-運命-

―その光のもとへ―

・・・誰か・・・

オレンジ色の空間。

ここはとても窮屈だ。

まわりの色は暖かいのに、どうしてこんなに苦しい?

私の前には、細い鎖で出来た檻。

「誰か!ここから出して!」

叫んでも誰も答えない。




先ほど一度だけ、白い腕が檻の中へ伸びてきて、私を誘った。

その腕は一見するととても綺麗だが、よく見ると無数の傷がついていた。

私は恐ろしくなり、思わず振り払ってしまった。



それ以来、誰も来ない。

「助けて!誰か助けてよぉ!」

流す涙のほどに、檻は太く、より強固になっていった。

涙が凍って、私を閉じ込める。

「ここから出して!」

叫んでも、誰もいない。


檻は、やがて一面を覆い尽くす壁となり、まわりは何も見えなくなった。


何も見えない。
もうじき、暗闇が私を訪れる。

影が、私の心を支配する。




目をつぶって耳を塞いだ。

こんな事をしても無駄なのに。

ドクンドクン・・と鼓動だけが聞こえてくる。


ああ、影が来る・・・。

ああ・・抵抗できない。




ドクン!

突然、激しい衝撃が襲った。

空間そのものにヒビが入ったようだ。

けたたましい音がして、空間が壊されていく。



こわい!

何が起こっているのか?

誰が私の心を壊そうとしているのか?

誰がこんな酷い事をするのか?



壊れた空間の歪から見えたものは、空。

衝撃音は続く。

誰かが、私の心を蹴破ってしまう。

酷く乱暴な方法で。
破壊しつくされる。



すると、ふいに腕が伸びてきて、私を掴んだ。
振り払えるほど優しい腕ではない。
もっともっと力強い腕。

それが、私を掴み、外へ引っ張り出そうとする。
やめて!と言っても離さない。


なんて身勝手な力。
無理やり私を引きずり出す力。


檻は完全に破壊され、オレンジ色の空間さえ飛び越えて、遥か向こうに見えたものは・・

空・・そして、眩しい光。



「あんな・・大きなお日様を見るのは、初めてだよ」

思わず言った。

「こりゃすごい!この星は大丈夫か?」

前を行く彼が驚いた口調で言う。

「世界が大変な事になるよ」

「よし!もしそうなったら二人でこの星を支配してみるか!世界を手に入れてみせようか!」

「本当にきみらしい」

そう言って、私ははっとなった。
彼は、誰だ?

思い出せない。
知っているのに。

「きみは誰だい?名はなんと言った?ごめん思い出せないんだ。おかしいよね・・どうして」

すると、彼は大声で笑って答えた。

「ハハハ!昔から、忘れっぽかったからな!ほら・・オレは」






そこで、私は目を覚ました。

窓からは、イルミーネの山々が見える。

あれは夢だったのか。

最近、似たような夢を何度も見る。
可笑しなくらい非現実的で、可笑しいくらいリアルだった。

まだ、この手には彼の手の感触が残っている。
笑顔が残っている。
顔の輪郭はわからないのに。

声が頭の中で響いている。

それと、香木のような甘い香りが・・。
この身体に残り香として残っている。


不思議にも懐かしく、だからといって泣き出したいような気持ちではなかった。
むしろ明るい喜びが身体中を支配した。

夢の中で彼にあった日はいつもそうだ。

私は、何度も遠くに向かって問いかける。





きみは誰?







朝の支度が終わった頃に、扉の方から二つの声がした。

「国王陛下、今日もよろしくお願いいたします」

真っ白な髪をした双子。
彼らは、私の”友”だそうだ。

ある日、リーチェ公夫人が二人を連れてきた。
「国王陛下は、これから学ばなければいけない事がたくさんございます。そのうちの一つが、同じ年頃の者たちとお話をすることです」
夫人は、めずらしく優しい笑みを見せた。
「友達?」
「そうです。同じ年頃の者とお話をすれば、おのずと協調性も身につき、積極性も身につくでしょう」
夫人の手には、教育学の本。
「これも国を治めるものとして、必要なお勉強かと思います」


煩わしい事だと思った。
友達など欲しくない。
以前も母上が、私を同じ年頃の子の中に入れようとしたが、どういうわけか馴染めなかった。
皆がゲームをしている時、私は一人で絵を描いていた。
皆を連れていた年上の女性は、私にも声をかけた。

「皆と一緒に遊びましょう」

その女性はとても優しげであったが、私にはその発言が私を蔑んでいるものに聞こえ、申し出を拒否した。
すると、皆が私を見た。
そのうちの一人が、私を指差し、こう言った。

「どうして、あの子は一人なの?」

私は、初めて自分が一人である事を知った。
言われなければ、永久に気づく事もなかっただろうに。
これだから、同じ年頃の子は嫌いなのだ。

母上も私に言った。
「一緒に遊んでみようよ」

私は拒否した。
惨めだった。
こんなふうに言われてまで輪に加わらなければならないのか。
私だけが加われないと思われているからだ。
大人の力をかりないと、何もできないと思われているからだ。
それは人間失格の烙印を押されたも同然の扱いに思えた。

母上と女性は、困ったように顔を見合わせ、言った。

「皆、楽しそうだよ」

私は、泣いた。




数日後、リーチェ公夫人は二人の子を連れてきた。
よく顔が似ている。双子らしい。

二人とも表情が乏しく、何を考えているのかわからない。
口元に笑みを浮かべているが、目は冷静だった。
どことなく、あの弟を思い起こさせる。

・・・そういえば、どうしているだろうか、彼は?・・・

「この二人は、カーラ伯の子供達です。陛下のご身分に相応しいお遊び相手かと思われます」
リーチェ公夫人の紹介を受けた二人、マーシャとミーシャは頭を下げた。

「今後ともお願い申し上げます。国王陛下」

二人は、リーチェ公夫人から与えられるゲームやおもちゃを私に見せて誘った。
「陛下、ご一緒に遊びましょう」
「・・うん」
本当は嫌だった。
しかし、彼らとて役目でこうしているのだからと、自分に言い聞かせた。

彼らは、リーチェ公夫人がいる時は、人形のような笑みを浮かべて私に付き合う。
しかし、夫人がいなくなると途端に態度を変え、二人で顔を見合わせて笑った。

「陛下は、こんな事できますよね?」

彼らは、私が答えると無口になり、答えられないと笑った。

「国王陛下でも、ご存知ないんですね」
「それじゃ、私達が知っているわけないですよね」
二人は、ケラケラと笑った。

不快な気持ちだったが、ほっておいた。
彼らもこの役目が嫌なのかもしれない。
リーチェ公夫人に彼らを休ませるように言った。

すると・・・
「何かご不快な事でもございましょうか?」
「陛下のお気に召さない事がございましたか?」
二人は声を合わせて叫び、泣き始めた。

私は彼らを哀れに思い、この件は取り消した。



夫人がいつも通り去った後。
ゲームの手を止めて、彼らは話し始めた。

「この城でさ。毎日、夜に声が聞こえるって知ってた?」
「こわいねぇ、陛下はご存知でしたか?」
「知らないよ」
「あのね、母上、母上って泣く声が聞こえるんだよ」
「こわいねぇ、陛下はご存知でしたか?」
「・・・知らないよ」
「この城にお住まいの陛下でもご存知ないんですか?」
「おかしいねー!」
「ねー!」

二人は顔を見合わせて笑う。

「知らない・・」


もう友達なんていらない。





「なんですって?!」
リーチェ公夫人は声を上げた。

「彼らに暇を与えたいのです」

「陛下、私達は何かご不快な事をいたしましたか?」
「お許しください陛下!」
二人は、また泣いた。

「もう一度だけ、機会をください!」

そうして彼らは、まだ私と一緒にいる。




「彼らとの時間にいらっしゃらなかったそうですね」
「はい」
「どうして彼らとうまくお話できないのか、理由をお聞かせください」
リーチェ公夫人には何も言わない。

「私がいけないのです。
私が我が侭なのです。
私が悪いのです」

夫人は頭を抱えた。
「二人から、いろいろ報告は受けています。本を破られたりしたそうね」

私はしていない。・・するわけがない。
大事な本を破られた時の気持ちが、湧き上がってきた。
「・・・」
「どうしてまともに生きられないの!」
「まともではないからです。私は・・」

母上と父上を殺した罪深い子だから、こんな目にあうんだ。

影は、また囁きかける。

でも、怯えるほど怖かった影の声が、私には心地よくなってきている。

どうにでもなってしまえ。

殺すなら、殺してみろ。

死など恐れてはいない。

責めるなら責めろ。

ボロボロになるまで受け止めてやるから。

それが私に相応しい罰だというなら。


たぶん、窓に張り付いている小さな虫より、私の命は意味がない。
まわりに害を与えている分、それ以下だろう。
私以外の全ての命がもっと幸せに生きられるように。
私は崩れてしまってもいい。
害虫は早く死ね。

今日も笑いながら泣く私がいる。

狂っている。



「国王陛下、申し上げます」

臣下は畏まった姿勢で述べた。
「バストール国王が即位するとの通達が」
「なに?やはりアンジュー公か?」
他の臣下が声を上げた。
「いいえ、前国王ジュバルト陛下の第一子、サング様でございます」
「なるほど。…して戴冠式はいつか?」
「ほどなく…と伝わっておりますが、詳しい事は後ほど」

バストール国王はイルミーネ国王と歳が同じ少年王だそうだ。

虚しい…とトトは思った。
私と同じ年頃で、同じ思いを味わうのか。
哀れな子だ。

私はその子の戴冠式を見たくはない。
自分と同じように泣いていたら、と思うと耐えられない。

「おめでたい事だ」

臣下の声が空々しく聞こえた。






数日後。

馬車の列が、イルミーネの山々を越えてバストール国へ向かった。

「陛下、いかがですか?ご気分は」
「悪くないよ」
隣には女官が一人座っている。
前にはリーチェ公夫人。


初めて見る城の外。
どこまでも広い世界。
地平線が見える。
こんな広い世界で、私は一体どうやって生きていくのだろう。
それは不安というより、爽快な気持ちであった。
この窮屈な馬車の向こうは恐ろしげだが、しかし魅力的だ。

途中の休憩地で休みを取ることになった。

「ここはもうバストール国です」

わかる。
イルミーネとは温度も匂いもまるで違う。
湿気のある空気。強い植物の香り。

「明日、白亜の城に到着します」
ここで支度を整えるらしい。
「明日の朝から戴冠式です。陛下のお席は…」
臣下が長々と説明をする。

出たくない。戴冠式など。
惨めな自分の姿が思い起こされる。
あんな悲しみを、屈辱を、他の子が味わうというのか。
それを見たら、私は…。

トントンと扉がなり、教育係が入ってきた。
「リーチェ公夫人にお呼ばれしたもので、少しの時間も無駄にするなと」
残虐性を裏側に隠した彼独特の柔和な笑み。

私は、無様にも後ろに引いた。
また殴られる。
そんな予感に。

「少し…忘れ物を取りに行ってくるから」
「いってらっしゃいませ。国王陛下」
笑みが凄惨に歪んだ。





ハッ・・ハッ・・!
息が切れる。
全速力で建物内を走った。
皆、明日の事で忙しく廊下には誰もいない。
門には門番がいる。
そばにある窓から外に出た。

どうなるのかわからない。
ただ、耐え難い事に触れたくないだけ。
死んでもいい。
ただ、もうここにいたくないだけ。

裏の林を走り抜けた。
見つかったら、きっと酷い折檻を受ける。
それがわかっていて、見えないほど遠くへひた走った。

林は途中で途切れ、眼前には崖が。
「あ・・!」
あわててつまづいた、手をつくが間に合わなかった。
木々の間を転げ落ちていく。

このまま死ぬのかしら…。

なるがままに任せた。


・・・・やがて地に堕ちた時、生きている事を知った。

目をつぶる。
鳥の声が聞こえる。
木の匂いがする。

このまま、森に溶け込んでしまえ…。

私は、やがて森と一体になり、自然の一部となり、風にそよぎ、消えてゆくのだから。
不思議にも穏やかな気分だった。

こうして仰向けになって、息を吸っているだけで、この世界の一部だと感じる事ができる。

”私”など、消えてしまえ。

澄み切った時は流れる。
まだ私には意思がある。
早く消えてしまえ。

そうすれば
母上
会えますか
父上

神様は、私の罪をお許しになりますか?

もう一度、家族で一緒にいられますか?
・・・・・・・・・ずっと一緒にいられますか?

流れた涙を拭った。
まだ感情が残っている。
早く消えたいのに。




ガサガサ・・

林を駆け抜ける何がしかの音がした。
獣か。
恐ろしくなった。

肉を引き千切られるかもしれない。
逃げ出したい。
でも・・逃げてはいけない。
意味のない命。
誰かのためになるのなら、喜んでさしあげよう。
こんな命、少しでも役に立つのなら、さしあげよう。

神様は、それで許してくれるかもしれない。


音は近づいてきた。


早く、早く、とどめを刺して。
殺して・・。


怖いよぉ、母上!
叫び声が出そうになるのを必死で堪える。
母上が、父上が、愛おしんでくれたこの身が引き裂かれる事に、どうか耐えられるように。
恐怖を堪え、死を迎えいれる。

・・・・・・

「っ・・!!」
突然、顔面に影が映り、人の気配を感じた。

目の前に現われた影を、瞬間的に手で防ぐと
「うわっ!!」
と、声がした。

目を見開くと

足。

顔面上に足。
誰かに顔を踏みつけられるところだったのだ。
相手はバランスを崩し、後ろにひっくり返った。

「なんだ!おまえ!!」
特徴のある大きな声。
「なんだと言いたいのは、こっちのほうだ!いきなり、人の顔面を踏みつけようとするなんてっ!!」
咄嗟に声が出た。
いままで死のうと決めていたのに。

「死体だと思ったのに、突然動きやがって!」
「なに?おまえは死んだ人間の顔を踏もうとしていたのか!なんて罰当たりな!」
「そっちが死んだふりしてんのが悪いんだろ?」
「ふり?・・ふりじゃない!」
「そんなところで寝て、森に生気を吸い取られても知らないぞ!」
「だから、私は・・」

-どうして?-
頭の中に声が響いた。
なんで、こいつは私の考えていた事がわかるんだ。

そこで、初めて相手の顔を見た。

褐色の肌、明るい金色の髪、釣り目がちの濃い青い瞳。
イルミーネではありえない容貌の持ち主。

私は未知のものには警戒してしまうたちだった。
だが、不思議にもこの相手には警戒心が働かない。
彼から漂ってくる甘い香りが原因なのかもしれないが。

彼は無言のまま、どういうわけか手を差し伸べてきた。

-起きろ-

と、いう事らしい。
私は、差し伸ばされた手を掴んだ。

触れ合う肌と力強く引き上げる力。

-ああ、おまえか-

思わず、口に出かけた言葉を飲み込む。
彼に触れた瞬間に感じた、一瞬の光。

-なんだ、これは?-

言い尽くせない震え、感触。

-懐かしい-

私は、彼を知っている。
間違いなく。
顔とか、声とか、姿ではなく。
魂そのものを、その存在を知っている。

-なぜ?-

記憶の箱をひっかきまわすが、思い当たらない。

-きみは誰?-

夢の人?
それだけじゃない。
夢で会うより前に、ずっと前から知っている。
それは、ちょうど憶えているはずの歌が、喉元から出ないようなそんな感じで。


彼は、私を起こすと数歩前に進んでから、もう一度振り返った。

-来いよ!-

走るんだろう。
言葉はなくても気配でわかった。
私が踵で土を蹴ったと途端に、ふっと彼は軽く跳ね、駆け出した。

ここから、前を行く背中が見える。

-ずっと昔に、こうして走ったよね-

差は縮まらない。

-負けられないんだよ!おまえだけには-

スピードを速めた。
どんどん背中が近づいてくる。
背中で、奴が「負けるか!」と叫ぶ。

-なんだ、前と同じじゃないか-

私は笑った。
まったく根拠のない過去に。

やがて、目の前に小屋が見えた。

-あそこがゴールね-

奴が背中越しに笑っているのが見える。

-オレの勝ちだ-
-勝負は最後までわからない-

さらにスピードを上げると、奴が振り向いた。
その横顔と並んだ。

ものすごい勢いで、森を抜けた。

「うわ、うわっーー!!」

二人そろって小屋の壁に激突!

「どっちが勝ちだ?」
「さぁね?」

したたかに身体を強打した者達にはどうでもいい事だった。



「入れよ」
彼は、小屋の扉を開けた。
すると、小さな塊が飛び出してきた。
「あ、なんだおまえ!」
子犬だ。

彼に飛びついて顔を舐めている。
彼も子犬の耳に噛付いたりしてじゃれている。
まるで仲間同士のようだ。
「うふふふ・・」
その様子がおかしくてトトは笑う。

「そうだ!きみにも紹介するよ。こいつはコロ」
「よろしくね、コロ!」
コロはトトの手をペロペロと舐めた。
「茶くらい出すよ」
彼は、部屋の戸棚からティーカップのセットを取り出してきた。
美しい花の絵が描いてある。

「あのさ」

椅子に腰掛けたところで、彼は言った。
「これ、綺麗だろ?」
ティーカップを手に取り、彼はトトに聞いた。
「うん、とても綺麗なカップだね」
イルミーネ王宮でもなかなかこのくらいのものは少ない。

「ありがとう」
彼が極めて優しく嬉しそうに微笑んだので、トトは少し驚いた。

「え、そんな。お礼なんて言われても・・・そう思ったから言っただけだよ」
「きみは面白い人だな」
「そうかな?」
面白いなんて言われたのは初めてだ。

「これ、オレの母上が捨てたものなんだよ」
「え!こんな綺麗なのを?」
「ほら見てみろよ」
そう言って彼は、カップの取っ手を見せた。
ほんの僅かにヒビのようなものが入っている。
しかし、よく目を凝らしてみなければわからないような小さい傷だ。
「そんな、もったいない!」
トトは思った事を正直に言ったつもりだった。
ところが、彼は唐突に笑い出した。
「アハハ・・!本当にきみは面白い人だな!」
「どうしてだい?」
面白い、面白いと連続で言われて、トトは思わず身を乗り出して聞くと、彼はこう答えた。

「だって、きみ貴族だろ?」

トトは、はっとして自分の身なりを見た。
シルクのシャツと革の靴。
彼の着ている民族衣装のような麻の服や、サンダルとはずいぶん違う。

もしかして気づかれたか、イルミーネの国王だと。

「私は・・」
「イルミーネの方から来たんだろ?そんな厚い服着てたら、ここではのぼせるぜ」
「あ、うん」
どうやらバレてはいないらしい。

「貴族にしては面白い奴だと思ったのさ。貴族って奴は少しの汚れも認めない。ましてや、もったいないなんて言葉は知らないと思ってたけれどな」
「全ての貴族がそういうわけじゃないよ。私の母上はいつもそんな事を言っていたもの」
「きみには母上がいるのか?どんな人なんだい?優しいのかい?」
彼はぐいと身を乗り出して聞いてきた。

「もう・・死んだんだ」
私のせいで・・母上・・・。

「ごめん、悪い事聞いたな。本当にごめん」
彼はそう言うと、トトの手をぎゅっと握った。

暖かい手だ・・とトトは思った。


「きみにも母上はいるんだろう」
ティーカップを目で指して言ってみる。
「いや、オレの母上は、本当の母上じゃないんだ」
「え・?」
少し下を向いて黙った後、彼はニッコリと笑って言った。
「でも、すごく優しい母上だよ!」

彼の笑顔は好きだな・・とトトは思った。
そして、不思議にもこの笑顔を以前に見た事があるような気がしていた。

きっと昔も大好きだった笑顔。

言葉には出さない。
きっと変だと思われるだろう。
夢見がちか、幽霊のたぐいが見える人間か。
どちらにせよ、初対面では残したくない印象だ。

しばらくして。
「ちょっと外に出てみないか、案内したいところがあるんだ」
彼は言った。

子犬と少年が前を行く森の中。

トトもその後をついて行く。

緑の深い香り。

大きく息を吸う。

「はぁ・・」

生きていると感じる。
心ではなく、身体が喜んでいる。


「ああ、次に生まれ変わったなら、私は森の木になりたいなぁ」
そう言うと、彼は目を丸くして振り返り
大きな声で笑い出した。
「普通、生まれ変わったら、もっとすごいものを望むだろう?たとえば王様とかさ!」
「そうかな?でも私は木になりたいんだ。きっと気持ちいいだろうと思って」
「やっぱりおまえ、昔から変な奴だったよ」
「え、今なんて?」

-昔から?-

「ああ、オレ変な事言ったかな?」
「いや・・」

彼の背中を見ながら、決して、この時が終わって欲しくないと願った。
夢なら、永遠に醒めないでほしい。

「永久にこのままだといいのにね」

だが、トトの呟きは違う捉え方をされたようだ。
彼は、あからさまに恐れおののきながら言った。
「お、恐ろしい事をいうな!餓死しちゃうだろ?ここは樹海かっての!」
「ハハハ・・そうじゃないって、そうじゃ!」

自然に会話が弾む。

森が、木々が、鳥が、二人を祝福しているようだ。

-ここできみに出会った-



やがて、森を抜けると、立ち枯れの木が一本見えた。
彼は、その木に登り、こちらに手を伸ばした。

夕陽だ。

「私は・・・・」
もう帰らないと。
私は、イルミーネ国王トト。
もはやきみとは二度と会えない。

しかし、戸惑いを見せた手を、彼はぐいとひっぱった。
「また、きっと会える。だってオレたちは友達だろう」
「うん」

木に登った二人の眼下には夕陽に染まったバストール国が見える。

「わぁ!すごいね!国が一望できる!」
トトが叫んだ。
「そうだよ。だから、ここに連れてきたかったんだ。オレの秘密の場所さ」
「でも、私に教えたら秘密じゃなくなってしまうだろう?」
「きみは特別さ・・実は」
「・・?」
「会った時に感じた。おまえとオレは会った事があるって。だいぶずっと前に。
だって、だって、オレはおまえを確かに知っている・・」

深い海の色をした瞳がトトを捉えた。

「私は・・・私もずっとそう思ってた。でも変だと思われると思って・・・・」

ああ、これは・・・

「運命だ」
「やっと会えた。きみに」
「とりあえず、久しぶり!」
「お久しぶり!」



ごく自然に肩を組んで二人で遠くを眺めた。

「それにしても、大きな太陽だな?世界が飲まれそうだ」
「世界最後の日だよ!」
「もし、世界が崩壊したら、二人で世界を手に入れようか!」
「ああ、きっときみと二人で!」

沈み行く夕陽はやがて、紫色に変わり、沈んでいった。

「私はもう帰らないと・・」
「うん」
「じゃあ」

彼に道を案内してもらい道に出た。

遠ざかる金色の影に、まだ名前さえ聞いていなかったことに気づく。

でもきっとまた会えるだろう。

だって、私達はずっと前から友達なのだから。



不思議と不安は消えた。



館に戻ったトトは、リーチェ公夫人の赤く腫れた目と、セバスチャンの青ざめた顔に挟まれた。
「陛下、どこに行かれていたのです!」
「お怪我などはございませんか!」
もしかしたら、この後、セバスチャンに怒られるかもしれない。
リーチェ公夫人に説教されるかもしれない。
教育係に折檻されるかもしれない。

でも・・・

もう何も怖くない。


「私は運命に出会ったのだから」




-本当にこんな事があるんだよ-





しかし、運命的な偶然は本当の運命に変わる。


「そ・・んな・・・」

運命とは残酷なものだ。

バストール国王の戴冠式でトトが見たものは
話に聞いたとおり、自分と同じ歳の少年王。

「彼もまた・・・」
・・・私と同じ影を背負うのか・・。

夕陽の中で見た、あの笑顔は今日限りで消え去るだろう。
彼もまた、殴られ、責められ、潰される。

私と同じように。

耐えられない!


「陛下、お顔の色がすぐれないようですが・・・・」
誰かの声が聞こえる。

もうここにいられない!

誰か、この場で私を殺して!

自分の身体を潰れるほどに両腕で抱きしめた。


だがトトは、まだ気づかない。

燦然と輝くバストール国王の向こう側で、冷たいアイスブルーの瞳が自分を見つめていた事を。


モドル