
電車は、丸亀駅に着いた。
「あ、暑い…」
ものすごく暑かった。
二人はさっそく入れる店を探したが…スーパーと土産物屋しかなかった。
「とりあえず、ここでうどんでも」
先ほど、ままかり寿司を食べたばかりだというのに。
二人は駅に程近いうどん屋に入った。
・・・・・・・・・・・・
「おなかいっぱいだよ~」
「う、うん」
うどんなんて軽いものだと思っちゃいけない。讃岐うどんはすごいのだ。
味もいいが、ボリュームが。
ここの人たちは、おやつにもうどんを食べるというが、こんな重いものをよくおやつに食べられると思う。ギリシャ人くらいよく食べる人々なのか?
「そういえば、瀬戸内海はエーゲ海に似ていると聞いたことがあるよ」
と、トト。
「水が少ない気候と、日差しの強さかな。景色…う~ん。小麦を使った麺はパスタ?」
ジュールの言い回しがおかしい。やはり暑さのせいだろう。
「せ、せめてお城を見たいなぁ」
トトは旅にでると、途端に活動的になるのだ。
自らもぐっしょりと汗をかきながらも、丸亀城へ歩き出した。
途中でトトは上着を脱ぎ捨てて、タンクトップ姿になった。
ジュールが顔をしかめる。
「肌を見せるなんて…」
「暑くて死にそうだよ!!」
ぶつぶつ言うジュールを気にしないふりしながら、トトは日傘を差し、歩いていく。
だが、歩いて15分ほどの丸亀城の下まで来たとき、座り込んでしまった。
「大丈夫ですか!」
なんだかんだ言っても、ジュールはトトより体力があったわけだ。
意外にしゃきっとしている。
トトは首を振り、「悔しいけど、タクシーでホテルに行こう」と言った。

次の日。
「今日は、いよいよ島に渡るんだよー!!」
朝からガッツポーズをとり、昨日の疲れはどこへやら、トトはうきうきと準備を始めた。
「日焼け止めとか忘れずにね!」
ジュールの準備も余念がない。
塩飽諸島の本島というところに渡るには、船に乗る必要がある。
トトは久しぶりの船旅に喜んでいる様子だ。

「うほーうほー!これに乗るんだね」
船は小さな旅船で、定員20名くらいだろうか。
動き出すと同時に、えらくごきげんな音楽が流れ始めた。
これが陸地だったら、トトは踊りだしていたかもしれない…。
いや、大きな船だったら踊っていただろう。
「そういえば、あなたはエーゲ海クルーズで狂ったように踊っていましたよね」
ジュールが冷静な声で言うものだから、トトは「Non!」と笑いながら答えた。
だが、たった一人で踊りだしたトトが注目されたのは救いようがない事実だ。
船は、波を突き破りながら猛スピードで瀬戸内海を横断していく。
窓からは近くの島々の海岸が見えている。
塩飽の海は航行が難しいと言われる。
潮の流れが複雑で、いくつもの渦を海の上から見ることができる。
海面の高さも一定ではなく、海底は砂のところや岩のところがあり、難所と呼ばれる所以がよくわかる。地元の漁師も一人で漁に出ることはないらしい。
このような場所なので、都まで行き来する船は、この場所に住む住民に道案内を頼んだという。
「…海賊は、その時に通行税と道案内料金と他の海賊から守る代金をもらっていたわけだよ」
トトが話しているうちに、船は牛島という小さな島についた。すぐに船は出発し、本島の泊港を目指し出発…したと思ったら、すぐに着いてしまった。
ちょうど、時刻がお昼時だったので、昼食をとることにした二人。
港に近いところに食事をできる場所があったので、トトは「かさごの煮付け定食」、ジュールは「ヤリ烏賊の刺身定食」を食べた。
「兄上は、お魚があまりお好きではなかったのでは??」
「ここまで来て、魚が食べたくないなんて言えないよ!だって海賊の島なんだよ!」
トトにとっては、食事もロマンの一つに入っているのだ。
二人の食べたものは、どちらも今朝捕りの新鮮な魚介だった。
「これこそ、現地を味わうってことかな」
ジュールが笑う。
自転車を借りた二人は、早速、島を探検することにした。
「兄上、ちゃんと日焼け止めは塗りましたか?!」
「うん。準備万端だよ!」
ジュールが心配しているのは、自分よりもトトのことだ。
トトは肌が弱く、日焼けすると熱を持ち、一晩中眠れなくなってしまうのだ。
さらには、あまり身体が丈夫とはいえない。この前も熱中症で倒れたばかりだ。
それなのに、いつも無茶ばかりする。
夢中になると何も見えなくなってしまうたちなのだ。
いい加減、小さな自分というものに気づいてもらいたいものである。
ジュールは、飛びそうになっているトトの帽子をきちんと直してあげると、やっとペダルに足をかけた。
しばらく走ると何もないところに出た。

「何もない…日陰さえも」
「でも、風は涼しいよ」
強すぎる日差しのわりに、冷たい海風が吹いている。
「確か、ギリシャの島でもこんな風が吹いてた。気候的にも多少似たところがあるのかもしれない」
「ま、まぁ、こちらのほうが汗をかくけれどね」
そんな会話をしながらいくとひまわり畑があった。
「真夏の島だね」
トトはひまわりの花が好きだった。
なにやら懐かしそうな瞳で見つめているので、ジュールはその花に自分の宿敵でもあり、兄の友達でもある人物を感じ取り「早くいきましょう」と、トトを急かした。
りっぱな門構えの看板には「塩飽勤番所」とある。

ここに、塩飽の歴史が保存されている。
入場料を払い、二人は中に入った。

入ってすぐに看板があった。
塩飽の人名制度について説明がある。
人名制度というのは、ここの人たちが日本で唯一、江戸幕府に自治を認められたことを表す。
どこの藩にも属さず、どこの大名にも支配されずに、島民が株を持ち、独自に運営していたのだ。
塩飽水軍と呼ばれている彼らは、優れた操船術、造船技術をもっていた。
戦国時代末期、小田原の北条氏を太閤秀吉が攻めた際、海からの補給物資を運んだのが彼らであり、台風で身動きが取れなくなった他の船に先駆けて、嵐の中、波を超えてやってきた彼らに太閤は自治権を認めた。その後、有名な関ヶ原の合戦で勝利を確信し、一休みしようと横になりかけた家康のところへ一足早く戦勝祝いに駆けつけたのが、塩飽水軍の代表者であったことから(事前に示し合わせてタイミングを図ったらしい)、徳川の時代もこの自治権は有効になった。
彼らは大名を捩って人名と名乗った
。
「さりげなく置いてあるけど、これすごく貴重なものなんだよ」
トトは、ガラスケースの中の文書を指差し、言った。
「織田信長の朱印状…豊臣秀吉の朱印状…徳川家康の朱印状…。この国の有名人たちが勢ぞろいだ。これはすごい!」
ジュールの言い方は少々ミーハーな彼っぽかったが、トトはニヤニヤとして、隣に置いてあるガラスケースの中の咸臨丸を見ている。
「咸臨丸に乗った水夫は30数人がここの人たちだったらしいんだけど、アメリカに渡った際の感想を言っているんだ。それが私は好きでね。「アメリカの人たちは自由平等だときいていたけれど、そのとおりだった。気軽に話しかけてくれた」っていうの。なんていうのかなぁ。純粋に感じたままだったんだろうと思うから好きなんだよ。その当時の厳しい身分制度、そして、開国後の外国に対するアレルギーみたいな世情の中で。なんとも表現が難しいんだけど…」
「ああ、なんていうか…つまりトトが言いたいのは、その当時、珍しく世情に長けた勝海舟とか榎本武揚のような人物だったらまったく違う感想をもっただろう…という意味ですよね。もっと政情の方面とかね」
「うう~ん。たぶんそんな意味だよ。なんだジュージュも一応はこの国の歴史をそれなりには知ってるんじゃないか」
「それなりに…で」
兄のようにマニアックな部分までは知らなくても、大体の国のおおよその歴史は頭に入っている。
「でも、さっきのような感想は、ここの人たちがその昔、遠くの海まで出かけていったのにも起因しているんじゃないかと思う。古くから自国の人以外と接してきたわけだから、他国の人に対して”異人”という認識が薄かったんじゃないかな」
「なるほど、それにしても、ここに来なければ私は日本という国の中・近世を誤解するところでした。日本と言う国は武士の国、忠義と武士道だけの国だと思っていましたよ。そして、どちらかと言えば閉鎖的な国民を想像していた。昔になればなるほど…」
うんうんとジュールは頷く。
士農工商と言われた時代、そしてもっと前の時代から陸の決まり事、美徳とされる生き方とは違う生き方を選んだ人々が存在していた。彼らは自らの技術をその時々の権力者に提供しながら、支配されずに生きることを望んだ。
「私は、もっと前の時代についても調べてみたいと考えているんだ。海賊のことを」
勤番所をうろうろしていたら、係りの人が麦茶を入れてくれた。
二人は礼を言い、それを飲むと勤番所を出て、海の方向へ走った。

「見てよ。この海から…もっと遠いところへ行ったんだ」
トトがうっとりと呟いた。
二人が次に訪れたのは本島の中でも「歴史保護地区」に指定されている笠島という場所。

時代劇のような町並みがそのまま残っている。
それにしても誰もいない…。
「でも…この雰囲気がなんかいいよね」
ジュールは自分の身長と、屋根の高さを比べて顔をしかめていた。
「気をつけないと、私は頭をぶつけるかもしれない…」
「私もだよ!」
トトが下からぴょんぴょん跳ねながら、そう言うものだから、ジュールは苦笑を浮かべ
「トトには高すぎるかもしれません」
などと言った。
二人は、資料館となっている古民家を訪れた。
そこで親切なおばあさんにまた麦茶をもらい、「暑そうだから少し休んでいきおって」
と座布団をすすめられた。
しばらくゆったりとさせてもらってから、古い小道具などを説明してもらった。
そして、次にそのあたりでは珍しい洋食の店にいってみることに。
「こんなお店があったんだ?!」というほどモダンなポスターを見つけたからだ。
ジュールもほっと息をついた。
正直な気持ち。誰もいないし、そろそろ彼としては都会的な安心感を求めていた頃だったのだ。
その場所についてみると、やはり古民家を改装したらしい。
立派な門構えがあり、それをくぐると…
白いテーブルと白い華奢な椅子があるテラスを想像していたジュールは、我が目を疑った。
そこは、ごく普通の田舎の民家だった。
やけに広い土間があり、縁側のような場所に頬被りをした地元のおばあさんが座っている。
トトも目を丸くしていたが、そのご老人が「誰か来たで?!」と叫んだ途端、「家を間違えました!」と頭を下げそうになった。
が、頭を下げる前に、もう一人おばあさんが出てきて「お客さんや!」と叫んだので、とりあえず間違ってはいないことがわかった。
二人は、唖然としながら畳の部屋に通された。
いわゆる…田舎のおばあちゃんの家である。
縁側には座椅子が置いてあり、扇風機が回っている。
2部屋ぶち抜きの畳の部屋にはちゃぶ台がおいてある。そこが客席らしい。
「トマトソースが切れとる!あかん、ごはんもや!」すぐ横にある台所から声がする。
事情を察し、バジルソースのパスタを頼むと「裏庭から取ってきますよ~」と返事が。
どこかで虫の声。
開いた窓から吹いてくる涼しい風。
畑のさわさわとした草の音。
座椅子の上に置かれたひざ掛けみたいな布が揺れている。
トトは足を伸ばして、幾分かだらしない格好をした。
「ねぇ、ジュージュ。ここは…いいねぇ」
「バジルは取り立てだから、きっと香りがすばらしいですよ」
「あ、私が言いたいのはそういうことじゃなくてね」
畑のほうから「トマトがいい色になってる。これも出せるよ」
などと声が聞こえてくる。
「時間なんてどうでもよくなっちゃった」
ジュールは不思議そうな顔で、トトを見つめている。
「ジュージュもこういう姿勢になって、”ただいま”って言ってごらんよ。そうすれば、わかるから」
「なるほど、そういうことか」
それは、ジュールがアルキュード公ではなくなった瞬間。
日差しが強くても、涼しい風が吹いていれば、それでいい。
二人は、香りのすばらしいバジルのパスタと、収穫したばかりのミニトマトをおまけにいただいて、店を出た。
次に、二人が目指したのは泊海水浴場。
笠島を出て、先ほど船が着いた泊の港を左手に通り過ぎる。
その先に、海水浴場はあった。

「まさか、水着を持ってこられているとはっ!」
トトの抜け目のなさにびっくりだ。
「へへへ…」
海岸は空いており、トイレにも誰もいないのを確認し、トトは着替えることにしたようだ。
ジュールはトイレの前で待っていたのだが、
「~~~~!!」
トトの悲鳴を聞いて、ドアを叩いた。
トトは、無言のまま出てきた。着替えてもいない…。
「どうしたの?泳ぐのはやめるんですか?」
「落としちゃった…」
「?」
「水着を…ぼ、ぼっ●ん便所の中に、落っことしてしまったんだよっ!!!」
「?!」
ジュールが怪訝そうな顔でトイレを覗き込むと確かに下のほうに、トトの海パンが落ちていた。
「…」
「…」
「ぶっ・・ふふふ」
ジュールは思わず噴出し、トトは心底絶望しきった様子で、下を向いた。
「私は何か悪いことをしたかしら??」
「いや、いや、考えようによってはよかったですよ。水着で。これがズボンだったらどうするつもりですか。プッ…」
「う、うん。でも私本当にショックを受けてるんだけど」
「ごめんごめん。でも、そう考えたほうがいい」
ジュールは、トトの肩を抱きながら慰めた。
その後も、トトはなかなかショックから立ち直れない様子で、帰りに海賊に関する書籍を買う時もどこか悲しげだった。
そして、二人は帰りのフェリーに乗った。
トトはデッキに出て、離れ行く島を見ていた。
そして、思わず口元に手を当てた。
「水着は、今度買いなおせばいい」
ジュールは心配そうな顔でトトの額を撫でた。
「そうじゃないよ。この島って、誰もがほっておいてくれなくて。本当に誰もほっておいてくれない場所だなぁって」
途中で、トトは嗚咽をこぼした。
「”さよならさよなら”ってたくさんの声が聞こえる気がする。私は間違いなく故郷から離れるんだ。離れようとしているんだよ…」
ジュールは、今日のことを思い出していた。
おっかなびっくりで行った田舎の離島だったが、どこかに入るたびに麦茶をもらったり、人に話しかけられたりしたなぁ…と。
どこか時間が別の場所で進んでいたような、そんな錯覚さえ覚えた。
「故郷か…」

その夜 。
二人はぼんやりとホテルの窓から夜景を見ていた。
「どうでしたか、今回の旅は」
ジュールがそっと聞いた。
「遠いところに来たようで、帰ってきた感じもある」
トトはジュールに身体をもたれかからせた。
その香りに包まれていると、不思議と落ち着くのだ。
「昨日、あなたが作った句より、ずっと出来のいい言葉だと思います」
ニンマリしながら、ジュールは言った。
「これでもね、私は少々ポエマーとしての自信は持っているんだよ」
ジュールの腕の中で、トトが言う。
「前に…たしか京都の角屋で突然一句求められて、「はっははは、わたくしなど」と偉そうに言っていたのは確かにあなたでしたね」
「どして、そういうこと思い出すんだよっ!あの角屋のご主人は面白すぎるんだ」
「まぁ、この話はここまでにして…」
ジュールの手がトトの手にそっと重なった。
今日のトトの夢は、大海原を突っ切っている夢かもしれないし、心地のよい畳の部屋でぼんやりしている夢かもしれない。
どちらにしても、今、触れているこの手の感触と共にあって欲しい。

「今夜は、夢の中までお供しますよ」
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