「どうしてわかる?」
「だって、おまえはオレの運命の友達だろ」
トトも、サングの隣に腰を下ろした。
二人とも、顔を見合わせなかった。
「あのさ、さっきはごめんな」
サングの声がした。
「いいや・・」
「母上を悪く言われるの、嫌だろ」
「もういいよ」
「オレも嫌なんだよ。母上を悪く言われるのは・・・」
ふぅと溜息が一つ聞こえた。
「関係ないさ・・」
「何が・・?」
サングがチラリとこっちを見た気配がした。
「親子だって他人だって、おまえそう言ってたじゃないか・・
私は冷たい人間だから、感じが悪い人間だから、そんなふうにしか思わないんだよ」
「そうか・・」
また、サングが下を向いた。
「ありがと・・な」
どうか、彼が泣いてませんように。
声が震えていませんように。
「帰ろう。皆心配している」
「ああ」
トトは、一度も振り返らなかった。
サングは、一度も声をかけてこなかった。
その後、イルミーネ国王の出発は朝に見送られた。
朝、サングはいつものようにとびきりの笑顔で、トトを見送りに来た。
私達はお互いに支えあう腕を持たない。
相手を信頼すればこそ。
差し出した腕を振り払うほどに、きみのために強くなる。
それがきみへの私の気持ちなんだ。