-白い華(Snow Flower)-
今日も、白い華がはらはらと散る。
今は、もう亡きあの人のために…。
鎮魂の華が散る。
「ほら、こっち!こっち!」
イルミーネの王宮では、今日も明るい声が響く。
待望の王子が生まれてから、1年と少し。
イルミーネでは、国内でも、王宮内でも、夏の風が吹き始めていた。
「まったく、最近の国王陛下ときたら…」
国王付きの女官は言う。
「王太子様に付っきりで、お世話をしているのですわ。これでは、我ら女官の役割というものがありません」
しかし、口調は朗らかだ。
誰の目から見ても、国王の我が子に対する溺愛ぶりは明らかだったし、なにしろ王妃までが
「あなた、いい加減にしないと、この子が疲れてしまうよ」
と注意を喚起するほどであったのだから。
特に、這い這いから少し歩行が可能になりかけたこの頃は、子供の動きが活発になるので、面白いらしい。時間がある限り、国王は子供と過ごしていた。
「もう少しで、パパのところだよ~」
なんて言いながら、よちよち歩きの子を呼ぶ。
「がんばれ、もうちょっと!トトがんばれ~」
「ふんふん・・」
口を尖らせて、鼻で息をしながら、小さなトトは一生懸命に身体を動かした。
ところが…。
こてっと、突然尻餅をついた。
しばらく、何が起こったのかわからないまま、目を丸くさせていたが。
「びぇぇーん!!」
と、火がついたように泣き出した。
「ほらほら!大丈夫。はいはい痛かったね」
後ろから泣き叫ぶトトを抱きかかえたのは、王妃ルイの腕だった。
「ルイ!トトは大丈夫か?大丈夫なのか、怪我などしてないよね?!」
大慌てで、国王マクシミリアンはルイに駆け寄る。
「大丈夫、ちょっとお尻打っただけだから」
よしよしとトトの背中を撫でながら、ルイは「もう、お昼寝の時間だから」と言い、部屋を出て行こうとした。
すると、トトは嫌々というように首を振る。
「でも、もう少し休まないとダメよ」
ルイはトトに言い聞かせるが
「ひっく…びぇーん!!」
ルイの腕の中で、トトはバタバタと暴れた。
「もう少し、遊ぶの?」
ルイはトトを絨毯の上に降ろすと、トトはすかさず壁にしがみつき、立ち上がって歩こうとする。
「トトは、負けず嫌いなんだよなぁ、お母様に似て」
マクシミリアンは笑った。
「もう~今お昼寝しないと、また変な時間に起きちゃうんだから」
ルイは困ったような顔を見せる。
国王一家は平和そのものだった。
あの日が来るまでは・・・。
今日も、いつものように国王と王妃は王子の部屋でトトの世話をしていた。
と、言ってもマクシミリアンに限っては一緒に戯れているように見えたが。
朗らかな笑い声が部屋に響いていた、その時。
「国王陛下」
突然、その場の空気を乱すように暗い声がかかった。老侍従だ。
「陛下・・実は」
彼は国王を目で呼んだ。
ルイはその様子に不振なものを感じ、二人の様子を伺う。
二人は扉口でなにやら、こそこそと話をしているようだ。
「実は、国王陛下にさるご婦人からお手紙が参っておりますが、いかがなさいましょうか」
「さるご婦人とは、誰か?なぜ、名を言わない」
「・・・・この場には相応しくないお名前ゆえ」
そう言うと、老侍従はルイの方をちらりと見た。
「申し上げてよろしいものか…と」
「しばし待て」
マクシミリアンは扉を閉じて、自ら外へ出た。
「ディアヌ・アルキュード候夫人でございます」
老侍従は手紙の主を名乗り、それを国王に手渡した。
「なぜ、今頃・・?ディアヌが?」
マクシミリアンが驚くのも無理はない。
ディアヌは、まわりが決めた婚約者であったが、ずいぶん前に縁を絶っている。
もっとも、ディアヌ本人に問題があったのではなく、国の政策を考えての事だったが…。
使者の口頭と手紙だけで、別れを告げた事は心苦しかったが、自ら赴いて告げる事はしない方がよいと判断したのだった。
彼女の気持ちを知っていればこそ、後を引きずるような別れ方はしたくなかった。
それが、なぜ今頃になって…。
「ともかく、これをどうなさるかは、国王陛下のご判断にお任せいたします」
冷たく言って、老侍従は去っていった。
ディアヌ・・・。
マクシミリアンの脳裏に、月の女神にも例えられたディアヌの美しい笑顔が蘇る。
実際に会ったのは数回であったが・・。
彼女の優しい心遣いは確かに本物であった。
酷い事をした…と思う。しかし、あの時は、ああする他になかったのだ。
マクシミリアンは、長い前髪をかき上げながら、手紙の封を開けた。
手紙は代筆のようだった。
というよりも、正確には、ディアヌ本人から来たわけではなかった。
手紙は、こう始まっていた。
―我が主人、ディアヌ・アルキュードについてなのですが―・・・・
「どう思う、セバスチャン」
マクシミリアンは、幼い頃からそばに仕えているセバスチャン・デティオール卿に尋ねた。
「格別、思惑などは見受けれらないと存じますが…」
「そうか。では、私への恨み言か…ならば、この通りにしてやらなければならないな」
「だからと言って、何も、陛下御自ら赴くこともありますまい」
「ディアヌにはすまぬ事をしてしまったのだ。やはり、私が自身で詫びなければならない事なのだろう」
セバスチャンは、少々苦い顔をした。
マクシミリアンは、人の情に甘いところがある。
それが、この人物の長所でもあるのだが…。
「では、私も共に参ります。さすがに、お一人では、勘ぐられる事も多いでしょうからな」
「ルイにか?」
マクシミリアンは、参ったと言うように笑った。
ふと、ルイの怒った顔が浮かんだのだ。
「まぁ、そうだな。何かあったらセバスチャン。おまえがルイに申告するのだぞ」
「とんでもございません!私はっ!」
大真面目に反論してくるセバスチャンに、マクシミリアンは笑って答えた。
「ほら、そんな風に怒ってばかりいると…僕は、おまえの頭が心配でならないよ」
「誰が心配をかけているのです。ご家庭をお持ちになったら、少しは大人らしく振舞うべきです」
「わかった、わかった」
もういいと言う具合に、マクシミリアンは手を振ってみせた。
「ともかく明日の朝に発つ。すぐに戻ると、ルイにはそう言っておいてくれ」
アルキュード候の屋敷は、イルミーネの北にある。
王都から馬車で数時間。
深い森と切り立った崖をぬけると、やがて、線の細い華奢な作りの白い屋敷が見えてきた。
屋敷は主人に似て、神秘的な雰囲気を醸し出している。
静かに、馬車は屋敷の前に止まった。
馬車からは、まずセバスチャンが降り、続いてマクシミリアンが降り立った。
「マクシミリアン陛下!」
出迎えたのは、ディアヌ本人ではなく、一人の老婆だった。
「このような僻地まで、玉体を御運びいただくとは、もったいないことございます」
今にも、地に頭を擦り付けそうにしている老婆を労いながら、マクシミリアンは尋ねた。
「ところで、おまえの主人は・・アルキュード候夫人はどこに・・」
「今、中庭にて陛下をお待ちしております」
「そうか…ところで、身体は大丈夫なのか?」
あの手紙によると、一方的な別れを告げられて以来、ディアヌは体調を崩し床に伏せる事が多いらしい。そこまでの精神的打撃を与えたのが、自分ならと、マクシミリアンはここまでやってきたのだ。
「はい、今日のところは…しかし…」
と、老婆は声を詰まらせる。
「あの日、以来…ディアヌ様は物もろくに召し上がらずに、毎日、昼夜も問わず涙にくれ…」
「すまないと思っている…」
マクシミリアンとしては、そう言うのが精一杯だった。
だが、前を行く老婆は突然マクシミリアンを振り返り、叫ぶように言った。
「あなた様は、ディアヌ様が、どんなにあなた様を愛しておられたのか、心の底から求めていらしたのかご存知なのですか!」
涙を流しながら、国王に取りすがろうとする老婆。
「口を慎みなさい、国王陛下に無礼であろう!」
セバスチャンは老婆を引き離そうとしたが
「よい…そうして責められるだけの事を、私はしてしまったのだ…」
マクシミリアンは黙って瞳を伏せた。
老婆は、しばらく、マクシミリアンの腕を震える両手で掴んでいたが・・・
「この先は、ディアヌ様がお一人でお待ちになっておられます。ですから、国王陛下お一人でいらしていただきます」
老婆がポツリと言った言葉に、セバスチャンは反論した。
「なにを言うか、陛下をこのような場所にお一人にするなどっ!」
しかし、それでも老婆は
「いいえ、それがディアヌ様のお望みなのです」
と譲らない。
「かまわない。それが、けじめというものだろう」
「陛下!」
マクシミリアンの覚悟を決めたかのような態度に、セバスチャンは口を噤まざるをえなかった。
「しばし、馬車で待つように」
と言い残して、マクシミリアンは老婆に導かれ、奥に入っていった。
「陛下…」
なぜか、胸騒ぎがする。
先ほどの老婆の態度といい、どこか尋常ではなかった。
しかし、国王の命令では下がるより他にない。
何事もなければよいが・・・・。
セバスチャンは、その場に不安を残しながら、一人馬車に戻った。
夏の花々が咲き乱れる中庭のテラスに、その女性はいた。
おおよそ、夏が似合わないその人は…。
透き通るような白い肌と銀にも近いブランドは日差しを反射し、輝いてみえた。
深い深い夜の海のような瞳は、しばらく空を見つめていたが、やがて、中庭に入ってきた人影を見て、愛おしそうに細められた。
「マクシミリアン陛下…」
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