-兄弟-

―星々の宴―

「謀反人どもは追い出しましたが、アルキュード候はどうしたのです?」
リーチェ公夫人は国王に詰め寄った。

「知らぬ」

リーチェ公夫人にジュールの事を聞かれたくなかった。
答えようによっては、また面倒な事になりそうだからだ。

「あの者、マクシミリアン陛下の御血筋と名乗っていましたが、私は存じ上げませんでした。
どうなのですか?陛下はお耳にはさんではおりませぬか?前国王陛下から何か」

リーチェ夫人の無神経な態度を、セバスチャンは黙って見ている。

「血筋だと思えばこそ、宮廷においたのです」
トトは答えた。
一瞬、父の事が頭を過ぎり、否定の言葉が口から出そうになったが、夫人にはジュールを否定されたくなかった。王室第一の彼女は、身分の低い母を認めようとしなかったが、父と情を交わしたらしい高貴な婦人も認めたくはないらしい。

突然現われた王弟に対して、彼女は不遜な態度を崩さなかった。

表立って否定する事は避けたものの、決して認める姿勢をとらなかった。
「この国の政事とは関わりのない御人です」
と誰かに言っているのを聞いた事がある。
それは、即ち王室の一員ではないという密かなる宣言でもある。

「では、アルキュード候が見つかったら、また宮廷にお招きするおつもりか?」
きつい物言いで、リーチェ公夫人は国王に尋ねた。
「私は・・王弟として、彼を・・・」
夫人の意思に惑わされたくないという思いが、ジュールを認めさせる事に繋がっていく。
「お待ちください国王陛下!」
国王の発言を遮り、セバスチャンが声を上げた。
「何だ。セバスチャン」
「アルキュード候の件については、もう少し慎重に考えましょう。また、何か起こってはいけない」
この場では、セバスチャンの意見が一番的確だった。
ジュール自身よりも、彼の立場が問題なのだ。

「わかった・・この件に関してはまた後日にしよう」

あいかわらず気難しい顔をしているリーチェ公夫人とセバスチャンに背を向け、トトは窓の外を眺めた。

イルミーネ周辺の霧がかった山々が見える。

ジュール・・父の面影を宿した私の弟。

「さよなら」と言った彼の不自然な笑顔が忘れられない。

どこかに閉じ込められているのではないだろうか。
酷い目にあっていたりするのではないか。
そう考えるたびに、背筋が寒くなった。

少し前まで、私は彼をあんなにも恐れていたはずなのに。

もう一度、会えたら…と望む。

ジュールは、今、どこで、何をしているのだろうか?



「あ~次はそこの皿洗ってね」

閑散とした店内から声が聞こえる。
どこか惚けた様な声の主は、この店の店主だ。

「はーい」
ジュールは裏口で答えた。
長すぎる大人用の前掛けは、店主の妻が直してくれたものだ。

皿の入った籠を持って外へ向かう。
まだ水は冷たいが、この量だったら、手が冷えきる前に終わるだろう。
ガシガシとたわしで皿を洗う。
そういえば、ここに来てから数日しかたっていないのに、ずいぶん慣れたものだ。

とりあえず、働ける所を探そうと様々な店を回ったが、どこも駄目だった。
家出の子供と間違えられたり、素性を聞かれたりした。
思ったより甘くなかったようだ、世間は。

もうこれで最後かと思った時、たどり着いたのがこの店で、ちょうど夜の開店前だった。

ドアをノックして入った途端に「きみ誰?」と男に声をかけられた。
「働くところを探しています」
振り返ったのは、赤鼻の髪が薄い男。

「じゃあ、そこの皿洗って」
店主らしきその男に唐突に言われ、戸惑っていると
「そこのたわし使っていいよ」
と声がかかったので、しかたなくそのままの格好で皿を洗う事にした。
「やっほ~助かっちゃった!ありがとね!」
ホットケーキのような顔の店主は両手を合わせて感激のポーズをとりつつ、ニッコリと笑う。
こころなしか周辺の空気がアルコールを含んでいるように感じる。
「♪~」
唐突にオペラの歌を歌い始めた店主。
なかなか良い声だ。

自らの歌声に酔いしれる店主にジュールは一言尋ねた。

「もしかして…酒飲んでます?」
「あったりー!」
屈託のない丸い笑顔に、脱力感を覚え、一瞬目の前が暗くなったジュールだった。

私は、一体この先どうなってしまうのだろう……。



今日もまた、店主カルパッチョ・マンシーニは開店前から酔っている。
酔うと歌を歌うのがこの男のくせだ。
また聞きなれない歌が聞こえてくる。

「お皿ここでいいですか?」
「うん、いいよ」

フライパンを回しながら、カルパッチョは言った。
「そういえば、今日は楽団が来てくれる予定なんだけどね」
「楽団?」
「酒飲みを盛り上げてくれる連中だよ。正式なもんじゃなくて、好きなのが集まって弾くだけ」
「ふ~ん」
音楽は嫌いではない。少しだけ楽しみだ。

この店の客は、ほとんどが店主の友人だ。
もっとも、店に来てからの仲なのかもしれないが…。
ともかく夜になると五月蝿い愉快な連中が集まってくる。
当初、常連客の中で新顔の店員は目立っていた。
「オレの甥だよぉ」
と店主が説明したところ、客達からはブーイングがとんだ。

「どう見ても、カルちゃんには似ていないよ!」
「どこで拾った?」
「まさか少年趣味か?!」
などと口々に騒がれたが、やがてすぐにどうでもよい話題に移っていった。
「まぁ、どこの誰でも美少年には違いねぇ」
と言う誰かの一言が、句読点になったのかもしれないが。

それ以来、大した憶測を呼ぶこともなく今日まで来ている。


夕陽が沈むと同時に店は開く。
看板には「本格パスタの店」と書いてあるが、実際パスタだけを食べに来る客はまれだった。
今夜もどこからともなく決まったように、酒好きが集まってくる。

「ああ、今日はあいつ来られないってさ」
「何かあったの?ハンス」
「昨日、この後で流れた店の階段でさ。真ん中くらいのところから滑り落ちて…全治1ヶ月だってさ」
「あ~・・とうとうやっちゃったか!前からあの店の階段は気をつけないとって思ってたんだよね!」
「まぁ明日頃、皆で見舞いに行くつもりだけどさ。しばらく来れないって」
「ん。わかった。じゃあ明日待ち合わせしよう」

入り口付近で、店主と客の会話が聞こえてくる。

「せっかく久しぶりに集まったのに、残念だね」
「まぁ、復活を願って・・っ本当にあいつドジだな」
「一人抜けるけど、大丈夫?」
「それは大丈夫だ。ちょっと盛り上がりに欠けるかもしれないがね。そこら辺は勘弁!」
「来てくれるだけでも、十分盛り上がるよ」

アマチュア楽団は、それぞれの楽器を持ち、調子を整えている。

「ブラボー!ひゅーひゅー!!」
「初めっからうるさいぞ!店長!」
決してうまくはないが、皆が楽しんで弾いている。
それがわかる演奏だった。
フライパンを回しながら店主は踊る。
楽団といっても、全員が得意な楽器をかき鳴らすだけのもので、統一性がない。
アコーディオンと、横笛、備え付けのチェンバロ、ヴァイオリン。

「これで、リュートのハンスがいればねぇ~」
とは、女性の常連客の僅かな呟き。
「もっと深みが増しただろうに」

客たちにドリンクを配っていたジュールは、その声を聞き、ふと思い出したように店の奥に行った。

自分の荷物の中に…。
一本のリュート。

母の家から唯一手放さなかった物。
幼い頃、自分を見てくれた叔父アンジュー公から贈られた物。


楽団の横に立ち、鳴らしてみる。
今、弾いている曲にうまく合わせる事ができるだろうか。
耳に全てを集中させて。
感覚のままに弾いてみた。

一瞬、楽団のメンバーは手をとめて、ジュールに目をやったが、すぐに合わせて弾きだした。
身体のリズムと、空気が自然に一体となり、初めからこうであったように流れ出す。
これが音楽の不思議さだろう。

演奏が終わった途端、周りから熱いコールと拍手が巻き起こった。
普段はバラバラな話題で成り立っているこの店が、一体となった。

「おい、飛び入り少年!最高だったぞ!」
ヒゲ面のアコーディオン奏者は、ジュールの肩を軽くたたいて言った。
「また、一緒に弾かないか?」
「あ、いえ。私はここのウェイターですので」
ジュールが答えると、明らかに酔った調子の店主が口を挟んだ。
「うちに、いつからウェイターなんて高級な職業があったの?皆が喜べばそれで満足!」

その夜から…
この店の名物が二つ増えた。
美少年のリュート奏者と、横で踊る店主だ。


「あんた。この子の手は大切なんだから、皿洗いなんてさせないでよ!」
「へいへい・・」
トホホと溜息をつきながら、カルパッチョは皿を運んだ。
「まーたくさ。うちのかみさん人使い荒いから」
皿洗いの役目は店主に移った。

「すみません。それは私が・・」
ジュールが言っても店主の妻ビアンカが許さない。
「あんたは商売道具大切にしなくちゃ」
「すーぐこれだよ!」
カルパッチョが横から言うと、ビアンカは手にした箒で追いやりながら叫んだ。
「さぁさぁ!外に行って皿洗いだよ。呑んでばかりで少しは運動しないと病気になるだろう!」
「こわい。こわい!」
そそくさと、カルパッチョは外へ出た。

「あんたはそうだね・・りんごの選別でもしておくれ」
「はい」
使い物にならないものをはじくだけの簡単な作業だ。
はじかれたりんごは、翌日ビアンカがアップルパイなどにするのだ。
ジュールは、このアップルパイが気に入っていた。
王宮で食べたどの菓子よりも味がよかった。
王宮に届けられるような傷一つないりんごで作るよりも、このような不揃いの痛みかけたもののほうが味がよいのはなぜだろう。

ここに来てからというものの、彼ら夫妻は一切自分の素性について尋ねてこない。

「歳は15歳」
「イルミーネの北の村から出てきた」

それだけしか言わないのに、特に怪しみもせず、仕事と寝床と食事を提供してくれた。
もちろん、食事はレストランでの余り物なので、味は悪くない。
物置の奥の開いたスペースに木のベッドを置いて、部屋としてもらった。

ここまでしてもらえたので、仕事代はいらないといったのだが、一週間に一度ビアンカが片手分ほどのコインをくれた。
「ごめんね、うち貧乏だから」
情けない顔で店主が言うと、ビアンカは
「誰のせいで金がないのさ!いつもあんたが呑んでばかりいるからっ」
と怒鳴った。

傍目から見ていても面白い夫婦だ。

夜になると、ビアンカから
「今日も頼むよ!」
と声がかかる。

リュート弾きの少年を見に、今夜も店には客が集まる。

「はい、これ。いつものダブル」
常連の頼むものなどは、全て頭にいれた。
ウェイターの合間にリュートを弾く。

「坊や、15歳何だって?じゃあ、酒も呑めるわね。この国じゃ、15歳から酒解禁だからっ!」
グラスを持つジュールを呼びとめ、女性客が言った。
「あたしは、母親のミルクが出なかったんで、ビールで育ったんだけれどね」
「さすが、姐さん。どうしようもねぇなぁ!」
男性客が囃す。
「ほら!あんたも呑みなよ!」
女性客は持ってきたカクテルに口をつける前に、ジュールの胸にそれをぐいっと押し付けた。
「仕事中ですので・・」
「大丈夫。ジュースみたいなもんだからさ。それに、ここの店長なんてもうとっくに出来上がってるじゃない?」
その視線の先には、あいかわらずフライパンを回しながら歌を歌う店主の姿があった。

「あんた、呑んだ事ないの?」
「いえ、そんな事は」
実は、結構呑んだ事がある。
早く大人になりたかった・・だから。
「ちょっと待っていて!」
ジュールは、何かを思いついたようにカウンターへ急いだ。
珍しく、悪戯っぽい笑みを浮かべて。

戻ってきたジュールの手には
ビンが一本、グラスが一つ。

「おい、坊主!それは水じゃねぇよ」
笑ってそれを見ている男達は、思わず目を見張った。

ジュールは手にしたグラスにジンを半分ほど注ぐと、一気にそれを飲み干した。
まわりで見ていた人々の動きが停止した。

・・・・

数秒。

「倒れるぞ!」
「坊主!吐き出せ!吐くんだよ!」
先ほどまで笑っていた男達は血相を変えて、ジュールに駆け寄った。
「あんた、なんて事をっ!誰か医者を呼んどくれ!」
カクテルを勧めていた女性客は思わずジュールを抱きしめると、ジュールはその手を軽く解き
「大丈夫・・ただ、ひさしぶりに呑んだから、ちょっとクラクラするかな?」
などと言った。

「少しって、あんた・・・45℃の酒だよ?!」
顔色も変えず、ケロリとしている少年に客たちは絶句した。
「まったくなんてガキだ!」
「大方、ここの店長に鍛えられたんだろうよ」
「なぁに??」
店主は騒ぎに気づいてないようだ。

「いやぁ、すごい奴だよ!!」
一人の客が手をたたきはじめた。
常識と言う言葉は、ここでは通用しないようだ。

こうして・・・

美少年リュート奏者は、頭に”すごい”という形容詞を付けられることになった。

客の入りがこれまで以上に増えたのは言うまでもない。



ところが。

「もう酒を呑むんじゃないぞ」
久しぶりに素面な店主が言った。

「無断でいただいてしまった事には、謝ります」
ジュールが頭を下げると、皿を洗いながらこちらを向かずに店主は答えた。
「そういう問題じゃない。10になるかならないうちから、酒の味なんて覚えるんじゃない」
「え、私は・・」
「ああ、言い間違えた。15だったな。でも、強い酒呑んでしてやったりなんて顔見せる奴は、10だろうが30だろうがガキだよ」
店主はゴシゴシと皿を洗い続ける。

この人は、もしかしたら何もかもわかっているのかもしれない。
と、ジュールは感じた。

「すみません。私は・・」
「せっかく綺麗な顔とすごいリュートの腕を持っているんだから欲張るな。これ以上株を奪われたら、オラァ、カミさんに捨てられちまうよ」

今でさえ、皿洗いに格下げされたのに・・。
と、店主は溜息をついた。



「私は、リンゴを選んできますね!」
「まったくなまいきな子供だよ!」

ぶつぶつ言う店主を背に、ジュールは店内に急いだ。
外からは、また店主の鼻歌が聞こえる。

また一杯やったのかもしれない。

店内でも頬が熱いのはバストールの気温が高いからだと、ジュールは思った。


夜も、店主は呑みながら食後のアップルパイを食べた。
ジュールの口元についたパイのかすをビアンカが拭う。
「あーあ、せっかくのいい男が台無しよ!」
「あは・・ありがとう」
いつの間にこんな食べ方をするようになったのだろう。
ここに来た当初は、きちんとナイフとフォークを使っていたはずなのに。
今では、夫妻と同じように手づかみで食べてしまう。

「明日もお願いね!」
「うん」

リュート弾き少年を見に来る客は、後を絶たなかった。

でも・・あまり人が来ると正体を知るものが訪れるかもしれない。
もう少ししたら、ここを去らなければならなくなるだろう。
その時が確実に近づいている事を感じながら、ジュールはパイの残りを手に取った。



目を開けると、夜空が見える。

斜めの屋根の中ほどには天窓が付いていて、寝たまま空を見ることができる。
物置の奥、木箱をどかしてどうにか開けた空間に、ジュールの場所はあった。

手を天窓に伸ばすと星が掴めそうだ。

あの人は、今頃あの大きなベッドで一人きり、横になっているのだろうか。

ただ一人の兄を想う。

枕や袖の裾が涙で濡れてはいないだろうか。

上に乗ったときの思わぬ身体の小ささ。

あんな身体で、一人きり。
大きなベッドに寝ている人は、塔の城の中心に、イルミーネ国の支柱として存在しているのだ。

夜空に輝く小さな星のように。

あの人は今、何をしているのだろうか。
あの人に会いたい。
あの人の事を何も知らないはずなのに。

あの人にここの事を話してみたい。
どのような顔をするだろうか。
見たことのない兄の笑顔が見えた気がして
空に向かって手を伸ばす。

だが、すぐそこにあるように見えている星は掴む事ができない。

あの星から私が見えないように。
兄からも私は見えないのだろう。

-もう、私には関係のない人だ-

そんな思考が心を切り裂いた。


それでも星を掴むように手を握ると、目の前から星が一つ消えた。
しかし、手を開いてみても何も掴めてはいない。

「そうだよな・・」

馬鹿らしい幻だった。


もう一度、空を見上げると、その星がどこにあるのかさえ、ジュールには見分けがつかなかった。


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