―血の誓い―
バストール国で何があったにしろ、イルミーネ国での日々に変わりはなかった。
朝、国王の寝室から共の者が付き添い、国王の世話をする。
昼になると臣下達が訪れ意見を言う。もちろん事前に打ち合わせをしてあるので、めったな発言はしない。昼過ぎると、国王の御友人である貴族の双子が現れる。
その後、国王の教育係がやってきて、国王に帝王学を教える。
夕方、夜会がある時は国王の部屋に衣装係が訪れ、相応しい衣装を着せて夜会に出席させる。
それもない日は、国王の自由な時間になる。
一人で夕食をとって、やがてベッドに入る。
今日も殴られた。
それを見て、双子は笑っていた。
-死ななければ-
繰り返すリストカット。
だが、傷は以前より浅かった。
国王は時折、城に設けられた鳥小屋に入る。
そこで、鳥と話をする。
話の内容は誰も知らない。
国王は真夜中に一人でベッドに入る。
枕も袖口も濡れている。
でも誰も気にしない。
国王は一人で泣く。
誰も聞いていない。
なぜなら声をあげないから。
誰にも聞こえないように毎日泣いている。
まわりの人間は誰も知れない。
腕を見れば、足を見れば、傷だらけ。
顔は涙でぐちゃぐちゃで。
すっかり眉間に刻まれた深い皺。
服は着乱れていて、髪は整っていなかった。
こんな私だから。
この身体の中にある芯は誰にも傷つけさせない。
どんなに外が傷ついていても、私の心を傷つけられるのは影だけだ。
他人になど傷つけさせるものか。
人は私を狂っているという。
そんな事、もうどうでもいい。
狂っているならば、狂ったまま生きてやる。
それが私に残された道ならば。
目の前で鞭が振り下ろされた。
-こいつには屈服しない!-
数発目・・
-おまえはいらない 罪深いもの-
影の声が聞こえてくる。
「やめて!いやだ、いやだ!やめて!!」
私を傷つけているのは影。
この男じゃない。
「どうだ、謝る気になったか」
「・・」
首を振る。
「なら、もっと泣き叫べ」
男の声に涙はとまった。
「殺せ」
どこからか声がする。
「殺してみろ、早く」
機械のような声。
-アハハハ・・-
調子の外れた声。
怒・悲・喜?
わからない。
やっぱり私は狂っている。
その時。
-バタン!-
という大きな音とともに、扉が開いた。
ドアが蹴破られたと知ったのは、そこに意外な顔を見たから。
「ぉお??」
挨拶をしかけた彼は顔を強張らせた。
彼の瞳には、狂気を宿して涙を流している私の顔が映っていた。
-見るな-
「トト・・」
友から顔を背ける。
「加勢するぜ!」
その叫びとともに、教育係の身体が飛んだ。
-ドン!-
という重い音。
何が起こったのか・・。
しばし呆然としていると、サングがふぅと一息ついている。
壁に全身を強打した男はピクリとも動かない。
「殺したのか!」
と、トトは聞いた。
「まさかぁ!?あいかわらず、非情な男だな。勝手に殺すな」
サングは言い、そして付け加えた。
「ところで、こいつ誰?」
しばらく、騒ぎを聞いたリーチェ公夫人は倒れた教育係を見つけた。やがて気がついた彼は、自分を倒したクソガキの姿を探したが、それがバストール国王だと知ると黙ってしまった。
「ああ、あいつはおまえの教育係なのか」
「うん・・」
トトの私室へ向かった二人は、ぞろぞろと後からついてくる者たちを下がらせたばかりだ。
「なんで、おまえみたいに強い奴が、あんなにやられっぱなしなんだよ!」
「それは・・」
「あんな奴たいした事ないだろ?」
「おまえ!イルミーネを知らないから、そんな事言えるんだ!」
「なんだよ・・・」
その後、二人そっぽを向いたまま、数分が過ぎた。
この距離での沈黙は苦しく思えたが、お互い口をきこうとしない。
最初に沈黙を破ったのはサングだった。
「何か・・話そう。つまらない・・」
「うん・・」
と、トトもそっぽを向いたまま頷く。
「おまえ・・何か言えよ」
「え、私・・私か?ジュール・・ジュールは元気かい?」
少なくとも、そのくらいしか思い浮かばなかった。
「は?あいつ・・あいつ・・まぁいいけど」
お互いに顔を合わせていないままなので表情はわからないが、片方は不機嫌で、片方は不安気だと
声の調子でわかる。
「あいつは、昨日オレの母上に呼ばれて、激しくシャウトしながらご自慢のリュートを弾いてたぜ!」
「・・・」
「・・・」
しばしの沈黙。
その後・・
「ジュールがっ!?」
「ああ、そうさ」
・・激しく叫びながら、リュートを弾くジュール・・
・・とても想像できない・・
「ジュールは本当に?」
「本当さ!元気だよ」
「いや、激しくって・・」
「オレの見間違いかな?」
頭をかくサングとトトが目を合わせる。
「ほ、ほ、本当なの?ププ・・」
一度、脳裏に浮かんだ想像はなかなか消えない。
「ププププ・・ハハハハ・・!!」
「どうしたんだよ?」
サングは、ふと考えて、自分が言った事を再確認したようだ。
「ププププ・・アハハッハハ!!!」
トトと同じく腹を抱え笑い転げた。
どんなに暗い時でも、この南国の友がいる時は笑いがあった。
また手紙がやってきた。
必ず週に何回かは、愉快な絵とたわいのない言葉を目にした。
そのたびに、この前会った事を思い出し、おもわず噴出してしまう。
サングがイルミーネに来る事に誰も表立って反対はできなかったが、イルミーネ宮廷内では相当厄介者と思われているのは事実であった。
国王の教育係をぶっ飛ばした後、双子の御友人を脅迫したとの噂はすぐに宮廷中に広まった。
それは、サングがトトを誘い出し、街に繰り出した・・という大冒険をした時の事件だった。
ちょうど双子が訪れる時間にサングはトトを誘った。
トトはもちろん警戒して断ったが、その双子がトトの御友人だと聞いて、安心してその目も構わず抜け出した。
案の定。帰ってきた二人を待っていたのは、リーチェ公夫人と含み笑いを浮かべている双子だった。
それを見た時トトの顔は強張ったが、それ以上に驚愕の表情を浮かべたのはサングだった。
「おまえら、友達を売ったのか?!」
双子はずっと笑っていた。
彼らは、イルミーネ宮廷内で聞いた噂を信じていたからだ。
「バストール国王は真夏の太陽を浴びすぎて、少々頭がイカレている・・」と。
サングはつかつかと双子に近づいていた。
トトは黙っていた。
「おまえら・・・誰かに脅されていたのか?」
「いいえ」
しばらく黙った後、サングは口を開いた。
「おまえらの信じるものはなんだ?」
「??」
ニヤリと二人は同じ笑いを浮かべた。
-やはりイカレている-と思ったのだろう。
「神様です」
笑いながら二人は答えた。
「それならば・・」
サングは真紅のマントを翻し
「オレがその神様だ!」
と、怒鳴り散らした。
「・・・」
-こいつはやはり少々イカレているのかもしれない-
と、トトでさえ思った。
呆然としている双子に、突然おもちゃのパチンコを向けた。
「跪け!」
木製の二股を向けられた双子は笑い転げた・・が、それが発射された途端、尻餅をついた。
彼らの足元に小さな穴が開いている。
小さいが深い穴だった。
間違いなく・・・身体を貫通するだろう。
「オレのパチンコは特注でな。友達には果物の種だけど、敵にはダイヤに変わる」
サングの手には、ちょっとした家が買えるくらいのダイヤモンドが光っていた。
「ほら、神様が言ってんだ。跪きな!神様は今、少々機嫌が悪い」
それで、双子は跪いたとか・・その後、リーチェ公夫人の不興を買って御友達を解任されたとか・・
しかし、その噂以上にイルミーネ貴族がこぞって噂したのは、パチンコの玉にダイヤモンドを使えるほどのバストール国の豊かな財源だった。
その後の・・その場にいた者を使った「1粒のダイヤモンド大捜索」は、バストール国王自身が口止めしていたので誰も知らない。
「しかし、バストール国がそれほど豊かだとは・・」
「あちらの国が豊かなのは商人と組んでいるからだ」
たったそれだけの事件がイルミーネ貴族達を揺さぶった。
-改革派に流れるべきか-・・・
そんな事をトトは知らなかった。
ただ、友人が起こした馬鹿らしい事件を思い出して、笑っていた。
あいかわらずトトの手足は傷だらけで、しわくちゃの服を着て、髪はどうしようもなく乱れていた。
そんなトトを見て、サングは何も言わなかった。
彼の手足もまた傷だらけで、しわくしゃな服を着て、髪は乱れていたからだ。
その理由を彼はこう答えていた。
「犬と遊んで、友達と遊んで、何もかも直す暇がない」
同じような見かけの二人は、周りの声も聞かず会っている時には好き勝手に過ごした。
イルミーネの城の中でトトは一人だったが、寂しいとは思わなかった。
彼の心の中にはいつでもサングが住んでいて、思い返せばいつでも楽しい気持ちになれたのだから。
逆に、他の誰かが近づく事は極端に恐れ、嫌った。
トトは、一人でいる時のほうがむしろ楽しそうに見えた。
だが、影の声は消えることなく、トトを責め続けた。
「死なないと・・」
誰かに責められたり傷つけられる度、トトはそう呟き、自らの腕を傷つけた。
時にはサングの前でさえ。
「こんな事で死んでどうする。たった一つしかない命なら、ここぞという時にだけ使えよ。
嫌いな奴のためではなく、愛する者のために使え。
おまえの人生はこれから長いのに、こんな小さな事で大きな物を捨てるのはもったいないぜ」
ある日サングは言った。
「でも、死なないといけない気がするんだ」
トトは譲らない。
「じゃあ、勝手にしろ!死んじまえ!」
「え・・?」
死ぬなという言葉を期待していた自分に気づく。
「明日まで、おまえが生きていたら絶交だ!」
「え・・でも、そんな急になんて・・」
「自分のいう事を曲げるなよ!」
サングも譲らなかった。
「おまえが死んだら、理由はオレが話してやる。面白おかしくな。
どんなおかしい理由にしようかな・・ウンコ漏らした事にでもするか」
「やだよ!そんなの!!」
トトが叫ぶ。
「死んだら関係ないだろう?」
「あ、明日には死なないよっ!」
「じゃあ、いつ実行するんだよ?便所坊主!」
「便所じゃない!」
その後、二人で腕が動かなくなるまで殴りあった。
それでも、トトの死にたい病はなかなか治らなかった。
そんなある日・・・
バストール国からいつものように手紙が届いた。
サングの手紙には「遊ぼう」と一言だけ書いてあった。
トトが白亜の城を訪れると、サングは中庭に案内した。
小雨が降っていた。
サングは、天候など気に止めない様子で、一振りの剣を投げてよこした。
「今日は剣をしよう」
「ああ」
剣技には自信がある。
トトは頷き、鞘を抜いた。
「いくぞ!」
サングが攻め込んでくる。
型も何もないめちゃくちゃな攻撃。
「わ、こんなの」
トトは不意をつかれ、剣の一撃ギリギリのところでかわした。
「え・・」
トトの瞳に映ったものは切り裂かれた服。
白い肌に滲む赤い筋。
ピリピリとした痛みが襲う。
「なに?」
練習用の剣ではない・・真剣!
驚愕の表情を浮かべるトトを見て、サングは言った。
「死にたいんだろ?」
ニヤリと笑った口元に冷酷さが滲む。
-こいつは本気で私を殺す気だ-
トトは理解した。
「・・・」
剣を構えなおす。
「いくぞ・・」
たぶん・・何度か斬られた。
手足、体にピリピリと痛みを感じる。でも、確認している暇もない。
攻撃は続いている。
「やめてくれ」などという間がない。
怖かった。
でも、熱かった。
見えるのは、サングだけ。
他には何も見えない。
「もらった!」
サングが大きく腕を振り上げた。
「・・」
予想のできない動きに一瞬の隙が生まれた。
トトは縦に構えていた剣を横に凪いだ。
動物的勘だった。
トトの顔に血飛沫が飛んだ。
動きが・・
時間が止まったようで・・・
「あ・・」
発したのはどちらの声だったのか。
・・・・・・
トトが気がついた時、サングは地に伏せていた。
「いてぇな・・」
伏せたまま、サングは声を発した。
「オレ死ぬのか?」
「・・・・・死なないだろ、こんなところで・・・おまえが」
トトの声が冷たく響いた。
どうしてこんな冷たい声が出たのかはわからない。
他の人物が耳元で話しているようだった。
ひゅう・・とサングの息が一つ聞こえた。
「死なないだろ!こんな事でおまえがっ!!」
トトはサングを肩に担ぐと歩き出した。
「いてーよ」
「我慢しろ」
「寒いな・・死ぬってこんな気分なんだな・・」
「死ぬわけないだろう・・」
「おまえ、こんな気分よりもっと嫌な事あるんだな・・・」
「・・・」
「知らなかったよ・・ごめん・・」
それ以上、サングは話さなかった。
トトもサングの方を見なかった。
「死なせやしない」
震えていた声も、表情も、雨が隠してくれた。
サングの傷はすぐに縫合された。
命に別状はないとの事だった。
サングは笑って果物を頬張りつつこう言った。
「また、遊びすぎたかな」
イルミーネ王宮のそばには川が流れている。
その川べりは急な坂になっていた。
「滑ってみよう!」
サングが、走っていく。
トトが、どこからか板を探してきた。
最初は二人で競争をしていたが、やがて二人乗りをしてみようという話になった。
サングの胴に手を回してトトが地面を蹴った。
「ぎゃー!早いっ!」
「ひぃぃぃ!!」
ここからだとサングの背中しか見えない。
南国の香りが身を包むのを感じ、トトは思った。
罪を償わなくてはいけないのに、生きていてはいけないはずなのに、とても生きているのが楽しい。
父上にも母上にも申し訳ないけれど、トトはもう少し生きていたい。
彼と同じ明日が見れるならば、その時まではせめて…。
彼は私を認めてくれた。
生きていよう。
彼が生きている限り、私も生きる。

その頃から、トトのリストカットは止まった。