―人形―
長く暗い廊下を、男達が静かに進んでいく。
その列の中央に、彼らに守られるような形で、金髪の少年が一人。
彼の傍らには、若い青年貴族バルッサンが寄り添っていた。
まるで、美しい人形が歩いているようだ。
と、バルッサンは思った。
あの白い建物の中で、初めて彼の姿を見たバルッサンは、感銘を隠し切れなかった。
そこにいた少年こそ、自らが求めていた理想の王の姿だったからだ。
この少年は完璧だった。
品がよく、それでいて隙のない物腰、高貴な生まれを感じさせる容姿。
全身から醸し出している気高さも。
この人物こそ、この国を治めるべき王だと、彼は感じてしまったのだ。
たとえ、自分達の飾りとして立てる形ばかりの国王だとしても…。
そしてまた、この少年ジュールが前国王によく似ているという事も、惹きつけられた理由の一つだった。
皆は、一様に自分と同じように、思い出すはずだ。
まだ、改革などに手を染めていなかった頃の国王を。
あの王妃や、セバスチャンらが出張ってこなければ、この国は何も変わらず平和だったのだ。
そもそも、貴族と平民という存在自体がまるで違う人間同士を一まとめにしようなどという馬鹿げた考えこそ、世の中を乱す元なのではないだろうか。
以前の何も変わらぬイルミーネのために、この少年には王になってもらわなければならない。
真に国を憂う我らのために。
暗い廊下は、やがて塔の城の中央部に位置する鏡の間に通じた。
この場所は、昼間は常に暗幕がかけられているため、今は僅かな蝋の灯りが、壁面の鏡を点々と照らすのみだ。
中央にいる少年の白い顔や鈍い金色の髪が、炎に染められて、鏡に紅く映る。
ふいに横を見た少年は、鏡に自分の顔が映っているのを見ると、まるで嫌なものでも見たかのように顔を背けた。
「・・!」
その時だった。
回廊のずっと向こうから、一筋の悲鳴が聞こえたのは。
「認めない!」
国王の書斎が、その声に震えた。
母の違う弟がいると突然聞かされたトトは、目の前にいた臣下に怒鳴り散らした。
しかも、その弟とやらは、今すでにこちらへ向かっていると言う。
どこの誰かもわからぬ人間が、この城の中に入り込んでいると思うと、トトは吐き気を覚えた。
「もし、そのような事実があるならば、父上は、私にも、母上にも教えてくださるはずだ」
「それが…前国王陛下はその事を固く口止めするようにとおっしゃっていたと言うことでございまして…。この城で事実を知っているのは、セバスチャン・デティオール卿ただお一人とか」
「嘘だ!セバスチャンしか知らないはずの事実を、なぜおまえ達が知っている!?」
「実は、亡き国王陛下の遺品の中から、このようなものが発見されまして・・」
そう言って臣下が差し出したものは、手紙の束だった。
古いものはすでに黄ばんでいる。
「当初は、私も戯言や流言の類だと思っていました。しかし、最近国庫から毎月一定の額が引き出されていることがわかりまして、それがこの手紙に書いてある額と一致するものですから」
手紙の差出人はウズメ・イボンヌとなっている。
「この手紙の内容によると、この手紙の差出人は、亡きアルキュード候夫人…の乳母。
陛下はご存知ではないかもしれないですが、アルキュード候夫人とは、前国王マクシミリアン陛下の元婚約者であった方です」
トトは臣下が、元婚約者の部分だけ強調したように聞こえた。
そういえば、この者も母上をよく思っていなかった。
手紙の文はかなり乱れた文字で綴られており、何とか読める文字だけを辿ると、何度も同じ言葉が繰り返されている事がわかる。
―ジュール殿下は、イルミーネ国王マクシミリアン陛下の御子―
―正当な王位継承者―
「でたらめだろう。昔からこの手の話は尽きないほどあるではないか」
トトは、手紙の束を臣下に返した。
「いえ、正当な王位継承権を持つかどうかは別にしても、数々の事実と照らし合わせると、これはやはり…」
「馬鹿なことを!私はそのような事は信じぬ!」
「陛下がお生まれになってから1年ほどたったある日、マクシミリアン陛下が、一度だけアルキュード候夫人をお訪ねになった事実があるのです。その時に付き添っていたのはセバスチャン・デティオール卿お一人。その後、城に帰られた陛下は大変憔悴しきったご様子で…あの時、何かがあったとしか…」
「信じぬ!」
トトは叫んだ。
まさか、あの父が、そのように汚れた事をするわけがない。
何の証拠を突きつけられても、信じることはできないだろう。
大体、証拠など後からいくらでも作ることができるのだ。
ならば、陰謀か。
私を王座から引きずり降ろすための。
臣下達にとって、もはや私は無用なのか。
信じた者たちに裏切られた。
また、頭の中から影の声が聞こえてくる。
-もう誰も、おまえを必要とはしないよ-
「やめて!」
-いらないんだよ、恥さらしの国王は-
「やめてよぉ!」
突然叫んだトトに、臣下は目を見張った。
やはり・・心の病というのは本当だったのか。
その時・・・
トントン・・
と、扉が叩かれた。
「ジュール・アルキュード殿下、ご到着でございます」
国王の書斎に、静々と男達が一礼して入ってきた。
その中央から進み出た少年は、耳を塞いで俯いている国王の姿を見た。
・・・あれが・・・
「アルキュード殿下、あの方がイルミーネ国王トト陛下でございます」
そしてまた、臣下は耳元で囁いた。
「あの方が、あなた様の兄君でございます」

兄は・・国王は
苦しげに呻きながら泣いていた。
自分が来たのを、まるで知らないように…。
「やめて」「やめて」と何度も叫びながら。
「お初にお目にかかります。私はジュール・アルキュードと申します。
イルミーネ国王陛下の寛大な思し召しにより、こちらへ参じました。恐れ多くも…」
ジュールは、そこで言葉を切った。
臣下が彼の耳元でまた何か囁く。
「恐れ多くも、陛下の弟と…」
「!!」
トトは、そこで初めてジュールと顔を合わせた。
-父上!-
少年は、人形のように整った顔立ちに僅かな笑みを浮かべ、控えている。
「どうして!」
兄の言葉に、ジュールは思わず顔を上げた。
からまる視線。
悲しみに満ちた澄んだ茶色の瞳。
受け止めきれずに顔を背けた。
「どうして…!」
目に映った少年の顔立ち。
穏やかなアイスブルーの瞳。
鈍い光を放つ金色の髪。
それは、父の特徴そのものだった。
この少年こそ、何より確かな証拠だったのだ。
どうしてなの、父上?
どうして…
思い出の中に流れている父の「ユーモレスク」の音色が歪んでいく。
家族の絵が崩れていく。
残るのは暗闇ばかり。
その中から声が聞こえた。
-また、信じたものに裏切られた-
国王の弟が、初めてその夜、人々の前に姿を現した。
目を見張る人々。
「マクシミリアン陛下…」と、呟くものもいた。
ジュールは、その場の人々の視線を釘付けにしていた。
それほどの存在感をもって、今まで許されなかった存在は、そこにあった。
「なぜ、今頃、あのような者を呼び寄せたのだ!バルッサン!」
今にもバルッサンに飛び掛ろうとするセバスチャンを、臣下達は押しとどめた。
「あのような者…とはアルキュード殿下に失礼でありましょう。デティオール卿」
セバスチャンの背後から、白い影がすっと姿を現した。
「アランソン・クルーレ!」
「デティオール卿は、何をご心配されているのか…」
「何をだと!おまえ達は、またこの国を二分する争いを招いたのだぞ!」
「争いとは・・また恐ろしい事をおっしゃいますね。老デティオール卿…。陛下の弟君が現われたというだけで」
「それが問題なのではないか!」
「さすがに、前マクシミリアン陛下を擁立したお立場からの言葉でしょうが、今度もそうなるとは限らない。…それとも、また事を起こすおつもりですかな?」
「なんだと!」
「やめましょう。せっかく陛下の弟君が城に戻られたのです。このような席で、物騒なお話はしたくありません」
アランソンはセバスチャンに背を向け、人々の中に消えた。
「アランソン!」
奴の狙いは、新国王を新たに立て、自分達の考えを実行させる。
亡き前国王が取り組んでいた改革を、初めからなかったように握りつぶす。
今回の出来事については、全てバルッサンが仕組んだということになっているだろう。
アランソンは賢い。
これほどはっきり敵がわかっていながら、奴の足元をすくう事は難い。
セバスチャンは、本格的に姿を現しはじめた敵への対処法を考え始めていた。
煌くシャンデリアの下で、弟は輝いて見えた。
皆は当初、不安な面持ちで彼を遠巻きに見ていたが、やがて彼の笑顔と話術に惹きつけられ、虜にされていった。彼が何を話しているのかはわからないが、貴族の大人たちと対等に口をきき、話題は尽きることがなく、また、受け答えも気が利いて明確であったので、まわりの者たちは驚き、喜んでこの弟に口をきかせていた。
すぐに、まわりの大人たちは彼に興味を持ち、様々なことをさせてみようと試みた。
彼は、それら全てに完璧と言えるほどうまく対応した。
特に芸術方面は素晴らしく、一度何かを教わるだけでほとんどの楽器を弾きこなした。
また声もよく、高く低く響く歌声でまわりを魅了した。
絵画も、乗馬も彼はこなした。
彼が、唯一「できない」と言ったものは武術であり、彼の「できない事」は貴族の…特に女性達に溜息をつかせた。もちろん感嘆の溜息だ。
「この平和な時代に武術など野蛮なだけ」
というのがその理由らしい。
また、彼は子供らしくなく「できる事」には遠慮をし、「できない事」に関しては自分を一層卑下してみせた。
そして、いつでも柔らかい笑みを絶やさず、金色の髪をたなびかせ、まわりを取り囲まれて楽しそうに歩いた。
私は、影の中にいる人形のようだ・・・
と、トトは思った。