-白い華(Snow Flower)-

「なんだと!」
王子の部屋にいたマクシミリアンは、めったに出さないような大きな声を上げた。

トトが何か気配を感じ、怯えて母に抱きつく。
「・・・」
ルイも何時にない不安な表情で夫を見つめた。

「ごめん、しばらく空ける」
マクシミリアンは言い残し、デティオール卿に付き添われて部屋を出て行った。


「陛下・・」
「・・・」

セバスチャンが見た中でも、今の国王はもっとも苦渋に満ちた顔をしていた。
彼が自分の負の感情を人に見せることなど、めったにない人物だと知っているからこそ、その差は衝撃的だった。

「ディアヌの家に向かう」
と、マクシミリアンは言った。
「しかしっ!」
セバスチャンは首を振る。
「陛下御自ら、お出ましになれば、それは、この事を認めたことになりましょう。いけません!」
「しかし、私は確かに…」
マクシミリアンは、そう言って瞳を伏せる。

「陛下」
制するようなセバスチャンに、顔を上げたマクシミリアンは言った。

「おまえは…子をなんとも思わないのか。そのように生まれる子を・・・」

「陛下・・・」


馬車が、アルキュード候の屋敷についたのは、夜になってからだった。
雨季も間近なためか、一日中雨で、日が差すことがなかった。

「嫌な空だ・・」
馬車から降りると、マクシミリアンは呟いた。

入り口には前のように、老婆が一人立っていた。
今度は無言で、国王を扉の向こうに導く。
屋敷に入ると、召使達が忙しなく動き回っている。

どこからか、けたたましい泣き声。

老婆は、奥の部屋に入っていった。
・・・そして争うような声。

「陛下!」
老婆に抱かれた子に、すがるように…ディアヌは現われた。

「ディアヌ様いけません!まだご出血がっ!」
瞳だけが爛々と輝いているディアヌは、老婆を押しのけ、前に進み出た。
「陛下っ・・陛下っ!!」
下半身は大量の血で染まり、裸足でぴちゃぴちゃと流れる血を踏みつけながら、手をさし伸ばすディアヌ。

血の匂いが部屋中に充満し、マクシミリアンは思わず顔を覆った。
「う・・」
髪をふり乱し血まみれになりながらも、女は顔を背けようとする男に縋りつく。
「陛下!来てくださったのですね。私のところへ、帰ってきてくれたのですね!」
「・・・っ!」
血で汚れた身体を擦り付けようと迫るディアヌを、マクシミリアンは驚愕した面持ちで見つめ、大きく身体を捩った。

「あっ!」
ただでさえ出産で弱っていたので、ディアヌの身体は飛ばされ、床に叩きつけられた。
肩で息をしながら、怯えたようにディアヌの身体から離れるマクシミリアン。
彼の目の前に落ちているものは、もはや女ではなく、何か恐ろしいもの。
化け物、だった。

「陛下…」
何時の間にか、老婆が神妙な顔つきで、マクシミリアンのそばに立っている。
手には、赤い塊。

「陛下の御子でございます」
赤い顔に、まだ血で濡れた金色の髪をして…。
この子からも血の匂いがした。

「この御子こそ、まこと王位に相応しい御子…」

老婆の話を聞き終わる前にマクシミリアンは、全てに背を向け、屋敷から飛び出していった。


「陛下!」
セバスチャンが後から追ってきて、マクシミリアンの肩を支えた。
先ほどから、ゼイゼイと肩で息をしている。
国王は昔から心臓が弱かった。
もしや、発作か。
と思われたが、
「大丈夫だ、セバスチャン」
セバスチャンの手を振りほどき、マクシミリアンは馬車に乗った。



「陛下、すべてなかったことにいたしましょう」
馬車に乗ってから、しばらくしてセバスチャンは口を開いた。
「あの御子はアルキュード候夫人の私生児。こちらとは何も関係ない事」
「それは・・・己の立場からか、セバスチャン」
「・・・」
口を閉ざしていた国王の声は、低く重かった。

「おまえは、そうして己の立場を守ってきたのだものな!弟マリクを追放し、王位を望んでもいなかった私を位につけ、おまえの立場はそれで安定か!」
「・・・」
「大方、あの子も…アルキュード候夫人の私生児だとまわりに触れ込み、その後で辺境にでも追いやるつもりだろう!」
「陛下・・・」
「すまない…言い過ぎた・・・」
顔を覆い俯くマクシミリアンに、セバスチャンは言った。
「すべて、私があなたに背負い込ませてしまったのです。お恨みくださって結構。しかし、己が立場のためだけでない事は、わかっていただきたい」
「わかっているさ、わかっているとも…幼い時から、そばにいたではないか…わからぬわけがない」
「陛下・・」
「だが、私は、どうすればいい。恐い…。どうすれば償える…あのようになってしまったディアヌにも、何も知らぬあの子にも…ルイにも、トトにも…」

セバスチャンは…この時、初めて国王の涙を見た。
弟マリク追放の時にも、皆に気を使い、笑顔に徹した国王であったのに…。

「どうすれば、いいんだよっ・・・!」
喉から振り絞る声をだして、涙を流す国王の身体を支え、セバスチャンは言った。
「落ち着いてください。私が何とか致します。誰もあの御子に危害を加えないように、王宮でも誰も傷つかないように取り計らいます。ですから、陛下も変化を示されないように」
「・・・わかった…」
マクシミリアンはそう答えるのが精一杯だった。

この方のお優しさが、この悲劇を生んだとは、なんという皮肉があったものか・・。

セバスチャンが窓を見ると、空は、この先の不安を予感させるように暗く濁っていた。





「母上!トトが生まれた日のお話をしてよぉ!」
「はいはい」
トトは、5歳になっていた。

今日も、父が弾くピアノを、母と聴いていた。

緩やかに流れるユーモレスク。

「トトの生まれた日はね。初夏なのに朝、雪が降っていたんだよ。でも、夕方頃にやんで、少し暖かくなってきたの。そうしたら、今まで屋根の下に隠れていた鳥が鳴き始めてね。
トトが生まれた時に、ピピピって「おめでとう」っていうみたいに鳴いたんだよ。
お城の皆もおめでとうって、すぐに来てくれた。それに、父上がね、特別におばあさんとおじいさん、レナ伯母さんも呼んでくれた。
皆、「よかったね、おめでとう」って言ってくれたんだよ」

トトは、安心したように母の膝で目を瞑った。

気がつくと、父のユーモレスクは終わっていた。


「また、雨か・・」
時々こうして、遠くを見るようになった夫の背中をルイは心配そうに見つめた。
「嫌な季節・・・早くやむといいね」
ふと、こちらを見て微笑むマクシミリアンの笑顔につられて、ルイも微笑んだ。
しかし…なにか、おかしいのに…言い出せない。

「マックス」
「何?」
ふと、昔の呼び名で呼んでみた。
ちゃんと反応を返すなら、大丈夫という事だろう。
ルイは、無理やり自分に言い聞かせた。

そして、雨の日はいつも…このような感じだった。





「ジュール様」
ウズメが、食卓についた子供の名を呼ぶ。

「3歳のお誕生日おめでとうございます」

ジュールの目の前には、食べきれないほどの様々な料理が並んでいた。
長いテーブルは、もともと来客を意識して作られたものだろう。
しかし、今は椅子が2つしかない。

女主人ディアヌと、その子ジュールのものだ。

長いテーブルが占める長い部屋は、ガランとして他には何もない。
ジュールが向こうのテーブルの端を見ていると、ウズメは言った。

「今年こそは、正当な王位継承者として、宮廷からお呼びがかかるでしょう」

ウズメの口癖だった。
何かあるたびに、そのような事を言っていたが、今まで一度も宮廷から知らせが来たことはない。

「もういい、下がれ」

ジュールは静かに言った。

「はい」

パタリと音がして扉が閉まった。



誰もいなくなったのを確認してから、ジュールは膝の下から、一冊の本を取り出した。
食卓で…無作法にあたるからと、今まで隠していたのだった。
その本の表紙は、とても下品な絵で飾られていた。
大人向けの小説だということはわかったが…どうしても、この下品な連中が気に入ったのだった。
その絵は、冬に行われる収穫祭の様子を描いたものだった。

皆で、収穫祭のご馳走を食べながら、大はしゃぎしている。
酒に酔っているもの。ふざけている者。仮装している者、悪酔いして嘔吐している者。人に絡んでいる者・・・。
馬鹿みたいな奴らだったが、どういうわけか楽しそうに見えた。

彼らの私生活なんて、たかが知れている。生活に余裕があるものなどいないだろう。
底辺の悩みばかり多く抱えているに違いない。
彼らは家族さえいないかもしれない。
でも、この時は、一緒にいられるのだ。

遠くのテーブルの端に彼らを思い浮かべた。

楽しそうだ。


でも、ふと目を落とすと、非常に豪華な食事が並んでいた。
彼らの口にすることがないようなものの数々。

当たり前のように、ジュールはそれを口に運んだ。
フォークやナイフの使い方もよく知っている。

正しいやり方で、食べた。

めちゃくちゃに食べている奴らは幸せそうだ。

どうしてなのだろう。


肉を二・三切れ口に入れたところで、ジュールはナイフを落とした。
続いてフォークも落とした。

拾おうとは思わなかった。
人を呼ぼうとも。



やがて
一人だけの空間に、小さな嗚咽が聞こえた。





時過ぎて・・・・



イルミーネ国は国王の喪に臥していた。
国旗がまだ黒く染まっている頃。

「認めない!」

国王の書斎に声が響く。
知るはずもない自分の兄弟が、こちらに向かっているというのだ。
トトは、おぞましさと不安に震えた。

何もかも壊されてしまいそうな予感に押しつぶされてしまいそうだ。

-父上-

-母上-

両親の優しげな笑顔が、過ごしてきた日々が脳裏を掠めた。

やがて、扉の向こうから声がかかった。

「ジュール・アルキュード殿下、ご到着でございます」


兄…国王と呼ばれる人が、頭を覆って泣き叫んでいる。
ジュールの瞳に初めて映ったトトの姿だった。

-あれが・・・-


そして・・・自らの前に跪いた人影に、トトは目を見張った。

次の瞬間・・胸に、自らの声が突き刺さった。

-何もかもに裏切られました。他に信じるものなど、何もありません-


そして、跪いた彼は顔をあげ、初めて自分の兄と視線を交わした。

-何もなかった世界に、何かを見つけました。この人は・・・・-




こうして…私達は出会った。
  END