-超番外編 2007秋in鎌倉-
トトとジュールは北鎌倉の駅を出た。
どこからかお線香の香り。
「電車で鎌倉まで行かなくていいの?」
「うん、歩いていくつもりなんだよ」
思ったより冷たい風が吹いていた。
「秋風だねぇ」
空を見上げると、青い空にうろこ雲。
「秋だねぇ」
もう一度、トトは言った。
二人が、向かったのは円覚寺。
この寺を目指していたというより、駅から出てすぐの場所にあったから。
まずは、今回のお散歩の無事を願いつつ参拝するのだ。
円覚寺の敷地は広々としており、仏殿まで少し歩く。
「どうでしたか、今年は?」
風にコートの裾を揺らしながら、ジュールは聞いた。
「今年は…そうだね。いろいろあった。本当にいろいろあった年なんだよ」
「ああ、ほんとに。トトにとってはそうだったね」
ジュールは今年あった事を回想した。
今年の初め。
トトは、珍しく今年の言葉などと言うものを考え、偉そうに「今年は挑戦する年である!」と宣言した。
しかし、その後ある悲しい出来事がトトを襲い、その様子を心配したジュールはトトを海に連れて行った。
そこで、どうにか立ち直ったようであったが、さらに悲しい出来事は衝撃を増して続き…
トトは一時期ベッドから起き上がれないほどに、消沈してしまった。
その時の様子を思い出し、ジュールは顔を顰めた。
…今年はジュールにとっても苦しい年だったのだ。
-まったく、私の生活はこの人中心に動いているんだなぁ-
などと思い、少し前を行くトトの頭を撫でてみる。
「?」
夏は、プールに出かけてトトの不思議な泳ぎを見(トトは普通の泳ぎ方が出来ないらしい)
ふらりと温泉に出かけてみたり、絵画を鑑賞したり…。
そのうちにトトも元気を取り戻していったように見える。
そして、忘れる事もできない不思議な体験をして。愉快な方々と知り合いになった。
さらに、最近では砂漠の王とも顔見知りになった。
本当に、出会いと別れが同時にやってきた激動の年であった。
仏像に手を合わせ、円覚寺を出ると細い道が線路沿いに続いている。
「白い。綿みたいの」
トトが自分のコートを払う。
ジュールの目の前を横切る白い綿毛。
横を見ると、ススキが風に靡いて綿毛を飛ばしていた。
「風が少し強いですね」
「うん、でも何もかも吹き飛ばすような感じではないね。思い出に触れるような…
これは宇治川の流れに似ている」
トトは、数ヶ月前に行った京という都の川を思い出しているらしい。
「あんなにも大きな川なのに、せせらぎは物悲しいんだ。今日の風によく似ている」
「つらいの?」
「ううん。たまに夜に浸りたくなるだけ。お酒を呑んで夜の懐に抱かれてしまえば楽だって。
昔に乱れた生活を送っていた経験が呼んでいるんだ。…でも、そうしちゃいけないと思う」
トトはジュールを見上げた後、その向こうにある夕陽を眺めた。
「まだ、夕暮れのまどろみの中にいてもいい。と、誰かが言っている気がするの」
小道は、混みあっている道路へと続いていた。
すぐに「名物のコロッケ」という看板が見えた。
店頭で、歩きながらでも食べられるように紙に包んだコロッケを売っているらしい。
「こんなに混んでいなければ、そこの店に寄ってコロッケを買ったりしたのにねぇ」
残念そうに指を口に当てて、トトが呟く。
「おなかすいてるんでしょ?」
ジュールが笑う。
そういえば、もう夕方にさしかかっているというのに、朝から1食しか取っていなかった。
「ううん、まだ大丈夫。鎌倉に着いてから…」
そう言いながらも、おなかを擦っているところを見ると、我慢できるかどうか心配である。
次に手焼きせんべい屋をのぞいて、意味もなく首を振っていた。
「あっちに行ってみましょう」
ジュールが指差す先には、細い路地があった。
「この混んでいる狭い道を行くよりはいいでしょう。ここは空気がよくない」
なかなか風情がある道だ。
緩い登り坂が続いている。
山を切り掘って作った道のようだ。道の両側にはむき出しの土が見えている。
「切通しだね!」
やがて立て札が見えてきた。
ジュールが立て札を読んだ。
「あ、ほんとだ。切通しって書いてある。亀ヶ谷切通し(かめがやつきりどおし)だって。
トトはよく知っているね」
「へへん!!」
亀ヶ谷切通しは、鎌倉に存在する7ツの切通しの一つで、昔は武蔵の国方面から鎌倉に通じる重要な道の一つだったらしい。
切通しの中頃で、トトはむき出しの土壁に手をあて
「ここを掘った人は、どんな気持ちだったのかしら」
などと言った。
「…皆の道を作る誇らしい気持ちだったのかもしれないね」
トトの発言から一呼吸置いてジュールが言う。
「いや、めんどくさい事頼まれたなぁ!なんて思っていたかもしれませんよ」
「ジュージュじゃあるまいし」
「ふん…」
わりかしケロリとした顔でトトが言うものだから、ジュールはへの字口をしてみせた。
突然、急な下り坂が眼前に飛び込んできた。
「わぁ!すごい坂!ここに雪が降ったら、ソリが楽しめるね」
「やめたほうが。道が狭いし危ないよ。そう…トトなんかきっとどこかでひっくり返って、下に着くころには、それはちっこい雪だるまになっているんだから」
「B・・・」
トトは口を尖らせ抗議の意を示したが、ジュールの言葉に想像が追いつき、噴出してしまった。
「ぷぷぷ…」
「やっぱり、あなたもそう思うんでしょう!」
笑いながら、ジュールはトトの肩に手をかける。
「今でも、転げ落ちないように…ね!」
「転げないよぉ~ぷぷぷ」
切通しを出ると、鎌倉の街に入る。
閑静な住宅街には、おしゃれな小店が点在していた。
手作りジャムの店や自家製蜂蜜の店、雑貨店などを見て回る。
「鎌倉についたらさ、中華料理を食べるんだ!」
道すがら、トトは宣言した。
「え、お蕎麦じゃないの?」
ジュールの頭の中には鎌倉=蕎麦という図式が出来上がっていたらしい。
「エビチリを食べるんだよっ!」
トトが吼えた。
「へぇ、はぁ…」
やる気のない返事をしながら、ジュールは記憶の中で鎌倉駅前の中華料理店を模索していた。
やがて道は、江ノ島電鉄鎌倉駅に続いていた。
「懐かしい!江ノ電だよ!」
そういえば、ずいぶん前に江ノ島に遊びに行った。
「まるで、昨日の事のようだね」
冷たい風で冷えているはずの手のひらが、じわりと熱くなる。
二人は顔を合わせ、どちらともなく指先を触れ合わせた。
江ノ島でもこうして指先を握り合って歩いたものだった。
「また、ここにこようね。約束」
「うん」
「さぁ、中華料理店を探すぞ!」
「・・・」
ロマンチックな雰囲気はエビチリに敗れ去ったようだ。
鎌倉駅の商店街を歩いていると、ラーメン屋の看板が見えた。
「中華料理とは、ラーメン屋も含まれるんですか?」
ジュールが聞く。
「なるべく含みたくないよ。食べたいのはエビチリなんだから」
そう言いながらも、人が並んでいるラーメン屋が気になるらしく、トトはちらりと横目でその店を観察していた。
「混んでいるね。有名なお店なのかな?」
「さぁ?でも、道もずいぶん混んでいますね」
行楽シーズンだからなのか、商店街は人が溢れ返っている。
「大通りに出よう」
横道に入って、大通りに出た。
そこでもトトは中華料理店を探し続けている。
「ううう、ないかもしれないよ」
「そりゃ残念!帰りにお蕎麦でも食べて帰りましょう」
「鶴岡八幡宮の神様がお参りするまで食べるなと言っているみたい…」
ぶつぶつ言うトト。
ジュールとしては、あまりエビチリを食べたくない気分だったので、内心ほっとしている。
地酒が置いてある酒屋を見たり、土産物店を見たりしていると、ジュールはトトが隣にいない事に気づいた。
「兄上?!」
しまった、迷子か?!
あわてて周りを見回すと、数人の男達が声をあげている。
「おお!すげーかっこいいなぁ!!」
「こんなものも売っているんだぁ!」
ジュールがそこへ駆けつけると、男達の中心で、トトが土産物の木刀を高く上げ見定めていた。
さすがに売り物を振り回していなくて、ほっとしたジュールだが
「兄上!はぐれたらどうするんです」
軽く叱った。…が、トトは
「木刀だよっ!鍛錬に使おうか!」
と興奮している様子。
「それを持って帰るの大変でしょう。また今度近くで見ればいい」
言い聞かせて、ジュールは人の目も気にせず、強引にトトの手を引いて店から離れた。
-まったく、私が目を離すと何をしているかわからないんだから。
大体あんな野蛮な物を兄上には持たせられない…-
トトが武術が好きな事は知っていたが、ジュールとしては自分がそういうものを好かないので、武器・凶器の類をできるだけトトに持たせたくはないらしい。
-ああいうものを振り回して、ご自分が怪我でもなさったらどうするのだ-
心で叫びながら、ジュールはちらりとトトを見た。
基本的に…兄上が中心になっているジュールの心の中では、兄上が木刀を振り回して、他人に怪我をさせるかもしれない事は想定外なのだった。
「うん、今回はあきらめるよ。ジュールの言うとおり、こういうところで買わない方がいいよね。今日は散歩に来たのだし。近くの武具屋で買う事にする」
「いいや…その…そういう意味じゃ…」
「木の種類や長さも選べるし、ケースも必要だからね!」
「いや、だから…」
「でも、さすが八幡様と言えば武士の神様。土産物屋にも木刀が売っているとはね!」
「・・・・」
もうこれ以上言っても無駄だとわかって、ジュールは口を噤んだ。
-私が身をはって守らなければっ!-
悲痛な決意がジュールの内部で発生している事も知らず、トトは今度手に入れるだろう木刀の長さについて検討していた。
鶴岡八幡宮の境内に入ると…(ここは恐ろしく広い境内なのだが)
強い風に、砂塵が巻き上げられていて霧がかかったようになっていた。
「うわあ、これじゃあ屋台のフランクフルトやぶどう飴も食べられないよっ!」
「た、食べるつもりだったんですか?」
…兄上。本当に、おなかすいているんだなぁ…。
ここを出たらすぐにでもどこかに寄らないといけない。
本殿に向かう階段の脇に、有名な大銀杏の木がある。
「すっかり色が変わって…いい時期に来ましたね」
扇形の黄色い葉が舞っている。
風も弱くなってきた。
まわりの赤い山々の色とあわせると、一つの錦絵のようだ。
「美しいね。秋とは、冬に入る前に神様がくれた暖かさの彩りなのかもしれない…」
トトがうっとりと語る。
「詩人ですね」
「秋は凡人を詩人にしてくれる季節なんだよ。芸術の秋とはよく言ったものだ。
…ところで、銀杏って炒めるんだよね?」
「……兄上…ここ出たら、すぐにどこか入りましょう」
秋から得たトトの芸術性は、まさしく食欲の秋に食い尽くされそうだった。
「あ、あれさっきから気になっていたんだよね!」
鶴岡八幡宮から出てしばらく歩いたが、適当な中華料理店は見つからなかった。
しかたなく駅に向かっていたのだが、途中でトトは何かを見つけたらしい。
それは漬物屋だった。
店頭に屋台と椅子が設えてあり、そこで買ったものを食べられるらしい。
女性が声を上げて「味噌田楽」を売っていた。
その店の自家製味噌を使っているので、宣伝にもなるのだろう。
「ジュージュ!買おうよ!」
「なかなか美味しそうだね」
二人でこんにゃく玉を串に刺してある
「おだんごみたい!」
「ゆず味噌の香りが素晴らしい、ほら本当に柚子が入っているよ」
「ほんとだ!マーマレードみたい!」
ここでちょっと休憩。
トトは、その店で他の漬物を試食して「からし茄子」と「ゆず味噌」をお土産に買った。
「ゲホゲホっ…!」
「大丈夫?ジュージュ??」
「え、ええ…ゲホっ!」
トトが「とても美味しい!」と言ったので、からし茄子を試食したのだが、トト=激辛派である事を忘れていたのだ。
ジュールは目に涙を溜めて酷く咽こんだ。
「ジュージュは、本当に辛いものがダメなんだね…」
「う、うん。味は美味しかったよ…でも食べる時は気をつけて少しづつにする」
また、もと来た道を歩く。
商店街に入ると、先ほどの行列の出来ていたラーメン屋の前には人がいなかった。
「ちょうど、人がきれる時間なのかな?」
「中華料理店見つからなかったし、入ってみよう」
本当はトトも気になっていたのだ。
締りの悪い扉をガラリと開けると、それはそれは縦長の狭いカウンターがあった。
びっくりするほど狭い店で、調理場と客席を足しても店内の幅は2mくらいしかなく、丸椅子が
6つくらい置いてある。
屋台を改造したような様子だ。
「いらっしゃいませ」
感じのよさそうなおじさんが一人迎えてくれた。
トトは腰掛けてコートを脱いだが、とてもかけられるところもなく、鞄もカウンターの下に
しまうのがやっとだったので、コートを再び羽織り、ここは屋台のようにいこう!と思った。
カウンターもラーメンどんぶりがやっと乗るくらいの幅しかない…15cmくらいだろうか?
どこかしらかコークス燃料の懐かしい匂いが漂う。
「しょうゆラーメンを2つ下さい」
「はい」
おじさんが慣れた手つきで作っている間にジュールがこそっと言った。
「こういう店は期待できるよ」
「そうだね!今からドキドキだよ!」
「はい、しょうゆらーめんです」
「わぁ!いただきまーす」
「いい香りだね」
なんの変哲もない、ごく普通のしょうゆラーメン。
小さなチャーシュー、メンマ、さっと炒めたようなもやし。
少し濁っている鶏がらの醤油スープ。
はっきり言って、一口目でうまい!と叫ぶようなシロモノではない。
でも…
「このチャーシューよく味がしみこんで柔らかい」
とジュールが言った。
「もやしもそうだよ。シャキとしてる」
優しい麺の味。
卵つなぎだろうか?
スープも実にさっぱりとしていて飽きが来ない。
「そうそう、こういうスープを寒い時に猛烈に飲みたくなるんだよ」
いわゆる最高に贅沢なラーメンのお汁の味なのだ。
「はぁ、ほっとするねぇ」
スープを飲み干し、トトは言った。
もちろんジュールのラーメンどんぶりも空だった。
会計をする時も、おじさんの感じのよさが感じられた。
店を出た後、トトは言った。
「本当は、並んでいるラーメン屋って興味はあるんだけれど、恐い頑固おやじがやっていたらどうしようって思うと入りづらいんだよね。私、あまりお汁を全部飲めるほうじゃないからさ。怒られるんじゃないかって…。でも、あのお店のおじさんは感じがいいね。味にも優しさが出ているよ、おかげで全部お汁を飲んじゃった!」
ジュールも言った。
「ああいう味を出す店が本当にいい店と言えるんだろうね。ついついまた来たくなる。
一見ごく普通のラーメンなのに細部に手を抜いていない。後味もいい。
昔、ラーメンとは酒を飲んだ後でも食べられるものだと聞いた事があるけれど、口の中を柔らかくしてくれるラーメンは初めてだよ。最近はラーメンが主役を陣取りすぎている帰来があるからね」
「鎌倉でラーメンが食べたくなったら、あそこのラーメンを食べようと真っ先に思うよ。そういう店に出会えると嬉しいね!」
心もお腹も暖かくなったところで、帰路に着く。
「今回のお散歩はどうだった?」
「とても運がよかったような気がする。最後のラーメン屋も含めて。それに、おみくじでは今の状態を保ちなさいって出たし」
「今年あと1ヶ月なのに…」
「あと1ヶ月だから、おみくじを引けたんだよ。よくても悪くても1ヶ月じゃない。今年はいろいろあったけどさ…きっと私には必要な年だったんだよ。
私は、この年起こった事をずっと忘れない、私を支えてくれたジュージュへの感謝も含めて…ね!」
「はは…まぁそう思っていただけると私も悩んだ甲斐があったというものです!」
帰りの電車の中。
突然、前に座っていた他国の人が「OH!Mt.FUJI!」と叫んだ。
「ん?!」
トトは目を凝らして外を見た。
「ほら、あそこに富士山が見える」
ジュールが窓の外を指差す。
「わぁ!綺麗」
サーモンピンクの空に、宵の紫雲。
その中に均整の取れた山の影が映っている。
周りを圧倒するような雄大で優美な姿。
「あの山が綺麗だといわれている理由がわかるよ。あんなに美しい山はめったにない」
「これが見れたって事も運がいい証拠だね。来年まで運のよさが続きそうだ」
「うんうん!」
来年もよい年でありますように。