-雪-

雪が深々と降っている。
        
バストールと違って、ここイルミーネは山々に囲まれた地形ゆえに、雪の季節が長い。
特に、イルミーネでも北の地方では、毎年冬になると雪の日が続く。

アンジュー公レイチェルは、馬車から外を眺めた。

-あの子は元気だろうか-

今から向かう先には、5歳になる子供がいる。
この前は、リュートの弾き方を教えたばかりだ。
飲みこみのよい子で、すぐに真似をして弾けるようになった。
        
なにしろ、あの家には子供の面倒をまともに見れるような人間がいないのだ。
まわりには使用人と、母親の年老いた乳母がいるだけ。

手が空いたときに訪ねているが、それでも足りないくらいだ。
-あの子のためには・・・-
-私だけでは足りないー
  
しかし、いくら思っていても、あの子のまわりの環境を変えるのは、簡単ではなさそうだ。

-あの子の父親は知っているのだろうか-

彼の事だ。
耳には入っているはず・・。
しかし・・・

彼には、家庭がある。

そして、立場がある。

-あの子はどうなるのだ-
-親の都合ばかりで、今も、たった一人で楽器を弾いているのだろう-

-哀れな-

アンジュー公は眉を顰め、遠くの雪原を眺めた。



「叔父上、いらっしゃいませ」
その家に着いたアンジュー公を迎えたのは、将来、この家の当主になるであろう子供だった。
「姉上は?キミの母上はいつも通りかい?」
「ええ、今日は朝から加減が悪いようで、また頭の痛みを取る薬を飲み横になっています」
「そうか・・」
「ジュール」
その子の名を呼んだ。
「はい」
「いいね、あの薬。母上の飲んでいる薬は、大人用だから絶対に飲んではいけないよ」
「はい」
ジュールは小さく頷く。

ディアヌは、もはや、あれなしには生きられないのか・・・。
心を病んだ姉は、非合法の薬に頼って生き延びている。
いや、緩慢に・・死のうとしているのだ。

「叔父上、今日はリュートをお持ちではないのですか?」
「ああ、今日はね。本を持ってきたんだ」

「本・・ですか」
「気に入らないかい?」
「いいえ」
まったく、この子は人形のようだ。
反抗や、否定の返事をしない。
うまく受け入れる方法を知っている。
それは、あきらめと言うものなのだろう。
大人に囲まれて育ったせいか。
それとも、自分の出生の事を知って、そうすることを決意したのか。
どちらにしろ、他の同じ歳の子供とは違う。

この子が、泣いたり、怒ったりしているところを見た事がない。

-だから、心配なのだ-

このままでは、大切なものを見つけることも、手に入れることも・・・。
もしかしたら、そんなものがあることすら気づかないかもしれない。

「ジュール、こちらにおいで」
「はい」

本を読み聞かせている間、ジュールはじっと耳をすませ、時折頷いたりして聞いていた。

「面白かったかな?」
「ええ、これはどなたの書かれた物なんですか?」 
「恥ずかしながら、私の創作だよ」
「叔父上の?」
ジュールは少し驚いたような顔をしたが、またすぐに笑顔に戻り
「ありがとうございました。とても面白かった」
と嬉しそうに言った。

「本は、好きかい?」
聞くとジュールは一瞬黙ったが
「はい、とても」
と答えた。
「それはとても嬉しいよ。これはキミのために書いたものだ。キミにあげよう」
「ありがとうございます」
ジュールは本を受け取ると、嬉しそうに胸に抱いた。
「本当にありがとうございます。叔父上」
そう言って、しばらく下を向いていた。

「どうかしたのかい、ジュール?」
「いいえ、何でも」

いつもとは様子が違うような気がした。
もしかしたら、本が嫌いなのかもしれない。
しかし、それを表に出すような子ではない。

「ジュール。それでは私はもう行くけれど、次はリュートを持ってくるよ」
「はい、お待ちしています」

屋敷を出ると、荷物を持った使用人2人と、ジュールが出てきた。

「ジュール、部屋に入っておいで。そのような服では寒いだろう」
「いいえ、叔父上」

ジュールは何か訴える目をしている。
こんな事は初めてだ。

「ジュール・・・」
「私は・・・」
「どうしたんだい?」

いつにない様子に心配になり、腰を屈め、目の前の子と視線の高さを合わせる。

「叔父上・・今だけ・・一つだけ・・・」
「何でも言ってごらん」

すると、ジュールは一呼吸置いて話し始めた。

「私は…少し前にウズメが持ってきた本を読みました。そこには、お父さんが仕事に行っている間に、お母さんと子供がお菓子を焼いている様子が描いてあって・・・」
「ジュ・・」
「叔父上、私は…あんなふうにしてみたい!まだ、そういう事はしたことがないけれど。
母上はいつもお部屋に入っているし、父上は…お会いしたことがありません。
でもいつか…お願いすれば、あのようにできるのですか?」
「ジュール・・」

ただ必死に訴えるように言うジュールを見て、アンジュー公は困惑した。

「知っています。父上は国王陛下だから、ここには忙しくて来られないのですよね。
それに、正式なご家族がいるからと・・・」
「それはね・・」

アンジュー公の言葉を遮る様に、ジュールは話した。

「では、ずっと・・ずっと・・・私は、あのような事ができないのですか?
お願いしても・・この先一度も・・ずっと!!」
「・・・」

アンジュー公は黙ってジュールの身体を抱きしめた。
それ以上、この子に語ることができなかったからだ。

「ごめんなさい・・こんな子供っぽい事をして・・」
「いいよ、いいんだよ、ジュール。 それで・・・」
「もう、しません。しないから・・・もう、しない・・・」

今だけは・・・という言いかけた声が、嗚咽に変わっていった。

「父上・・・国王陛下でなければいいのに・・家族がいなければいいのに・・」

「あの、本にあるみたいに、街に仕事に行く父上であればいいのに・・」

「・・家族が欲しい・・」



「いつか・・・キミにも家族ができるよ」
「本当に?」
「いつかはわからないけれど。もしかしたら、家族よりもっと大切なものが、できるかもしれないよ」
「家族より大切なものなど、あるのですか?」
「わからないけれどね」

この子が大人になったら、どんな人生を選ぶのだろう。

「大切だと思えるものができたら、何より大事にして。それを正直に欲しいと言わなければ、大切なものは手元からどんどん離れてしまうから」

ジュバルト兄のように・・・。

一瞬、ジュールの前で言いかけた言葉を飲み込む。

この子には報われない想いよりも、一般で幸せとされていることを望むようになって欲しいものだ。
こんな想いを抱えるのは、私だけで十分だ。

アンジュー公は「大丈夫」と、ジュールの頭を撫でながら言った。

「次に来れるのは、何時になるか、わからないけれど・・」
「では、また・・さようなら」

アンジュー公は、遠ざかる馬車をいつまでも見つめている甥にどこか共感のようなものを感じながら、屋敷を後にした。

彼の感じた共感が、近い将来に形を成すことなど、まだ何も気づかないままに・・・。


<あとがき>
ひさしぶりに、本編番外編を書きました。
この話は、本編に直結している話です。
後に出てくる本編の話が、ああ、この話が繋がっているのだな~と思わせるところが
いろいろ出てきます。だいぶ、あと・・(本編終了直前まで)にも影響してきます。

あのジュールさんにも、こんな時期があったと言うかんじですね。
    END