-私しか知らないおまじない-
「はぁ・・」
部屋に戻ってきたジュールは、めずらしく疲れた様子で溜息を吐いた。
「どうしたの?」
「なんでもないよ」
部屋に一足早く戻っていたトトは、ジュールのいつにない様子に心配気な顔を見せる。
ジュールは、いつ何時、何が起きても平然としているイメージがあったので、余計に気になる。
ジュールは、そのまま上着だけを脱ぎ、ごろりと横になった。
「ふぅ・・」
本当に疲れきった様子で目を閉じ、額に手を乗せている。
「大丈夫?」
「うん」
返事とは裏腹に、つむった目を開けようともせず、身動きもしない。
「何があったのか知らないけれど、しばらく休むといいよ」
「うん・・」
しばらくして・・・
「さっき私がたまたま歩いていたら、その前で人が馬車に轢かれたのです・・」
ポツリとジュールが言った。
「まぁ、足の骨を折っただけで命に別状はないみたいだけれど、一応、私も医学を学んでいる者として、何もしないわけにもいかず・・・」
「うん、それで?」
「・・・」
ジュールは、しばらく黙った。
「とりあえず、担架が来るまで動かないように言ったのと・・私が、その場でできるだけの応急処置をしようとしました」
「うん・・」
「すると、相手は酔っていたんですね。私に轢かれたと言うんですよ。私は、そこにたまたま居合わせただけじゃないですか?!」
ジュールの口調が苛立ちを増してゆくのがわかった。
「自分で自分の尻拭いをするつもりかと、その男は怒鳴りだして。まわりの人間の手にも負えなそうで。でも、それ以上にまわりもこちらを見て…変な疑い深い視線を投げかけてくるわけです!私は・・だから、その男を近くの医者に預けて帰ってきたけれど。でも、問題の馬車もどこかに行ってしまったらしいし。私は、その馬車を見失ってしまったし。それって轢き逃げでしょ!馬車もよく見ていなくて特定もできなくて!だからっ!!」
「うんうん・・もういいよ。話はわかったよ」
ジュールは、普段はとても冷静で落ち着いているように見えるが、たまに感情が昂ぶると、会話が止めどなくなってしまう癖がある。
トトは自分も横になり、ジュールの額を撫でた。
「・・・全てうまくいかせられなかった・・轢き逃げ馬車も捕まえられないし・・」
目を閉じたままジュールは呟いた。
「そんな・・たちの悪い相手を医者のところに運んだだけでも上出来だよ。技術を生かすことができてよかったじゃないか。私だったら、その場でオドオドして、馬車どころかその人も助けられないよ」
「・・・」
ジュールは、ふとトトの方を向き、トトの前髪をいじった。
「何事も、完璧にできなくてもいいんだよ。自分のできる事だけやれれば。ジュージュは優秀だからよくばりすぎるんだね」
「・・そんな事ないよ」
ジュールは、少し落ち着いた様子になり、トトの身体を引き寄せた。
「あ、ジュージュの匂い」
トトは、その胸に顔を埋めてくすくすと笑う。
「・・・トトと・・一緒にいるとなんか幸せになれる気がする・・」
「それは・・・よかったね・・」
トトは、眠気におそわれたようで一つ小さくあくびをした。
「このまま寝てしまいそうだね」
ジュールは言った。
「でもお風呂に入るんだよ」
主張とは違い、トトはとても眠そうだ。
もう一つ大きなあくびをした。
「もう寝たほうがいいんじゃない?」
「どうしてもお風呂に入るんだよ!」
しっかり主張しながら、トトは身体に布団をかけて、耳まですっぽりと中に入った。
「おやすみ」
と、ジュールが言った途端。
「お風呂に入るぞ!」
トトが突然吼えて布団を剥ぎ取る。
「一緒に入るのだ!GO!」
「は・・はい・・」
トトが先に勢いよく進む。
その後をジュールが続いた。
トトは国王専用の風呂場の扉を勢いよく開けた。
この時間は国王が入ろうと入らなかろうと、係が湯を沸かしている。
トトが、がばっと服を脱ぎ捨て、先に風呂場に入る。
「裸の国へようこそ!」
前も隠さずに、実に堂々とした態度で、トトはジュールを迎えた。
「・・・」
ジュールは目を丸くして、しずしずと・・・風呂場に入った。
「わかめ・・」
トトが視線を下に向けて呟く。
「ん?」
湯船で身体を揺らしてみせたりしているトト。
ジュールは意味がわからないらしい。
「もやし」
ジュールをじっと見てトトは言った。
ジュールは一瞬黙り、意味を悟ったらしく、ポツリと
「とうもろこしのヒゲ・・のほうが合ってると思う」
と答えた。
「やだな~今度からとうもろこし食べられなくなっちゃうよ!」
と、トト。
・・・・・・
「プッ・・」
「プププっ・・」
どちらともなく笑いがこぼれた。
「なんだよ~・・!」
「ちょっとやだな~我ながらとうもろこしのひげだとはっ!」
ジュールも湯船でユラユラと身体を揺らしてみせる。
「じゃあ、それがとうもろこしなわけだね!」
それを指差し、言った後でトトはう~んと唸り
「ますますとうもろこし食べたくなくなっちゃったよ!」
と言った。
「そんな~!!酷いなぁ兄上!」
ジュールが笑う。
「はぁ、トトのおかげで何悩んでいたのか忘れちゃった!」
「それは結構なことです」
それから、お風呂の中でお湯をかけあったりして、はしゃぎあった。
トト。
あなたの明るさとか、無邪気さとか、面白さとか、優しさに
私は、とても助けられてる。
私は、半ば意図的に作った綺麗な台詞を投げかけることしかできない。
そうでないものをあなたは与えてくれている。
その都度、自分でも驚かされるくらい好きだと思わせる。
よかった。
あなたのそばにいれて。
ほんとうによかった。
ジュールは早々と寝てしまったトトの頬に、指先で軽く触れた。
こうするのが一番好きだ。
やわらかい。
明日も、これで大丈夫。
それはジュールしか知らないおまじないだった。