―バストール国―
「はぁ、面白かった!」
「だろだろ!」
海に夕陽が沈んでいくのが見える。
白亜の城はもう目の前だ。
「私さ、海って暗い青色だと思っていたんだよ。絵本でしか見た事がないから。
でも、ここはエメラルドグリーンなんだね」
「海の色は、一つだけじゃない。季節や温度で色も姿も変える」
「不思議だね・・でもきれいだ・・」
赤く染まりつつある海を見つめながら、トトは今日の一日を思い出していた。
東の市場にて・・・
イルミーネでは見たこともない建物が立ち並び、まるでおとぎの国か何かのようだった。
そこに人が住んでいるとは信じられなかったくらいだ。
サンはすぐに面白いものを見つける。
「ほら、そこに安い服があるよ!」
「何これ?紙だ。紙でできてる!」
服を手に取り、店先で叫ぶ。
トトも手にとってみる。
服の形をした紙だ。
丁寧に襟までついている。
「これなら、金がなくなっても裸で歩かなくてもすむよ。よく考えたね、ここの人」
そう言いながら、サンは服を広げ試着してみせた。
「似合う?」
「アハハ・・ガバガバじゃん!それなら裸のほうがましじゃない?」
「そうか?」
紙の上着をゴワゴワさせながら、サンは真面目な顔をして服を選んでいた。
「ほら、人間いつ貧乏になるかわからないから、今のうちに選んでおかないと・・」
「う・・う~ん」
トトも思わずつられて、服を選ぶ。
「これ似合うかな?」
「深緑か、いいね。紳士に見える」
「紙の服で紳士ってのも・・」
そう言って二人で笑いあっていると、店の奥から老人の声がした。
「こら!なんて罰当たりな事をっ。それは、御先祖様があの世で着る服じゃ!
あっちへいけ!あっちへいけ!」
老人はシュッシュッと杖でこちらを威嚇している。
「まずいよ!」
「逃げよう!」
二人は、紙の服をその場に脱ぎ捨てて、早足で店を去った。
「死んであんな硬い服を着させられるなら、私は裸のままのほうがいいよ・・」
トトが呟いた。
新しい文化の発見だろう。
次に立ち寄った店で、サングは店員に金を払って言った。
「みたらし団子と冷たい甘酒を頂戴!」
「また、坊かい。甘酒好きだねぇ!」
サングは店主と顔見知りらしい。
「そっちは見ない顔だけど、友達かい?」
「うん、トトっていうんだ」
「あのぉ・・」
見知らぬ大人に自己紹介をしなくてはならない。
「私は、バストールより北の・・」
いろいろ考えた上で名乗ろうとしたところ、サングに阻まれた。
「イルミーネから来たんだよな。オレと同じ11歳なんだよ」
「そうか、よろしくな!」
それだけでよかったようだ。
トトは何回か無言のまま頷いた。
「おまえも何か買えよ」
「えっ?!」
一人で物など買ったことがない。
言われたとおりに金は持ってきたけれど・・。
「あのぉ・・これと・・これを・・」
看板に書かれたメニューはわかるが、どう言ったらいいかわからない。
「はい、五平餅と玉露茶ね、・・・若いのに通だね。お客さん」
「・・」
よくわからないから、串焼きっぽいものとお茶を頼んだだけだ。
口にした途端、予想外の味に驚いた。
「何これ!甘辛いよ。お茶も深い味がする。美味しい!」
「ここ、何かまったりするだろう・・だから好きなんだよ」
サングはそう言い、自分も五平餅を追加した。
「まだ食べるのかい?」
「まだ足りないよ」
サングは結局・・・
五平餅3本、団子5本を平らげた。
「あー!!幸せだ!美味しいーー!!!」
通りを行きかう人々がサングの大声に振り向く。
「は・・恥ずかしいよ!!」
「いいぞ!坊!もっと宣伝してくれ!」
店主も大声で笑った。
こいつといると、寿命が縮まりそうだ。
何もかも・・範疇を超えている。
サンは、本当に嬉しそうな顔をしている。
イルミーネでは、こんな顔をする人間を見たことがない。
それがかえって新鮮だった。
「わかりやすいなぁ」
「皆にそう言われるよ。でも、嬉しい時に嬉しい顔するだろ、普通」
「そう・・かもしれないね」
「おまえは無表情だな、もっと笑えばいいのに」
「無・・かな?」
サンに言われるまで、そんな事考えた事もなかった。
「でも、それ面白いかもよ。そういうキャラで通すってのもさ」
「このままでいいのかな・・」
「いいんじゃない、それがトトちゃまなら」
そう言ってサングはまた団子にかぶりついた。
少し嬉しい。
「美味しいね。本当に幸せな気分だよ」
そういうトトを見て、サングは一層笑顔を輝かせた。
城に帰った二人を待っていたのは、恐ろしいくらい感じの悪い目つきをしたリーチェ公夫人だった。
少し見ただけで、次にくる言葉がわかるほど、この人は全身から嫌な雰囲気を醸し出せる特技を持っている。
トトはその場で立ち止まった。
身体が嫌悪に震える。
無理やり毛虫にでも触らされるかのような気分だ。
「陛下・・私の言いたい事がわかりますね」
あえて威圧するように、静かな口調で彼女は話した。
「・・わかりません・・・」
「なぜわからないのですか?・・理由を言いなさい」
「私は・・」
「何だよ、おばさん。ちょっとうるさいんじゃないのか?」
サングが途中で口を挟んだ。
「バストール国王が正式に国を案内しているのに、なんと言う言い草だ。無礼な!下がれ!」
「は・・はぁ・・」
リーチェ公夫人が初めて頭を下げた。
そして、しずしずと後ろに下がる。
おそらくは、彼女の意思と言うより、サンの・・バストール国王の迫力がそうさせたのだ。
「では、また後日、我が国をご案内しよう。イルミーネ国王陛下」
サングはそう言うと、トトの背中を一つポンと叩いた。
ーじゃあな、また、明日ー
そんな意味をこめて。
今日は、本当に素晴らしい日だった。
また、明日もサンに会えることが嬉しい。
トトは、ベッドの中で今日の事を思い出し、笑いを堪えた。
いつも聞こえてくる影の声は、サンのけたたましい笑い声にとって替わり、
普段は永く恐ろしい夜の時間が、明日への待ち遠しさに替わった。

静かな夜だった。
アンジュー公の屋敷は、森の奥深くにあり、普段は誰も近づかない。
夏の虫の声が聴こえる。
「ジュール、もう休みなさい」
「はい」
2階のバルコニーに座っている甥にアンジュー公は声をかけた。
「ジュール」
「もう少しだけ、ここにいてもいいですか?」
「ああ、いいよ」
この子は変わってきている・・確実に。
アンジュー公は姿を消した。
小さな溜息をついて、ジュールは城の方を見つめた。
-私は何なのだろう-
深く考えるのは恐ろしい。
あの時、初めて兄に会った時に何かが掴めそうだったのに。
-彼の悲しみが、怒りが、私を変える・・変えられてしまう・・-
消そうとしても消えない。
トトの笑顔と泣き顔。
「トト・・」
あなたに話したい事がたくさんあるんだ。
聞いてほしい事。
そうは言っても、どういうわけかとりとめのない話題しか浮かばないのに。
どうしても口がききたい。話がしたい。
いっぱいいっぱい話をして、飽きるほど一緒にいて。
同じ本でも読みながら、笑いあえたら・・。
私に笑いかけてくれたら・・。
兄弟のように、友達のように
私の名を呼んでくれたらいいのに。
「ジュール・・あのね・・」
しかし、心の中の兄は、違う人物に微笑みかけていた。
バストール国王・・。
どうして彼でなければならないのか。
あの自分勝手な子供。
トトはあの人のどこがいいのか?
なぜ、あの人にできる事が私に許されないのか!
ふぅ・・と、ジュールは2度目の溜息をついた。
だって、私は
イルミーネ国王の王弟で、トトにとっては弟で、臣下で。
トトが憎むべき、父の愛人の子で・・・。
いつかは、トトの立場や存在を脅かすかもしれない存在だからだ。
目の前で死のうとしたあの人を本当の意味で追い詰めているのは、私かもしれない。
「なんで死のうとなんてするんだよっ・・」
一方、彼に笑顔を取り戻させたサングは、トトと同じ国王という立場で、トトにとっては初めて心を分かち合えた友なのだ。

ジュールはバルコニーに落ちてきた花弁を、片手で握りつぶした。
花はバラバラに崩れ、すぐに風に運ばれて、散った。
-私は何なのだろう-
もう、これ以上は考えたくなかった。
次の日も、その次の日も・・
トトは弟の姿を探したが確認できなかった。
彼は、アンジュー公に匿われているという。
アンジュー公は隠遁生活に入ってしまった人なので、バストールの王宮にはめったに顔を出さない。
それに加えて、アンジュー公は他人がした事とはいえ、王座をかけて現国王と争った相手なのだ。
しばらくは王宮からは退いていた方がよいとの認識のもと、彼はここへは訪れないだろう。
アンジュー公とジュールは立場的に似ている。
ジュールも公式的にはトトの前に姿を現さないだろう。
それが彼の立場だからだ。
また、彼の存在を守るために必要な措置であった。
弟なのに・・話をする事もできない。
でも、彼は私と話すのを望んでいるのだろうか?
彼にとって、私は父を独占した別の女の子供なのだ。
恨んでいたとしても当然だ。
でも・・・
私の身の危険をセバスチャンに知らせ、自らはバストールに落ちて行ったジュール。
もう一度会った時は、私の手からナイフを取り上げ鋭い声で非難したジュール。
「どうして、あなたが死のうとするんだ!」と。
お互いこんな立場でなかったら、親しく言葉を交わす事もあっただろうに。
夜会で、ジュールを探すトトの肩に、手が置かれた。
「なぁ、今日は何する?」
振り向くと、とびきりの笑顔で友が笑っていた。
バストール国に滞在している間、サングはトトをいろいろな所に案内した。
それは、トトにとってまったく未知の世界であり、驚くべき刺激に満ち溢れていた。
「おまえ、本当に帰るのか?」
最後の日、サンは言った。
「ああ、私はイルミーネ国の国王だから」
「そっか」
「また来るよ・・いつか」
「いつかじゃなくて、すぐだろ!オレはすぐに行くよ。おまえの国へ」
あいかわらず、友からは南国の香りがした。
馬車がイルミーネへの道を進み始めてから、トトは一度も振り返らなかった。
だって、すぐに会えるだろう
だから、私は振り返らない
君に会えると信じているから
今回よりも素晴らしい未来がきっと待っているから
だから、こんな素敵な過去にさえ、振り返らないよ
君がそう教えてくれたから
その頃、バストール国ではもう一つの別れがあった。
「おやおや・・もうイルミーネに戻る時がやってきてしまったようです」
「私もそなたの意見に賛成ですよ。相応しくない者が王位についているのは、国が乱れるもとですからねぇ。我がバストールも、あのように汚い異民の子が王位についている。大変忌々しき事です。
イルミーネもそれに準じてはいけませんよ」
「ありがたいご助言、御礼申し上げます・・・母后様」
「そなたの働きに期待していますよ。クルーレ候。ああ、しかし・・
あの子がイルミーネ国王にか・・いっそ我がバストールの王として君臨してもらいたかったが・・」
「しかし、アルキュード候が国王として即位なさった暁には
我がイルミーネ、バストール両国ともにますますの繁栄が期待されるでしょう」
「そなたを信頼します、クルーレ候。
物事を正しい方向に導いておくれ」
「はい・・」
継子である現国王に反感を持ち、リーチェ公夫人と並ぶほど血統主義者であるバストール国の母后を、味方につける。
それがアランソンの作戦だった。
だが、しかし。
彼はいくつかの事を見落としていた。
それが、後々流れを変えるようになるとは
この時、誰も予想していなかった。
「イルミーネ国王が国に帰られたそうだ」
「え、兄上が・・」
アンジュー公は椅子に腰掛け、甥に語った。
一瞬顔に浮かんだ表情を再び押し込めて
ジュールは人形のような顔で答えた。
「ふたたび・・お会いする事が叶いましょうか・・」
「ああ、いつかきっと」
「いつか・・ですか」
ジュールは黙った。
「ジュール。私とともに、もうしばらくここにおいで」
アンジュー公の手がジュールの肩に置かれる。
この子がここから出される時には、何がしかの悲劇が起こるに違いない。
その時の犠牲者は、この子か、この子の兄か・・それともこの国の王か・・。
いずれにしろ、動きは少ないに越した事はない。
ただ、救いはイルミーネ国王とバストール国王との間に親密な交流が生まれたであろう事実。
そして、もう一人の甥の能力。
-サングならすべての流れが読めるだろう-
あの甥はやんちゃで我が侭な子供に見えて、時折鋭い事を言う。
まるで全てを見通しているかのような・・。
あの子を王に推したのは、自らが王位を継ぐ気がないのもあったが、サングの力を認めていたからでもあった。
しかし、一つ心配なのはサングの感情の激しさだった。
情に流され、正しい眼力が狂うとも限らない。
「ところでジュール。母后とは、その後どう・・」
「母后様には、とてもよくしていただいております。明日も私室でリュートをお聴きしたいと・・」
「そうか」
アンジュー公といえども、唯一手が出せない存在。
バストール王妃。
現国王の義母にあたるため母后の名称で呼ばれる彼女は、前国王ジュバルトの名目だけの妻だった。
サングの生母であるジプシーの踊り子リリーが亡くなってからというものの、バストールの重臣たちは、もう二度と国王が異民族の踊り子ふぜいに入れ込まないよう名門貴族の中から、正式な王妃を立てた。
しかし、リリーを深く愛していたジュバルト国王は新しい王妃に目もくれないどころか、リリーの棺の前から動こうともせず、ある夜に失踪した。
アンジュー公は辛そうに目を伏せた。
「ジュバルト兄上・・」
「叔父上?」
ジュールが不思議そうな顔をしているのに気づいて、アンジュー公は真顔に戻った。
「・・なんでもないよ。それより、あまり母后と接触しすぎないほうがいい。
国王の不興を買うとも限らないから」
「はい、心得ます」
この子は、この先どうなるのだろう。
何事もなく、時が過ぎ去って欲しいと願うアンジュー公だった。