-悪夢-

「ア・・・」

それはよく知っている後ろ姿。
だが、それは一人ではない。

「おまえは、何をしている?」
「見てわかるだろう?」
RQが振り返ると、その腕の中に見覚えのある赤い髪が見えた。
「春人?」
「今日は、こいつと寝る」
「…!」
嘘だ、と言いたい口が動かない。
「悪いな、傷物に興味はないんだ」

“傷物”

抉られた傷痕が泣いている。

「…嫌だ…」
「じゃあな」

大きなはずの背中が小さくなっていく。

「嫌だ…おまえなんか…おまえなんか…っ」

喉の奥から声にならない声が血の味の涙とともに、零れ落ちた。



「長官殿!大丈夫ですか?」
「嫌だ!…アー…ク」
「?誰ですか」
「凍牙?」
リヒャルトの額に大粒の汗が浮かんでいた。
「書庫で倒れておられたのです。ここは医務室ですが、誰かをお呼びですか?」
「ここにアークなんて人いたっけ?」
コッペリウスが首をかしげる。
「…なんでもない…」
ぷいっと視線を反らし、リヒャルトは少し考えた。

そして、しばらくしてから
「私の身体から、例の生物が検出されるかどうか調べてくれないか」
と言った。




「きみはまだ悪夢を見ていないの?」
兎兎は通りかかったRQに尋ねた。
「悪夢?例の攻撃のことか。あれって、たしか医者が薬作ってるんじゃないのか」
「まぁ、一応ワクチンは出来たみたいだけど…悪夢のトラウマは恐ろしいんだよ」
「ふーん。おまえも悪夢を見たのか?」
「私じゃなくて、ジュージュが…ね」
「あいつ、悪夢にうなされるタイプには見えないけどさ」
RQは、冷徹で有名な機械部長の顔を思い浮かべてみる。
「それが、全身毛むくじゃらになる夢をみたらしくて、毎日とり憑かれたように脱毛クリームを塗っているんだよ!どうしよう!」
「そういえば、帰ってきてる春人からもそんな話は聞かねぇな」

「例の悪夢騒ぎか?」
そこに春人がいた。
「なになに、あのおっさんまで悪夢にうなされたのか?むしろ、あいつの存在そのものが悪夢だぜ」
「まぁ、そういうな。オレはおまえが心配だ…まさか、怖いからオレと寝たいとか?」
ニヤニヤしながら、RQは春人の肩に手をかける。
「気持ち悪いんだよ、いちいちてめぇは!」
その手を叩き落とし、春人はどこかに行ってしまった。


その夜。


「智恵?智恵なのか?」
それは、それは美しい水の精がいた。
透き通るような身体。
深い海の色の瞳。
だが、それは普段の彼ではなかった。
あの無邪気な雰囲気はない。
「我に近づくな」
「何言ってんだよ。バカ」
「地球人ふぜいが」
「智恵?」
「おまえごときが我を守るだと?このスキュラ族を」

「智恵、帰ろうぜ。いつもみたいに、なぁ。バカでいいじゃねぇかよ。智恵!」
「もう、おまえはいらない」

絶対的な拒絶の言葉が、全身を貫いた。
濁流が春人を飲み込み、そして消し去った。


「ちっ…」
今までで一番嫌な目覚めだった。
「クソッ!」
春人は日本への帰国を早めるため、朝一番に事務室に向かった。




「春人帰っちゃったな~まだ十分に手合わせをしてないのに」
「うるさい!」
「どうしたんだよ?…リヒャルト」
「私の前から消えろ!でなければ、その口を閉じていろ!」

いつものように、長官室でぶらぶらとしていたRQだが、今日のリヒャルトの不機嫌っぷりは今までの中で郡を抜いていた。
怒鳴るというより、悲鳴に近い。
「まさか、あんたも悪夢に?」
「その口を閉じろと言っている!聞こえなかったか!」
「ん、」
さすがに、RQも一瞬黙る。

「おまえは…」
食いしばるような苦しい息をしながら、リヒャルトはやっと言葉をつむぎだした。
「私はおまえが嫌いだ!」
「いや、ん、だから…ん?」
RQの唇に吸い付くようにリヒャルトの唇が触れていた。



「リ・・ヒャ…」
RQは誘われるままにリヒャルトの身体に手をまわし、そっと服の上から愛撫する。
だが、自ら口を離したリヒャルトは、身体を硬くしたままだ。
「誘われたから抱くのか?誘われるままに抱くのか?おまえは」
「違う」
「では、なぜ私を?」
「リヒャルト、おまえが好きだからだ」
そこには、初めに同じ言葉を言われた時と変わらない、真っ直ぐな視線があった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ここはどこだ?
リヒャルトが傍らにいる。

「・・・・」
耳元に囁いた言葉は冷ややかだった。
リヒャルトの顔が歪む。
「嘘だ!」
その表情は絶望に彩られている。
「嘘だ!嘘だと言ってくれ!」

オレは今、何を言った?
何を明かした

「知りたくなかった…もう二度と私の前に現れるな」
愛しい者が去っていく。いや…真実の重みに壊れていく。

「だから帰って来い」

遥か空の向こうから誘うメロディーが聞こえる。
力を欲するものたちよ。

「もう、あなたはあなたじゃない」

知っている。

「そう、誰でもない」

これは、自分自身の言葉なのか、それともこの脳裏に浮かぶ見知っている誰かの声か。
これがオレの悪夢か。

だが…
「弱弱しいな、悪夢よ!たかが微生物のくせして、オレに侵入するなんて、無謀すぎるぜ!」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


いつの間にか、朝日が差しこんでいる。

RQは傍らでまどろむ黒髪を撫でた。
「たしかに悪夢って、ムカつくな」
「・・・・・おまえも見たのか?」
グレーの瞳が驚いたように見開かれる。
そして、小さな声が恐れるように
「どんな夢だった…んだ?」
と聞いた。

「ああ、あんたが出てきたな」
リヒャルトの身体がビクリと大きく震えた。
「だから、今、言っておく事がある」
身体を硬くしたまま、リヒャルトはじっと次の言葉を待っている。
「オレは、オレ以外の何者でもない。たとえ、スパッツとタンクトップとビーチサンダルしか持ってなくても、オレはオレだ」
「はぁ?」
リヒャルトは自分でも驚くほど間抜けな声を発していた。
「服が足りない時は、半裸だが、それがオレだ!」
「し、支給品も用意してあるが…」
「…だから、あんたも今触れている事がすべてだと信じていればいい」
リヒャルトははっとしたように、隣に横たわっているRQを見つめた。
「それにどんな悪夢を見ても、昨日のキスがあれば、負けねぇよ!」
見る見るうちに、リヒャルトの白い頬が赤く染まる。
「やはり、私はおまえが嫌いだ!」

RQはたしかに感じる温もりを力強く抱きしめた。
それ以上の何も言わせない力で。





ここは日本。

「あれ?春人、来週までSSGに帰ってたんじゃないのかよ?」
「夢見が悪くて帰ってきちまったよ。一応出来上がったばかりのワクチンとか投与してもらったけど」
「?どんな悪夢?」
智恵は春人を覗き込むように見つめていた。
「おまえが、頭よくなる夢だ」
「それは吉夢じゃないか!ムキー!そうか、とうとうオレも追試から逃れられるってお告げだ!」
「い、いや、そうじゃなくて。もっと高度なレベルの話だ」
「高度なレベルの話は…わからないかもしんない」
大きな瞳をクリクリと動かしながら、智恵は悔しそうな顔をする。
「そうだ、そうだろうな。だが、おまえはそれでいいんだ」
「また、そうやって、オレをバカ呼ばわりするんだろう!!」
こうやって智恵に飛び掛られるのは慣れている。
「バカはバカらしくしてろって!またデコピンされてぇのか」
「う、それは嫌だ!オレだってがんばれば、20点以上は取れるんだ。うん、がんばろうオレ!」

ガッツポーズをとる智恵のそばで、ほっと心を落ち着かせた春人だった。





後日談:

「う、うわー!!」
兎兎は泣き叫んでいた。
「どしたの?」
コッペリウスが、恋人の骨格標本の御機嫌を取りながら、振り返る。
「悪夢を見てしまったんだよ!」
「きみ、また流行に乗り遅れたんだね…」
「私のローカルぶりはある種個性なんだ!そうじゃなくて、悪夢が…なんと毛全集を含むマニアックな本が忽然と消えるという…なんという恐ろしい夢っ!」
「また買えばいいじゃない」
「そういうわけにいかないんだよ!貴重な本が多いのに。でも、目覚めてみたらちゃんとあったんだ!」
「よかったね!」
話している二人のそばで、潤一がやっと脱毛クリームから脱出できたらしく、ケースをゴミ箱に捨てていた。
  END